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Posted by あしたさぬき.JP at

2010年11月26日

猫のこと

昨年冬 アルテの床下で暮らしはじめた元気という名前の野良猫:子猫は

りっぱな豚のようなメタボ猫になっている。隣の吉田さんが

かわいそう、かわいそうといって3食も与えていたから

毎日のように太っていく。

黒ちゃんという名の野良猫は、同じだけ食べるのにやせている。

玄関が開いていると、にゃんとも鳴かず、そーっと忍び込んで

えさになるものを物色する。

この秋からもう一匹子猫が加わって、この頃は寒くなったので

3匹の猫がアルテの玄関の敷居の上で団子になっている。

 子猫は、離乳の時期で、ミャーミャーよく啼く猫である。

最初捕まえた時は、ギャーと暴れて指を噛まれたので

しばらくは凶暴猫とよんでいたが、すぐになれて

なついてきた。一昨日夜、座敷の窓を開いたとたん

ぴょんと部屋に飛び込んできたので、数時間遊んでいた。

突然ばたっと倒れて動かない~。死んだ?

うーんぴくぴく。でもぐるぐる回って,路まで出てばたんと突っ伏して動かない。

死んだと思った。明日大騒ぎになるだろうと思いながら、どうしようもなく眠る。

翌日、石畳の下から子猫の鳴き声、どこから入ったのか?

なにかに挟まったのか、啼くだけで姿が見えない。でも来客が多く助けてやれない。

夕方になって、子猫の声がしなくなった。死んだのかと思って、やってきた妹尾さんに

相談して、探してもらう。でも見つからない。

展示場を締めに出かけた時、遠くで子猫の鳴き声がして、探してみると

空き家の庭の植え込みで、大きな口をあけて啼いていた子猫を見つけた。

生きていた!そのとき、子猫が眠る時はばたっと突然眠ること初めて知った。

 昨日は、寒い晩で、夜どおしミャーミャーと外で啼いている。

箱に断熱材をしいたベッドを作って、外においてやる。でも気に召さないのか

すぐに外に出て、また寒そうに啼く。

かわいそうになって、部屋に入れてストーブのそばで温めてやる。

まきちゃんは丸亀に戻っていて、一人だったので、

まきちゃんにどうしたらいい?と相談した。

夜中、箱に猫の糞場の砂を入れてやって簡易トイレを作る、

その他の布団は全て押し入れにいれた。

そして、洗面所を子猫のお風呂にして、足の汚れを洗ってやり

温めた、なにも知らない子猫は気持ちよさそうに温まっていたが

湯から出すとギャーと騒ぐので、すぐにタオルに包んで乾かして

ストーブの前で抱いていると、またしてもばたっと眠る。

ひたすらすやすやと眠る子猫を布団に入れて、朝まで一緒に眠る。

元気が子猫のときは、布団におしっこやウンコを必ずされたが

子猫のベルちゃんは、そそうはしなかった。

ベルの方が猫らしい。元気は変な猫だと改めて思った。

かならず、私が外に出ると にゃんと啼いている。

でもちかづくと、逃げようとしながら、捕まえられて

だらーーんとおとなしく抱かれながら、いやんいやんと啼いている、毎回。。

そして、人が沢山来ると必ず姿をみせて、人ごみの真ん中でじっと座っている。






  
タグ :猫のこと


Posted by ギャラリーアルテ at 00:21Comments(0)日々のこと

2010年11月25日

AIR展覧会

海外からも含めて、展覧会を鑑賞しようと

笠島保存地区に様々な方が訪れてくださっています。

そのため、早朝から終日バタバタ・・物思いにふける余裕ももらえない有様。

アート鑑賞+咸臨丸ランチの予約が続いて、ブログの更新が出来ない状態が続く。

11月23日 ふれあい祭りも咸臨丸ランチを食べたいという方で

足の踏み場がない。。

助っ人 斜木さん、松本さん、千葉さん、まきちゃん という昨年のメンバーで

連携もよろしく、次々に6品の咸臨丸ランチをこなしてくださった。

冬Versionの 鮭と大根のクリーム煮 好評ですが、

大量につくるには、まだまだ開発途中。

結局食材があるだけで、41食完売。。

翌日も、アート鑑賞+ランチ パスタやピザでバッタバタ

本日も朝から咸臨丸ランチを希望されるかたの鑑賞者が続く。

一人だったので、お客さんまで手伝ってくださり、じゃがバター用のじゃがいもは

島の人が連携して、調達して持ってきてくださる。

島ならでは。。

展覧会を終える28日までアート鑑賞+caféはにぎわいそうです。

松宮硝子さんは、11月28日ごろ本島入りの予定。

島の子供たちとのワークショップ日程はいかに決まりました。

12月6日(月)本島小学校20名

会場 アルテ 

9時より11時ごろまで

1)竹紙で自分だけの架空の生き物を作ろう。

2)保存地区 伝建建物内のアート作品鑑賞 
  


2010年11月13日

咸臨丸ランチ

平日も「食とアートのプロジェクト~塩飽本島晴れに耕す。そしてアート」展の鑑賞に

島外から訪れていただいている。それに呼応して食事のほうもお客様が続く。

木曜日は一人だったので、早朝から忙しかった。土曜日まで食事とアート鑑賞のお客様が途切れず

疲労もピークに・・・。

鮭の手作りクリームパスタ、トマト&バジルのパスタ。手作りピザなどなど。

咸臨丸ランチは毎週のように予約が入っていて、7月から今日までで数えると125食作っていた。

11月23日のふれあい祭りには既に30食の予約をいただいている。当日は50食までは作る予定。

これはちょっと根性入れないと、乗り切れない。助っ人も3人は必要。

 食とアートのプロジェクト

A部門の計画には 畑での野菜づくり、そしてCafeのメニューの開発があった。

畑での野菜栽培は、初年度はすぐには成果が見出せそうになかったが、

試行錯誤の後、夏サポーターとして参加してくれた佐藤佳紀君が

毎朝6時ごろから、涼しい時間帯に荒れた畑を耕してくれたお蔭で、

一昨日、新に生えた雑草を取り除いてようやく、冬野菜を栽培する準備が出来た。

アルテの畑は、砂地と肥えた土の部分と2種類あるので、

砂地には、サツマイモやタマネギ

肥沃地には、スィートバジルや大根を植える。

夏 バッタに食べられつくしたと思われたスィートバジルは新芽が出て

青々とした葉を付けている。早速昨日のパスタに使用した。

採りたてのバジルの葉は瑞々しく、色も鮮やかだ。

そして、Cafeメニューの開発という部分は、ひらめきのような、偶然の産物、咸臨丸ランチになろう。

咸臨丸の水夫髙島清蔵の末裔の家が、アルテの建物。『咸臨丸洋行日録』から

ジョブス・ホテルにおける歓迎会の記録を抜粋して、アレンジして出来たのが咸臨丸ランチなのである。

・コーンポータージュスープ
・長ネギたっぷりのピリ辛肉飯
・じゃがバター
・季節のサラダ
・季節のメインディッシュ・・・只今は茄子とえびのスィートバジル炒め
美味しいと好評なのではあるが、季節の食材を使いたいので、冬バージョンを開発中。

 記録には なま鮭の煮タルモノ
        トリニク
        ダイコンノ千六本 などあるので

 大根と鮭のクリーム煮が有力かな?

同じくA部門・・・竹から紙を作る

 紙を制作するよりも紙づくりの環境を作り出すことが

本島の人が求めている土産物として発展できるのではと

試みたことであったのだが、思想が製作者と共有できなかったために

意図しない結果になっている。

これは、来年再チャレンジする。







  


2010年11月09日

人間の運命

只今は私は、笠島のアルテに一人、何ヶ月ぶりかのひっそりとした時間をすごしている。

夏の猛暑は思い出となり、冬の寒さが日ごとにますこの頃。

今日の瀬戸内の海はというと、冬の寒風で白波がたち、小さな高速艇は、左右に大きく

傾き、波が窓にザブンザブンと打ち付ける中の航行だった。

日中2便は運行取りやめとなっていた。「このまま20分もジェットコースター状態は

勘弁してよ。」と思わず言ってみても、乗り込んでしまったのだから、仕方がない。

咸臨丸は35日間が荒波だったと記録にあったが、さぞかし不安だったろう

などと考えて過ごした。

先日11月6日松宮硝子さんが笠島を離れ、作家の滞在制作はひとまず終了した。

展覧会は11月28日まで、私は、あと数十日は、まだまだ月火の休みを返上したかたちで

ひたすら咸臨丸ランチづくりとギャラリー業務に追われる日々が続く。

 本当に10月は、多忙な月だった。月火の休みが取れぬまま、11月になだれ込んだ。

さらには咸臨丸150周年記念の行事もあって多くの人々が笠島やアルテを訪ねてくださるが、

そのため、11月7日まで全く休暇をとることが出来ないまま、

笠島に滞在することになってしまったのだ。

さらに、7月からの作家との日々のやりとり主にドタバタであるが、

ブログにアップできなかったことは、悔しい限り。

多忙の始まりは、大倉邸に3.4日滞在して笠島を描きたいという人々だった。

ついては食事の方をアルテでよろしく頼みたい。

10日の展覧会を目前に控え、通常でも早朝から訪れる人々の対応に

終始し、ただでもギャラリー業務が滞っているのに・・。

お客様は、刺激的な人々であって、

肉体的にはきつい日々だったが、精神的には緊張感が楽しかった。

そのお一人から先日11月5日一冊の本が贈られてきた。

「よど号」事件三十年目の真実 対策本部事務局長の回想
島田滋敏/著
出版社名 草思社
というものだった。

島田さんは、昨年笠島を訪れていただいた白金台にお住まいの某社長のご友人。

その某社長、東京で笠島や笠島に移転したアルテを皆さんに

薦めてくださるものだから、島田さんが、興味を持ってくださって、

以来のご縁の方。

島田滋敏 さんは、S45年、「よど号」事件の当時、日航の対策本部事務局長として、

陣頭指揮をとられた方。 福岡での給油後、ピョンヤンに向けて飛び立ったはずの

「よど号」はなぜ、ソウル金浦空港に降りたのか。「金浦偽装着陸」について

当時は語ることが出来なかった事件の真実について、

当事者であるからこそ、30年後の今語ることに胸つかれる。

様々な想いが巡る。

また石田機長のその後の人生の変化を知ることとなった。

人間の運命というものを考える。

改めて、一期一会を深く胸に刻む。

時間は常に流れてゆく。

その瞬間に燃焼できているか。

怠惰に過ごしていないか。





  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:32Comments(0)art