
2010年04月29日
連休
連休は5月5日まで休まず開廊します。
27日16時過ぎから本島へ入りました。この日は火曜日なので、溜まったギャラリーの仕事を
済ませておこうと、入ったのですが、「珈琲のませてくれる?」って
すぐ妹尾さんたちに見つかって?・・やっぱり仕事が進みません。
まあ、夜中にやろう・・ということで、あまり進みません(悩み)
翌日28日は、櫻井伸也さん(広島生まれ・現在イタリアトリノ在住)が、
帰国していて、アルテをたずねてくださいました。
彼とはアートフェア東京2010でもお隣のギャラリーから出展していたので、
4月に再会しました。ようこそ本島アルテへ。。
5月1日から金沢で展覧会がはじまるそうです。イタリアと日本で作品を発表されています。
6月ごろイタリアへ帰国予定とか。来年はヴェネチアビエンナーレがあるので、イタリアへ
行きたいです・・・。アートについていろいろ話し合いました。欧州も日本も厳しい状況のようです。
アジアは活気があります。アルテにも 台北、韓国、上海などの
アートフェアのお誘いをいただいていますが、今年は本島が忙しくなるので、参加は無理xですね。
*********
28日、岡さんが 新鮮なイカを6はいも持ってきてくださいました。
でも私は、いきたイカの処理など出来ません。。1はいだけ見本で
処理の仕方を教えてくださいましたが、勇気がなくて、そのままにしていました。
で・・夕方岡さんがお仕事が終わって尋ねてくださるまで櫻井君とワインを飲みつづけながら
雑誌取材の下見の方や丸亀市内の中学生と先生にパスタやランチをお出ししていました。
櫻井さんに手伝ってもらいながら。。
**************
29日は、香川+岡山の合同事業で、瀬戸大橋ウォーキングの人々300人が
いらっしゃっています。3班にわかれて本島を歩くのだそうです。お弁当持参の方なのですが
アルテにも作品鑑賞をかねて、カレーや珈琲を食していただきました。
喜んでくださるのでありがたいです。
春になり、様々な人々が訪れて居ます。
27日16時過ぎから本島へ入りました。この日は火曜日なので、溜まったギャラリーの仕事を
済ませておこうと、入ったのですが、「珈琲のませてくれる?」って
すぐ妹尾さんたちに見つかって?・・やっぱり仕事が進みません。
まあ、夜中にやろう・・ということで、あまり進みません(悩み)
翌日28日は、櫻井伸也さん(広島生まれ・現在イタリアトリノ在住)が、
帰国していて、アルテをたずねてくださいました。
彼とはアートフェア東京2010でもお隣のギャラリーから出展していたので、
4月に再会しました。ようこそ本島アルテへ。。
5月1日から金沢で展覧会がはじまるそうです。イタリアと日本で作品を発表されています。
6月ごろイタリアへ帰国予定とか。来年はヴェネチアビエンナーレがあるので、イタリアへ
行きたいです・・・。アートについていろいろ話し合いました。欧州も日本も厳しい状況のようです。
アジアは活気があります。アルテにも 台北、韓国、上海などの
アートフェアのお誘いをいただいていますが、今年は本島が忙しくなるので、参加は無理xですね。
*********
28日、岡さんが 新鮮なイカを6はいも持ってきてくださいました。
でも私は、いきたイカの処理など出来ません。。1はいだけ見本で
処理の仕方を教えてくださいましたが、勇気がなくて、そのままにしていました。
で・・夕方岡さんがお仕事が終わって尋ねてくださるまで櫻井君とワインを飲みつづけながら
雑誌取材の下見の方や丸亀市内の中学生と先生にパスタやランチをお出ししていました。
櫻井さんに手伝ってもらいながら。。
**************
29日は、香川+岡山の合同事業で、瀬戸大橋ウォーキングの人々300人が
いらっしゃっています。3班にわかれて本島を歩くのだそうです。お弁当持参の方なのですが
アルテにも作品鑑賞をかねて、カレーや珈琲を食していただきました。
喜んでくださるのでありがたいです。
春になり、様々な人々が訪れて居ます。
2010年04月23日
報告 アートフェア東京2010
笠島でまたお年寄りが一人亡くなり、本日は宇多津のベルモニーでお葬式を
するそうです。そのため、島の人はほとんど葬儀に参列するため
フェリーで出かけ、笠島はしーーーーんとしています。
*************
ギャラリーの仕事に専念しています。
ついでに、アートフェア東京の報告をしておきます。
アートフェアは内覧会4月1日。一般公開4月2日-4日まで
毎年、東京丸の内にある東京国際フォーラムで開催されます。
今年は国内外から140画廊が出展し、古美術から現代美術まで
様々な画廊が(扱い作家の)作品を紹介・販売する_国内では
規模が最大のフェアです。アルテは第二回から継続して出展しています。
大阪・京都からの出展はいくつかありますが、四国以西からはアルテのみ。
四国からだと、作品の輸送や期間中の滞在など、出展料に加えて経費が海外のフェアに
出展する感覚で必要になります。海外の場合はさらに、関税も考えなければなりません。
フェアに出展するには、作家との連携や意思の疎通も大切です。大変なものxです。
今年は3月31日から東京へ行き4月5日に戻ってきました。
31日は、リコシェの柳ケ瀬さんが、深川にあるそら庵さん、深川番所さんなどへ
案内してくださいまして、夜は深川ラボの白濱さんご夫妻も加わって、皆さんで
歓迎会というか、ご一緒に会食をしていただきました。
そら庵(1F)と深川番所(2F)は、深川にある古い印刷工場を再利用して活用していました。
イベントスペースやブックカフェ。朗読会、アコースティックライブ、自主映画会、トークイベントなど
のびやかで自由な場を作っていらっしゃいました。
アルテやアートフェアに出展するギャラリーとは、異なって、実にのびやかな印象でした。
アートフェアは昨年よりも初日から来場者は多かったのですが、
全般的に印象にのこるブースがなく、手堅くまとまった印象です。
ただ、来場数は昨年よりも5000人増の5万人とか。
購入するためというよりは、鑑賞のために来ている方が多く、
エンターテイメント化しているといっても良いでしょう。
これが日本のアートマーケットとしてのアートフェアかというもので
観客の態度、印象は大阪のアートフェアに酷似していると感じました。
ギャラリーそのもの、または作品を発表することその方法を
リストラする時期に来ているのだという実感を強くしました。
そういう意味でも本島へ移って良かったと確信を持ちました。
会場では、彦坂尚嘉さんと藏本秀彦さんの作品を持って行きました。
売り上げは良くなかったのですが、観客からの反応はとても良かったです。
他とは違いがあったようで、いい反応をいただきました。
本島や笠島地区にあるギャラリーということもアピール致しました。
確かに、離島に開いている画廊は、唯一でした。興味をもってくださった
方からは、ぜひ行きたいと。。今年は7月ごろ瀬戸内国際芸術祭があるので
香川に行くから、本島へも行きますよ。。
などなど、うきうきしたお声をかけていただきました。
楽しかったですよ。
するそうです。そのため、島の人はほとんど葬儀に参列するため
フェリーで出かけ、笠島はしーーーーんとしています。
*************
ギャラリーの仕事に専念しています。
ついでに、アートフェア東京の報告をしておきます。
アートフェアは内覧会4月1日。一般公開4月2日-4日まで
毎年、東京丸の内にある東京国際フォーラムで開催されます。
今年は国内外から140画廊が出展し、古美術から現代美術まで
様々な画廊が(扱い作家の)作品を紹介・販売する_国内では
規模が最大のフェアです。アルテは第二回から継続して出展しています。
大阪・京都からの出展はいくつかありますが、四国以西からはアルテのみ。
四国からだと、作品の輸送や期間中の滞在など、出展料に加えて経費が海外のフェアに
出展する感覚で必要になります。海外の場合はさらに、関税も考えなければなりません。
フェアに出展するには、作家との連携や意思の疎通も大切です。大変なものxです。
今年は3月31日から東京へ行き4月5日に戻ってきました。
31日は、リコシェの柳ケ瀬さんが、深川にあるそら庵さん、深川番所さんなどへ
案内してくださいまして、夜は深川ラボの白濱さんご夫妻も加わって、皆さんで
歓迎会というか、ご一緒に会食をしていただきました。
そら庵(1F)と深川番所(2F)は、深川にある古い印刷工場を再利用して活用していました。
イベントスペースやブックカフェ。朗読会、アコースティックライブ、自主映画会、トークイベントなど
のびやかで自由な場を作っていらっしゃいました。
アルテやアートフェアに出展するギャラリーとは、異なって、実にのびやかな印象でした。
アートフェアは昨年よりも初日から来場者は多かったのですが、
全般的に印象にのこるブースがなく、手堅くまとまった印象です。
ただ、来場数は昨年よりも5000人増の5万人とか。
購入するためというよりは、鑑賞のために来ている方が多く、
エンターテイメント化しているといっても良いでしょう。
これが日本のアートマーケットとしてのアートフェアかというもので
観客の態度、印象は大阪のアートフェアに酷似していると感じました。
ギャラリーそのもの、または作品を発表することその方法を
リストラする時期に来ているのだという実感を強くしました。
そういう意味でも本島へ移って良かったと確信を持ちました。
会場では、彦坂尚嘉さんと藏本秀彦さんの作品を持って行きました。
売り上げは良くなかったのですが、観客からの反応はとても良かったです。
他とは違いがあったようで、いい反応をいただきました。
本島や笠島地区にあるギャラリーということもアピール致しました。
確かに、離島に開いている画廊は、唯一でした。興味をもってくださった
方からは、ぜひ行きたいと。。今年は7月ごろ瀬戸内国際芸術祭があるので
香川に行くから、本島へも行きますよ。。
などなど、うきうきしたお声をかけていただきました。
楽しかったですよ。
2010年04月23日
離島のため
1)作品を輸送しようというとき島は運送業者がはいらない。
クロネコヤマトのみ、本島の業者で委託して配送しているが
150cmを超える作品は、輸送を受けてもらえない。
自力で搬入することになる。
2)島には、コンビにもスーパーもないから
当然、電気部品や工具類は手に入らない。
事前に綿密な計画が必要。
なんとかなると考えていると、大変な労力がかかってくる。
クロネコヤマトのみ、本島の業者で委託して配送しているが
150cmを超える作品は、輸送を受けてもらえない。
自力で搬入することになる。
2)島には、コンビにもスーパーもないから
当然、電気部品や工具類は手に入らない。
事前に綿密な計画が必要。
なんとかなると考えていると、大変な労力がかかってくる。
2010年04月21日
日本文化の形成 宮本常一
現場にしかないものがあるし、繰り返し調査をしないと見えてこないものがある。
只今、宮本常一氏による『日本文化の形成』を読んでいる。
宮本常一の最晩年の観文研での講義録と遺稿集から成る「日本文化の形成」は
未刊ではあるけれども、研究されてこられた思いが盛り込まれた到達点となる一書だ。
氏は広い調査、フィールドワークを積み重ね、民俗・民具資料についての深い造詣を持つ。
その人が文献に接したときに、どれほど豊かなものをそこから汲みとり、
またそれに触発されることによって、文献のみに閉じこもっている研究者には
到底思いつくことのできない、すぐれた新しい発想を展開する。
□人は古来より移動しつづけていたという点
さらに
この本では現在日本というひとつの国とみられているこの国が
かつては明らかに東北日本と西南日本で明らかに違う文化をもっていたことにも言及され、興味ふかい。
□海洋民としての倭人
文化はその技術のみで別の地域に伝わるのではなく、
その技術を有した人びととともに移動するという考えが氏の発想の根底にある。
大陸文化が海を越えるためには船を必要とするが、
大陸人は海に親しみがすくなく船の建造技術ももっていなかった。
そこで大陸と日本列島の文化の橋渡しを倭人が担う。
この倭人は縄文人の後裔ではなく、日本に稲作をもたらした南方の海洋民だろうと宮本さんはいう。
海洋民である南方民族の温かい気候での住居形態―高床式で、
壁をもたない柱のみの住居がその後の日本語の住宅となっていくという仮説。
温かい気候でこそ快適であった壁なしの住宅が、
日本の南方にくらべれば寒い気候でも移入されているという視点だ。
御簾や簾、蔀戸といった壁の代わりをなす間仕切りを用いる住居形態が、
南方の海洋民ゆずりとしている視点。
宮本常一の旅行日数約4000日、通過した町村3000、
足をとどめて話を聞いた箇所800、民家にとめてもらうことおよそ1000軒。
対象があり、対話の姿が示唆に富む。
現場にしかないものがあるし、繰り返し調査をしないと見えてこないものはある。
日本を形づくった『記憶の文化』をイメージしようとする人がどのくらいいるのだろう。
(網野善彦解説より引用)
近年の考古学の発掘成果によって、列島の社会はただ一方的に朝鮮半島・中国大陸の文化を受容してきただけでなく、済州島などを媒介として双方の間で活発な交流が展開しており、また西方からだけでなく、北方世界・南方世界との交流もまた「日本文化」にとって重要な意味を持っていたことが明らかにされつつあるが、宮本氏は早くもそれを見通し、これまでとは大きく異なる、まさしく海を通じての各地域の内外の交流の中で、「日本文化」をとらえようとしているのである。
それは列島の諸地域のそれぞれに形成された豊かな個性を明らかにする道をひらき、とかく大和、京都、あるいは鎌倉などの政治の中心から歴史を見がちだった日本史像、水田の開かれた地域を先進地域とし、山や海に関わる地域を頭から後進地域と見る日本社会像を根本的に修正する確固たる視点を築くことになっているが、これはくまなく列島の各地を歩いてきた宮本氏によってはじめてなしえたことといえよう。
只今、宮本常一氏による『日本文化の形成』を読んでいる。
宮本常一の最晩年の観文研での講義録と遺稿集から成る「日本文化の形成」は
未刊ではあるけれども、研究されてこられた思いが盛り込まれた到達点となる一書だ。
氏は広い調査、フィールドワークを積み重ね、民俗・民具資料についての深い造詣を持つ。
その人が文献に接したときに、どれほど豊かなものをそこから汲みとり、
またそれに触発されることによって、文献のみに閉じこもっている研究者には
到底思いつくことのできない、すぐれた新しい発想を展開する。
□人は古来より移動しつづけていたという点
さらに
この本では現在日本というひとつの国とみられているこの国が
かつては明らかに東北日本と西南日本で明らかに違う文化をもっていたことにも言及され、興味ふかい。
□海洋民としての倭人
文化はその技術のみで別の地域に伝わるのではなく、
その技術を有した人びととともに移動するという考えが氏の発想の根底にある。
大陸文化が海を越えるためには船を必要とするが、
大陸人は海に親しみがすくなく船の建造技術ももっていなかった。
そこで大陸と日本列島の文化の橋渡しを倭人が担う。
この倭人は縄文人の後裔ではなく、日本に稲作をもたらした南方の海洋民だろうと宮本さんはいう。
海洋民である南方民族の温かい気候での住居形態―高床式で、
壁をもたない柱のみの住居がその後の日本語の住宅となっていくという仮説。
温かい気候でこそ快適であった壁なしの住宅が、
日本の南方にくらべれば寒い気候でも移入されているという視点だ。
御簾や簾、蔀戸といった壁の代わりをなす間仕切りを用いる住居形態が、
南方の海洋民ゆずりとしている視点。
宮本常一の旅行日数約4000日、通過した町村3000、
足をとどめて話を聞いた箇所800、民家にとめてもらうことおよそ1000軒。
対象があり、対話の姿が示唆に富む。
現場にしかないものがあるし、繰り返し調査をしないと見えてこないものはある。
日本を形づくった『記憶の文化』をイメージしようとする人がどのくらいいるのだろう。
(網野善彦解説より引用)
近年の考古学の発掘成果によって、列島の社会はただ一方的に朝鮮半島・中国大陸の文化を受容してきただけでなく、済州島などを媒介として双方の間で活発な交流が展開しており、また西方からだけでなく、北方世界・南方世界との交流もまた「日本文化」にとって重要な意味を持っていたことが明らかにされつつあるが、宮本氏は早くもそれを見通し、これまでとは大きく異なる、まさしく海を通じての各地域の内外の交流の中で、「日本文化」をとらえようとしているのである。
それは列島の諸地域のそれぞれに形成された豊かな個性を明らかにする道をひらき、とかく大和、京都、あるいは鎌倉などの政治の中心から歴史を見がちだった日本史像、水田の開かれた地域を先進地域とし、山や海に関わる地域を頭から後進地域と見る日本社会像を根本的に修正する確固たる視点を築くことになっているが、これはくまなく列島の各地を歩いてきた宮本氏によってはじめてなしえたことといえよう。
タグ :本島笠島地区
2010年04月21日
大森南朋氏「UNCERTAIN(不確かなもの)」プロジェクト
大森南朋さんが、新たなプロジェクト開始。
大森さんが日々感じ、考えている事を形にして行くという内容だそうです。
その第一弾はB印 YOSHIDAさんと共同開発した台本カバー&台本ノート。
欠かせないモノである台本は、ドラマや舞台が終わる頃にはぼろぼろになってしまうもの。長い間使用するとても大切なものなのに、見た目も良く、機能的な気の利いたカバーは今迄あまり存在しないのではと思い、製作されたとか。
そしてノートは自分が映画を撮る時のアイデアやインスピレーションを書き留められる物として有ったら良いなと。
台本ノートという通常の台本にも使えるノートも発売。
詳しくは BEAMSサイトへ!!
B JIRUSHI YOSHIDAサイトも!!
いまや、美術以外の場所にアーティストはいるようだ。
大森さんが日々感じ、考えている事を形にして行くという内容だそうです。
その第一弾はB印 YOSHIDAさんと共同開発した台本カバー&台本ノート。
欠かせないモノである台本は、ドラマや舞台が終わる頃にはぼろぼろになってしまうもの。長い間使用するとても大切なものなのに、見た目も良く、機能的な気の利いたカバーは今迄あまり存在しないのではと思い、製作されたとか。
そしてノートは自分が映画を撮る時のアイデアやインスピレーションを書き留められる物として有ったら良いなと。
台本ノートという通常の台本にも使えるノートも発売。
詳しくは BEAMSサイトへ!!
B JIRUSHI YOSHIDAサイトも!!
いまや、美術以外の場所にアーティストはいるようだ。
タグ :本島笠島地区
2010年04月21日
笠島
4月7日から再び本島へ入っているが、
来客が多く、忙しさに追われている。
日々の売り上げや来場数を記録しているのだが
7日から11日までで100人を超えていた。
4月になってから、本島に滞在しているときは、
夕方も来客がままあって、丸亀でギャラリーを開いているときよりも
関わりが濃い。
ギャラリーだといちいち対応しなくても
ふらりと入って作品をながめて、黙って出て行くかたも
多く、対応しない場合が多いため、仕事に専念できるが
本島の場合は、和室のため。訪れた方は玄関で必ず
「ごめんください」と声がかかる。
そのため、全て対応することになる。
つまり100人以上のかたと対話することになる。
アートフェア東京2010の報告がまだ出来ていない。
また別の機会に・・。
今日はきがかりなことがあって、
仕事がすすまない。
今日水曜日から本島へ入った。
店につくとすぐに子猫がミャーと
向かいの家の塀から飛び出してきた。
やせている。東京から戻って気になっていたのだが
ますますやせている。
今日は、キャットフードを与えてもあまり食べない。
食欲がないようで、毛もつやがない。
一時は丸々としてきて、重くなって
ほっとしていたのに。。
日曜日よりもやせていたので、驚いた。
日曜日は私に甘えて、すぐ膝にのるので、
ずっと抱いていると、ごろごろと甘えていた。
今日も甘えてkるが、やせた原因がわからないので
抱いてやることが躊躇される。
ネットでいろいろ調べてみる。
病気かもしれないが。猫はデリケートな生き物だそうで
精神的なストレスでもやせるとか
月・火とお休みしているときは、隣の吉田さんが
見てくれるので、安心していたのだが
もしかして、私が見えなかったせい??と思ってみたりもする。
只今は、子猫と親猫が家の前の道路で
安心しきって、寝転んでいる。
栄養不足かな。
「病院へつれて行きたい」という私に
まきちゃんが「子猫は野良猫でもともと発育が悪い子だから
長生きできんよ。」という。
来客が多く、忙しさに追われている。
日々の売り上げや来場数を記録しているのだが
7日から11日までで100人を超えていた。
4月になってから、本島に滞在しているときは、
夕方も来客がままあって、丸亀でギャラリーを開いているときよりも
関わりが濃い。
ギャラリーだといちいち対応しなくても
ふらりと入って作品をながめて、黙って出て行くかたも
多く、対応しない場合が多いため、仕事に専念できるが
本島の場合は、和室のため。訪れた方は玄関で必ず
「ごめんください」と声がかかる。
そのため、全て対応することになる。
つまり100人以上のかたと対話することになる。
アートフェア東京2010の報告がまだ出来ていない。
また別の機会に・・。
今日はきがかりなことがあって、
仕事がすすまない。
今日水曜日から本島へ入った。
店につくとすぐに子猫がミャーと
向かいの家の塀から飛び出してきた。
やせている。東京から戻って気になっていたのだが
ますますやせている。
今日は、キャットフードを与えてもあまり食べない。
食欲がないようで、毛もつやがない。
一時は丸々としてきて、重くなって
ほっとしていたのに。。
日曜日よりもやせていたので、驚いた。
日曜日は私に甘えて、すぐ膝にのるので、
ずっと抱いていると、ごろごろと甘えていた。
今日も甘えてkるが、やせた原因がわからないので
抱いてやることが躊躇される。
ネットでいろいろ調べてみる。
病気かもしれないが。猫はデリケートな生き物だそうで
精神的なストレスでもやせるとか
月・火とお休みしているときは、隣の吉田さんが
見てくれるので、安心していたのだが
もしかして、私が見えなかったせい??と思ってみたりもする。
只今は、子猫と親猫が家の前の道路で
安心しきって、寝転んでいる。
栄養不足かな。
「病院へつれて行きたい」という私に
まきちゃんが「子猫は野良猫でもともと発育が悪い子だから
長生きできんよ。」という。
タグ :本島笠島地区
2010年04月17日
本島御大師巡拝
今朝は6時に起床。
まきちゃんが泊港まで自転車を取りに行っている間に身支度。
玄関にでると子猫が「朝ごはん~」とばかりにみゃーと近寄ってくるのを
尻目に専称寺へ、子猫まっててね。
安田さんがお友達とオンバをおして、「長徳院へいくの。昨日手伝えなかったから
愛ちゃんが怒っていてね。気にせんことよ。」といながら
途中のお接待の場所を案内してくれる。
私は早朝の朝日をあびながら・ホトトギスの鳴き声聞きながら
まずは、お参り、パンのお接待をうける。
帰り道の専称寺の階段を登って、お参り。
朝一番のフェリーで訪れた人々の続々とした群れをみて
感動というか、びっくり。。
その後、アルテに戻って、子猫に朝ごはんを与え、まきちゃんを待つ。
まきちゃんと長徳院へまめご飯のお接待をうけるため、自転車で走る。
その後甲生の東光寺へ。梅谷さんだ という声が聞こえて
大きなお赤飯をいただく。
私は店に戻り、まきちゃんは撮影をしてくると行って出かける。
今日はお接待があるので、食事の用意はいいかなと思いつつ
猫の相手をしているとお接待で赤飯もらっているのに「何か食べさせて」と人がドドドっと・・・
ふぅ・・野良猫まきちゃんは戻ってこない、
一人で応戦孤軍奮闘一応勝利かな食べさせてあげれたし。
食材なくなる。
疲労。お腹すいた。結局朝お接待の小さな赤飯パックのみ
炊き込むピラフの最後の一食まで完売。
まきちゃんが泊港まで自転車を取りに行っている間に身支度。
玄関にでると子猫が「朝ごはん~」とばかりにみゃーと近寄ってくるのを
尻目に専称寺へ、子猫まっててね。
安田さんがお友達とオンバをおして、「長徳院へいくの。昨日手伝えなかったから
愛ちゃんが怒っていてね。気にせんことよ。」といながら
途中のお接待の場所を案内してくれる。
私は早朝の朝日をあびながら・ホトトギスの鳴き声聞きながら
まずは、お参り、パンのお接待をうける。
帰り道の専称寺の階段を登って、お参り。
朝一番のフェリーで訪れた人々の続々とした群れをみて
感動というか、びっくり。。
その後、アルテに戻って、子猫に朝ごはんを与え、まきちゃんを待つ。
まきちゃんと長徳院へまめご飯のお接待をうけるため、自転車で走る。
その後甲生の東光寺へ。梅谷さんだ という声が聞こえて
大きなお赤飯をいただく。
私は店に戻り、まきちゃんは撮影をしてくると行って出かける。
今日はお接待があるので、食事の用意はいいかなと思いつつ
猫の相手をしているとお接待で赤飯もらっているのに「何か食べさせて」と人がドドドっと・・・
ふぅ・・野良猫まきちゃんは戻ってこない、
一人で応戦孤軍奮闘一応勝利かな食べさせてあげれたし。
食材なくなる。
疲労。お腹すいた。結局朝お接待の小さな赤飯パックのみ
炊き込むピラフの最後の一食まで完売。
2010年04月16日
食堂として喜ばれる日々
木曜日から本島入り
ギャラリーの仕事に滞りがあるため、5時以降は玄関の木戸を閉めていた。
岡さんと妹尾さんは夕方珈琲をのみにきたのだけど
閉っていたので、忙しいのだろうと帰ったのだそうだ。
昨日は、6時過ぎに裏口をたたく音がして、驚いて窓を開くと
安田のおばあちゃんが、「今夜はもうなにもつくらないの?」
私「自分も食べなきゃいけないから、なにかつくりましょう。いま表を開けますね。」
打ち込みうどんをつくりました。
そして、今日金曜日、まあなんとなく用意しておくかと
ポークビーンズ と じゃがいもを細くきって、ハッシュポテトをつくった。
11:00頃予約の電話
支度しておいて良かった。。
妹尾さんがなにかあるかな・・?
今日は雨昼間のランチはこれでオシマイ。
残りを昼に到着したまきちゃんと私で食した。
5時前に、安田さんが、「亡くなったおじいさんのかたづけしていて
遅くなってしまって、つかれたから今夜食べにきてもいいかな?」
私「いいですよ。用意しますから6時ごろきてくださいな。」
そこで、また仕度をする。
炊き込みピラフをつくりたくなって、下ごしらえをして炊飯器に仕掛ける。
まきちゃんは、どこへいったのいか・・・
安田さんが来て待っていてもらっていると
妹尾さん、岡さんが 「掃除して疲れたのでお腹すいたデス。
なんでもいいから、もらえる?」
私「ピラフいま炊き上がったので、それでもいい?」
ねぎと榎のすまし汁も加えてお出しすると
まあ 綺麗!とうれしそうな笑顔がうれしい。
喜んでもらえることは、私を幸せにしてくれる。
安田さんは、先日ご主人を亡くしたばかり、まだ夜一人で食事するのが、さびしくなるからじゃないかな?
お話をしていて、ふとそんな気がした。
妹尾さんも岡さんも一人暮らし。
ここが、あったかい場所になれればそれは素敵なことだと思う。。
今夜もなんとなく、ふかふかした夜を過ごせています。
ギャラリーの仕事に滞りがあるため、5時以降は玄関の木戸を閉めていた。
岡さんと妹尾さんは夕方珈琲をのみにきたのだけど
閉っていたので、忙しいのだろうと帰ったのだそうだ。
昨日は、6時過ぎに裏口をたたく音がして、驚いて窓を開くと
安田のおばあちゃんが、「今夜はもうなにもつくらないの?」
私「自分も食べなきゃいけないから、なにかつくりましょう。いま表を開けますね。」
打ち込みうどんをつくりました。
そして、今日金曜日、まあなんとなく用意しておくかと
ポークビーンズ と じゃがいもを細くきって、ハッシュポテトをつくった。
11:00頃予約の電話
支度しておいて良かった。。
妹尾さんがなにかあるかな・・?
今日は雨昼間のランチはこれでオシマイ。
残りを昼に到着したまきちゃんと私で食した。
5時前に、安田さんが、「亡くなったおじいさんのかたづけしていて
遅くなってしまって、つかれたから今夜食べにきてもいいかな?」
私「いいですよ。用意しますから6時ごろきてくださいな。」
そこで、また仕度をする。
炊き込みピラフをつくりたくなって、下ごしらえをして炊飯器に仕掛ける。
まきちゃんは、どこへいったのいか・・・
安田さんが来て待っていてもらっていると
妹尾さん、岡さんが 「掃除して疲れたのでお腹すいたデス。
なんでもいいから、もらえる?」
私「ピラフいま炊き上がったので、それでもいい?」
ねぎと榎のすまし汁も加えてお出しすると
まあ 綺麗!とうれしそうな笑顔がうれしい。
喜んでもらえることは、私を幸せにしてくれる。
安田さんは、先日ご主人を亡くしたばかり、まだ夜一人で食事するのが、さびしくなるからじゃないかな?
お話をしていて、ふとそんな気がした。
妹尾さんも岡さんも一人暮らし。
ここが、あったかい場所になれればそれは素敵なことだと思う。。
今夜もなんとなく、ふかふかした夜を過ごせています。
2010年04月16日
おひとり様のたび
笠島地区には、江戸時代の建物にとまれる民宿「大倉邸」がある。
口コミで訪れる人があって、リピーターもある。
一組限定で、宿泊のみで自炊。
2名から1人4000円 3名から7名までは3000円
8名以上15名までは2000円となる。
近頃は一人旅のかたも多く、大倉邸は規定が2名からのため
受け入れを行っていない。
おひとり様の旅が増えている今、もう少し柔軟な対応はできないものだろうか。
自炊と言ってもコンビニや市場がない本島の場合、
食材から調味料まで持ち込ぶので、かなり大荷物となる。
このあたりも、宿泊の申し込みを受けてから、希望者にはチェックリストを
用意しておいて、必要な食材や調味料を用意してあげるサービスがあればありがたい。
私たちも以前は、大倉邸に泊ったこともあって、こういうサービスがあればありがたいと
感じたことである。
ニーズがあるのだから、惜しいと思う。
丸亀市から業務委託を受けて行っている民宿事業だ。
行政が関るとどうしてこうも、愛想が悪くなるのだろう。
口コミで訪れる人があって、リピーターもある。
一組限定で、宿泊のみで自炊。
2名から1人4000円 3名から7名までは3000円
8名以上15名までは2000円となる。
近頃は一人旅のかたも多く、大倉邸は規定が2名からのため
受け入れを行っていない。
おひとり様の旅が増えている今、もう少し柔軟な対応はできないものだろうか。
自炊と言ってもコンビニや市場がない本島の場合、
食材から調味料まで持ち込ぶので、かなり大荷物となる。
このあたりも、宿泊の申し込みを受けてから、希望者にはチェックリストを
用意しておいて、必要な食材や調味料を用意してあげるサービスがあればありがたい。
私たちも以前は、大倉邸に泊ったこともあって、こういうサービスがあればありがたいと
感じたことである。
ニーズがあるのだから、惜しいと思う。
丸亀市から業務委託を受けて行っている民宿事業だ。
行政が関るとどうしてこうも、愛想が悪くなるのだろう。
2010年04月11日
今日はこれから
東所通路の区長さんが、「長徳寺の法要が3時からあるので一緒に行こう」と
声をかけてくださったので、行ってまいります。
長徳寺は、平安時代の長徳年間(西暦995~998)の開基と言われ、壱千年余の歴史があるお寺です。
モッコクの木は樹齢450年。多くの文化財が遺されています。
本尊は、阿弥陀如来像(平安時代 市重要文化財)
ヒノキの寄木造りで、平安の名僧"恵心僧都”の作といわれています。
像高35.8cmの小像ながら肉髻は高く、螺髪は小さく並び、脹よかな顔、美しい衣紋の流れなど
典型的な藤原時代の優作である。
天文在銘の絵瓦・文字瓦(戦国時代 市重要文化財)
かつて、本堂の屋根に葺いてあった絵瓦17枚(左)並びに文字瓦(右)19枚。
天文14年(1545)に入江源七良等によって寄進されたものである。
モッコク(県指定 ふるさとの名木)
樹齢約500年、幹の周囲3.5m、枝は約2アールの地をおおう珍しい樹形の大木である。
モッコクは本来、ヒノキ、スギなどの如く高木であるので、横に広がった樹形は全国的にも極めて珍しい。
平成16年8月の16号台風で枝に被害が発生。急遽、県樹木医の指導の下、枝を保護するための支柱を立てた。
八臂辨財天(平安時代)
屋島の戦いに敗れた平家の落ち武者が、九州に逃れる途中、本島に隠れ住み、その子孫が代々奉安・帰依していた仏様です。
特に商売繁盛、縁結び、交通安全、息災延命の守り本尊として、京阪神方面まで汎く信仰を集めております。
香川県にあって、香川の人が案外と価値を知らない。
香川の人々へ情報が発信されていなかったように思う。
もったいない。
声をかけてくださったので、行ってまいります。
長徳寺は、平安時代の長徳年間(西暦995~998)の開基と言われ、壱千年余の歴史があるお寺です。
モッコクの木は樹齢450年。多くの文化財が遺されています。
本尊は、阿弥陀如来像(平安時代 市重要文化財)
ヒノキの寄木造りで、平安の名僧"恵心僧都”の作といわれています。
像高35.8cmの小像ながら肉髻は高く、螺髪は小さく並び、脹よかな顔、美しい衣紋の流れなど
典型的な藤原時代の優作である。
天文在銘の絵瓦・文字瓦(戦国時代 市重要文化財)
かつて、本堂の屋根に葺いてあった絵瓦17枚(左)並びに文字瓦(右)19枚。
天文14年(1545)に入江源七良等によって寄進されたものである。
モッコク(県指定 ふるさとの名木)
樹齢約500年、幹の周囲3.5m、枝は約2アールの地をおおう珍しい樹形の大木である。
モッコクは本来、ヒノキ、スギなどの如く高木であるので、横に広がった樹形は全国的にも極めて珍しい。
平成16年8月の16号台風で枝に被害が発生。急遽、県樹木医の指導の下、枝を保護するための支柱を立てた。
八臂辨財天(平安時代)
屋島の戦いに敗れた平家の落ち武者が、九州に逃れる途中、本島に隠れ住み、その子孫が代々奉安・帰依していた仏様です。
特に商売繁盛、縁結び、交通安全、息災延命の守り本尊として、京阪神方面まで汎く信仰を集めております。
香川県にあって、香川の人が案外と価値を知らない。
香川の人々へ情報が発信されていなかったように思う。
もったいない。
2010年04月10日
募集
旧暦3月4日 4月17日は お大師参りのお接待が行われます。
瀬戸内海に浮かぶ丸亀市の本島を会場に行われる伝統的な行事です。
島内外からお遍路さんが訪れて島内にある33の寺やお堂を巡り、島の人たちがお茶やお菓子などでお遍路さんを接待します。
高齢化しているため、笠島地区の方から
お手伝いいただける方を募集しています。
16日から入って17日 5時くらいまで
おもてなしのお接待ボランティア数名ほど緊急募集です。
ご参加いただけるかたは、アルテまでメールかお電話でご連絡ください。
締め切り 4月14日まで
電話 0877-57-8255 または 0877-27-3607
090-1855-8438
メール arte@mti.biglobe.ne.jp
開催場所 香川県丸亀市 本島町内一円
瀬戸内海に浮かぶ丸亀市の本島を会場に行われる伝統的な行事です。
島内外からお遍路さんが訪れて島内にある33の寺やお堂を巡り、島の人たちがお茶やお菓子などでお遍路さんを接待します。
高齢化しているため、笠島地区の方から
お手伝いいただける方を募集しています。
16日から入って17日 5時くらいまで
おもてなしのお接待ボランティア数名ほど緊急募集です。
ご参加いただけるかたは、アルテまでメールかお電話でご連絡ください。
締め切り 4月14日まで
電話 0877-57-8255 または 0877-27-3607
090-1855-8438
メール arte@mti.biglobe.ne.jp
開催場所 香川県丸亀市 本島町内一円
2010年04月09日
春野菜の植え付け
アルテの山手専称寺の櫻が満開です。
今日はなんとなくシーンとしていました。
JAから注文していた春野菜の苗や種を届く日だったので
笠島の住民のみなさん 畑に・・。
高島さんがどうするか?トマトや胡瓜や夏野菜を育てるなら
今が植えつけ時期じゃ・・・
野菜は毎日おはようと声をかけにゃいかんぞ!と教えてくださいました。
アーティストがトマト畑やかぼちゃ畑を持つのは面白いのですが
育てるという作業がありますからね。
いただいたほうれんそうを洗っていると
野菜の葉のつき方とかはじめて知ることが多いのです。
スーパーではそういうことは体感できませんね。
くらしの背景ががたがたに崩れているのは、
私たちの暮らしに奥行きや広がりを失っているためでしょう。
ものの誕生した背景には理由があって、
それがある社会には醜いものはなかったということを伺いました。
美しいものが探しても見つからなくなっています。
2010年04月07日
4月7日
ひとまず4月恒例のアートフェア東京が終わり、5日やっと丸亀に戻り
今日から本島に入りました。
櫻のトンネルをくぐって笠島へ
ムスカリが咲いていたところは、今は白いすずらんが可憐に咲いている。
作品配送とか、経費の精算とか
まだまだアートフェアの仕事は終わりませんが、さあ新しいことがはじまります。
今年後半から本島で展開する「食とアート」のアーティストインレジデンスに応募された
資料が届いていたので、只今は目を通している。
+++++++++++++++++++++++++
こんにちは!
お帰り!
しばらく休んどったな!
おう!今日は?泊るんか?なんじゃまきちゃんもきとるんか!
などと口々に笠島の人々が尋ねてくださる。
岡さんが、夕方仕事帰りに「梅谷さんもう仕事するのいや?」といいながら
摘みたてのわらびを持ってきてくださる。
勝手口をどんどんたたく音で、ドアを開くと
高島さんが、青々としたりっぱに成長したほうれんそうを一抱えも持って立っていた。
「もう今年はこれでしまいじゃ・・」
夕方、菊菜も持ってきてくださった。
猫はたぶん私のことは忘れているだろうと思うと
くろちゃんととらちゃんが みゃーといって駆け寄ってくる。
とらちゃんは、白い毛がグレーになっている。
それでスリスリ足に顔を押し付けて、甘えている。
抱き上げると重くなっていて、あれほど貧相だった子猫がやっと
まともになっていた。まだ体は小ぶりだが、もう大人になっているのに
足が小さい、子猫のときに栄養状態が悪くて死相がでていた子だから
でも、健康そうになっていた。私が留守のときに、お隣の吉田さんが
ドッグフードを与えてくださっていたからだ・・。
玄関に出るとどこからともなく
二匹が駆け寄ってきて、遊ぼうと私を誘う。。
猫と戯れていると、安田さんが、「今日の夜はなんかつくるの?」と
私が 「そうね、鶏の手元とジャガイモのさっぱり煮でもつくろうかな」というと
じゃあ 食べに来るね
岡さんも私もいいかな
そこでアートフェアの事後処理の仕事の合間に
お米を仕掛け、惣菜をつくる。まきちゃんもホウレンソウを洗って
下ごしらえを手伝ってくれる。
林哲夫展のあとなので、展示していた作品をかけかえ
これからのギャラリースペースの改装をいろいろ検討する。
これからの展覧会の準備もあるので、いい緊張感で
久しぶりに今夜はくつろぐ。
今日から本島に入りました。
櫻のトンネルをくぐって笠島へ
ムスカリが咲いていたところは、今は白いすずらんが可憐に咲いている。
作品配送とか、経費の精算とか
まだまだアートフェアの仕事は終わりませんが、さあ新しいことがはじまります。
今年後半から本島で展開する「食とアート」のアーティストインレジデンスに応募された
資料が届いていたので、只今は目を通している。
+++++++++++++++++++++++++
こんにちは!
お帰り!
しばらく休んどったな!
おう!今日は?泊るんか?なんじゃまきちゃんもきとるんか!
などと口々に笠島の人々が尋ねてくださる。
岡さんが、夕方仕事帰りに「梅谷さんもう仕事するのいや?」といいながら
摘みたてのわらびを持ってきてくださる。
勝手口をどんどんたたく音で、ドアを開くと
高島さんが、青々としたりっぱに成長したほうれんそうを一抱えも持って立っていた。
「もう今年はこれでしまいじゃ・・」
夕方、菊菜も持ってきてくださった。
猫はたぶん私のことは忘れているだろうと思うと
くろちゃんととらちゃんが みゃーといって駆け寄ってくる。
とらちゃんは、白い毛がグレーになっている。
それでスリスリ足に顔を押し付けて、甘えている。
抱き上げると重くなっていて、あれほど貧相だった子猫がやっと
まともになっていた。まだ体は小ぶりだが、もう大人になっているのに
足が小さい、子猫のときに栄養状態が悪くて死相がでていた子だから
でも、健康そうになっていた。私が留守のときに、お隣の吉田さんが
ドッグフードを与えてくださっていたからだ・・。
玄関に出るとどこからともなく
二匹が駆け寄ってきて、遊ぼうと私を誘う。。
猫と戯れていると、安田さんが、「今日の夜はなんかつくるの?」と
私が 「そうね、鶏の手元とジャガイモのさっぱり煮でもつくろうかな」というと
じゃあ 食べに来るね
岡さんも私もいいかな
そこでアートフェアの事後処理の仕事の合間に
お米を仕掛け、惣菜をつくる。まきちゃんもホウレンソウを洗って
下ごしらえを手伝ってくれる。
林哲夫展のあとなので、展示していた作品をかけかえ
これからのギャラリースペースの改装をいろいろ検討する。
これからの展覧会の準備もあるので、いい緊張感で
久しぶりに今夜はくつろぐ。