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Posted by あしたさぬき.JP at

2011年07月06日

人間そのものの達人か・・・

数日、精神がまいっていた。

今朝ふとテレビの再放送で

 「剣客商売」を見る。

瑞々しくうるおった。

飄々として、粋な老人が、元気をくれた。

+++++
先日、離島の人口統計表を手に入れる。

本島は、513人が暮らし、65歳以上 高齢化率52%

手島 36人 高齢化率90.5%




  


Posted by ギャラリーアルテ at 11:55Comments(0)日々のこと

2011年06月10日

6時半起床

朝カフェをふとはじめたら

喜んでいただいている。

8時くらいならと始めたのだが、島のお年よりは

朝早く畑のことをする。

7時半に来たい!と予約いただいたので

今日から頑張って、6時に起きルことになった。

私の畑では今トマトやバジルが育っている。

イタリアンカフェなので、新鮮なバジルはうれしい。

きゅうりやナスも植えました。オクラもパプリカも植えました。

島の方からも、採れたての野菜をほぼ毎日のようにいただきます。

ジャガイモ、紫たまねぎ、きゅうり

夏野菜は育てるのも楽で、新鮮で安心な野菜はありがたい。

魚は、いまはキスが旬です。

1000円で15-16匹くらい。

本島の方は、これ以上エコは出来ないくらいエコな生活です。

周回遅れで先頭走っているようです。

本島は、丸亀へも児島へも20分~35分で行くことが出来ます。

結構便利な位置にあります。その上静かで穏やか

6年前から、魅力的だと感じていました。

ここに移してよかったとしみじみ思います。

笠島地区全体がギャラリーとして考えて、古民家を使って

様々な展覧会が出来ます。

それにお客様も流石に今年は海外からへ、5月の台湾から来たという

若い男子二人だけですが(去年は欧米の方で研究者が特に多かった)

丸亀とは異なった形で訪れる方が多いのです。

それにじっくりとお話をすることになるので、リーピート率が高いことも

  


Posted by ギャラリーアルテ at 13:15Comments(2)日々のこと

2011年06月06日

菅下ろしの真相

原発利権が潜んでいるのでは?

自民党政権下に原発は進められて、

クリーンエネルギーと言い、電化が

推奨された。

菅下ろしには、この触れてはいけない真相究明を

だれかが、危惧しているためでしょうか?

おかしい。  

Posted by ギャラリーアルテ at 19:15Comments(0)日々のこと

2011年06月02日

亡国の政治

誰も彼も批判ばかりで、

こうするというのが、なぜ出ない。

ひどい国政だと思う。

政治や行政に頼らず、国民は共に

他利を基本に行動することを考えるべき。

只今のような時代に、選挙に行かなくてよろし。

国民を愚弄しているというか

ああぁ。。。

こんな政治、許容してはいけない。

どこかの方は、選挙へ行こうと呼びかけているようですが

ノーテンキに生きずに、ちゃんと見るべし。


戦後、国鉄総裁の就任に際して

「疎にして野なれど卑にあらず」と国会で語った

石田礼助のような人物は、生まれない時代なのか。

権力におもねることなく正論を吐き

決して卑屈な態度はとらなかった 石田礼助のこの言葉が

私の座右の銘です。

ちなみに先月本島を再訪してくださった島田滋敏さんたちにも座右の銘を伺った。

島田滋敏さん「花なくて老いるは、無益(むやく)なり」
「男はタフでなければ生きては行けない。
やさしくなければ、生きる資格がない」

平沢弘さん「い得てる、それもひとつのアイデアだ。」

高橋精一さん「飲水思源」

本橋和彦さん「愚直、人の悪口はいわない」

荷見三七子さん「美点凝視」

と伺いました。みなさんとは、とても豊かで楽しい時間を過ごさせていただき、

久々に心がふっくらとしました。

とても本島やアルテを気に入ってくださった様子で、

また行きますとご連絡をいただきます。

とてもありがたく、報われる想いで満たされます。






  


Posted by ギャラリーアルテ at 21:30Comments(0)日々のこと

2010年12月16日

今朝ベルが死んだ








16日朝9時7分 子猫のベルが息を引き取りました。

12日日曜日 子猫のベルの様子がおかしい。

左眼がひらかなくなって、白濁しているように見える。

動きも鈍くなって、呼びかけてもうずくまったまま。

病院へつれていくことにして、電話帳片手に動物病院を探す。

秋山動物病院は日曜日も午前ならば診察していることを知ったが

午後を過ぎてしまった。取り合えず電話をかけると、転送電話で

先生に繫がったので、事情を話すと、夕方6時に診察してもらえることになった。

5:10のフェリーではギリギリ、2:15分で丸亀に戻ることにして

支度をしていると、知人が展覧会を観に本島を訪ねてくださる。

案内をして、猫の事情を話して、一緒に手伝ってもらい、

2時の船で丸亀に戻った。キャリーバッグをもっていなかったので

箱に入れたが、ベルはいやがって外に出たがる。添乗員から

船室にはいっては駄目といわれるので、船尾で丸亀まで

タオルに包んでいたが、丸亀についたときには、体温が下がって

危篤の状態。まきちゃん宅でストーブの前で温めながら

6時まで待って、動物病院へ行く。。

猫インフルエンザだった。先生からは、「もう危ない状態だけれど、今夜中ついていて

やれますか?この補助食を一日がかりで食べさせてください。明日またこれますか?

しばらく通院できますか?片手間では駄目ですよ。付きっ切りで介護してあげなければ

助けることはできませんよ。」といわれるまま。

戻って、コタツと猫トイレを用意して、暖かくしてベルを寝かせる。

私たちもベルに添い寝しながら、13日の朝を迎えることが出来た。

ベルはトイレに行きたいとにゃんとないて、ちゃんとトイレで用を足す。

茶碗に入れた水も自分で飲んでいる。きっと助かる。助かってと願いながら

夕方補助食を食べきらせて、病院へ。先生は、驚いていたが、「よし、生きられるかもしれない」

インターフェロンを注射してもらい、また13日も添い寝する。

下痢が続いている。骨と皮の状態。

14日、体重600グラム。体温40度。骨と皮なので、自分の体温がなく。

外気温に影響される。でもベルは食べようという意思を見せているので、

1才までの子猫用のウエットフードや猫砂を買ってくる。

今夜も添い寝。うとうとするとベルが起きるので、トイレに連れて行って

後始末をして、水を飲ませる。強制的に補助食を与えるが、嫌がる。それでも薬だからと

食べさせると飲み込んでくれた。

15日午後休診なので、朝病院へ、体温が平熱に自分の体温が戻った。

下痢はまだ続く。ほぼ吸収しないのか、ますますやせて、500グラム。

ともかく食べさせなくてはと思うが、ほとんどコタツですやすやと眠っている。

鼻のつまりは点眼液で緩和されたのか、すこし楽そう。鼻がつまっているので、

湿った綿でぬぐって、鼻くそをとる。1ミリくらいの鼻の穴。口は5ミリもない。

ほほはこけてやせている。あの元気にぴょんぴょん飛び回っていた頃の

面影はなく、でも体調は2倍に成長している。11月初旬と比べて大きくなった。

あたたかいコタツのなかで、よく眠ってかわいそうだが、定期的に起こして、強制的に食べさせる。

夜寒いので、私たちはすき焼きを作った。

いい臭いだと感じたのか、ベルも気持ちよさそうに、鼻をくんくんさせていた。

でも補助食はあまり食べたがらない。強制的に食べさせるには限界があって、

もっと食べて欲しいが、すすまない。下痢はとまっている様子。

そして、16日朝7時過ぎ、こたつの中にうんこの臭いが。。

あわてて起きて、ベルを探す。こたつの隅でうずくまってねているベルを

トイレにつれて行くが、トイレでうずくまる。

まきちゃんを起こしてみてもらうと、「様子がおかしい」という。

呼吸が浅く、はあはあと苦しそう。

午前8時20分頃先生に様子が変ったと連絡する。

先生からは、「駄目だった命がよく今日までもったのですよ。

運命は変えられないかもしれないけれど、入院させてみますか?」

といっていただくが、病院までもつかどうか。。

「看取ってあげるということも・・・8:30になったら、スタッフも揃うから

落ち着いたら、病院へ連れてきて・・・。」

と先生に言われて電話をきる。

ベルベルと呼び続けながら、体をなで続けた。

はあはあと苦しそうな息のなかから、哀しげに

きりさくような「にゃー」という細い鳴き声

にゃー・・・・ にゃーと二回啼いてはっはっと短い呼吸

ギャーと大きく口を開いて舌を突き出す。足が痙攣し、大きく宙をかく。

はっはっというベルの頭をやわらかくなでながら、ベルベルとよび続けた。

私はベルの小さな前足をそっと手のひらで包んだ。

午前9時すぎ 二度三度かすかに前足が宙を泳ぎ、すーっと呼吸がとまった。

ベルが死んだ。

ベルは、松宮硝子さんが本島を離れた11月3日ごろから迷い込んできた野良猫。

元気やくろちゃんにくっついて離れず、そうこうするうちにアルテの床下に暮らし始めた

野良猫子猫だった。3ヶ月くらいだろうか。元気な元気なあかちゃん猫だった。

笠島に戻してやりたいと、アルコールで綺麗にぬぐって、箱に入れて

連れて帰った。自転車で笠島の峠を登って降りているとき

涙がとまらなくて、ベルのいなくなった部屋でベルの痕跡をながめては、

こんなブログを書いている。ベルの記憶を遺しておきたいから

12日から5日間ベルとの濃密な時間を忘れられないから。

楽しかったな終日ベルと一緒だったから。

苦しかったね、ようやく楽になったねベル。












  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:38Comments(6)日々のこと

2010年12月10日

子猫の病

火曜日夕方笠島に入ってみると、子猫のベルの様子がおかしい。

隣の吉田さんが言うには、よく溝にはいって、泥のようなものをなめる。

やめさそうとしても言うことをきかないで、なにを食べてるんやろね。

鼻もすりむいて、片目が開かんのよ。

風邪なのかくしゃみと鼻水がひどい。

この寒さは子猫にはきついだろう。抱いてタオルに包んで、ストーブの前で

あたためる。

二日目 朝子猫がいない。探すと向かいの不在の家の庭でうずくまっている。

元気とくろちゃんもいるが、子猫は寒そうにしている。

温めてやりたいが、鼻がきかないためか、食事にも関心を示さない。

困っていると、文化課の冨田さんたちが通りかかった。

子猫のことを話すと、塀をよじ登って子猫を連れてきてくれた。

ありがとう。

子猫を抱えて、電気コタツにタオルを敷いて寝かせる。

あたたかくて心地よいのか、その内いびきをかいて眠る。

仰向けに延びきって横たえている。

エーー。もうだめなの?あわてて抱えると

かすかに口で息を苦しげにしている。

吉田さんに来てもらって、子猫を見守る。

その内気づいて起きた。眠っていたのだ。

ほっとして、昨夜はコタツで添い寝。

にゃーと啼くので、トイレにつれてゆくと

しっぽを上にして、うんちをした。

また眠っていて、むくりおきてにゃーと啼くので

トイレにつれてゆくと、ちょこんと座って用足しがすむと

戻ってくる。そのしぐさの愛らしいこと。。

でも水も重湯も食べない。お兄ちゃん猫が食べていると

一緒に食べようとするので、朝外に出してやる。

カリカリときゃっとフードを少し食べる。水も飲んでいる。

よかった。今日も寒く、来客もなかったので、合間にコタツで眠らせる。

あたたかく、心地よいのかこたつから離れなくなった。

夕方目がおかしい。左の目が瞬膜がくっついているのか

ひらかない。目薬を探して、嫌がる子猫をあやしながら、挿してみる。

少しづつ挿して、脱脂綿を熱湯消毒をして、涙を拭いてみる。

元気も子猫だったときに、ひどい状態だったこともあったから、

ベルも目薬を指して、清潔にぬぐってやれば、よくなるだろう。

熱もないようだし、昨日よりは元気になくし、少しだけど水ものんで、食事も食べた。

あたたかくして、休めば回復すると思う。がんばれ。生きろ。。

野良猫だと嫌う人もいるが、頼ってくるものをこの寒い戸外には出せない。

猫も生き物、たとえ片方の目が見えなくなっても、ちゃんと歩いて啼いているのだから

まるごと受け入れて、一緒に暮らそうと思う。

ベルよ安心して、今夜もお休み。。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 19:57Comments(0)日々のこと

2010年11月26日

猫のこと

昨年冬 アルテの床下で暮らしはじめた元気という名前の野良猫:子猫は

りっぱな豚のようなメタボ猫になっている。隣の吉田さんが

かわいそう、かわいそうといって3食も与えていたから

毎日のように太っていく。

黒ちゃんという名の野良猫は、同じだけ食べるのにやせている。

玄関が開いていると、にゃんとも鳴かず、そーっと忍び込んで

えさになるものを物色する。

この秋からもう一匹子猫が加わって、この頃は寒くなったので

3匹の猫がアルテの玄関の敷居の上で団子になっている。

 子猫は、離乳の時期で、ミャーミャーよく啼く猫である。

最初捕まえた時は、ギャーと暴れて指を噛まれたので

しばらくは凶暴猫とよんでいたが、すぐになれて

なついてきた。一昨日夜、座敷の窓を開いたとたん

ぴょんと部屋に飛び込んできたので、数時間遊んでいた。

突然ばたっと倒れて動かない~。死んだ?

うーんぴくぴく。でもぐるぐる回って,路まで出てばたんと突っ伏して動かない。

死んだと思った。明日大騒ぎになるだろうと思いながら、どうしようもなく眠る。

翌日、石畳の下から子猫の鳴き声、どこから入ったのか?

なにかに挟まったのか、啼くだけで姿が見えない。でも来客が多く助けてやれない。

夕方になって、子猫の声がしなくなった。死んだのかと思って、やってきた妹尾さんに

相談して、探してもらう。でも見つからない。

展示場を締めに出かけた時、遠くで子猫の鳴き声がして、探してみると

空き家の庭の植え込みで、大きな口をあけて啼いていた子猫を見つけた。

生きていた!そのとき、子猫が眠る時はばたっと突然眠ること初めて知った。

 昨日は、寒い晩で、夜どおしミャーミャーと外で啼いている。

箱に断熱材をしいたベッドを作って、外においてやる。でも気に召さないのか

すぐに外に出て、また寒そうに啼く。

かわいそうになって、部屋に入れてストーブのそばで温めてやる。

まきちゃんは丸亀に戻っていて、一人だったので、

まきちゃんにどうしたらいい?と相談した。

夜中、箱に猫の糞場の砂を入れてやって簡易トイレを作る、

その他の布団は全て押し入れにいれた。

そして、洗面所を子猫のお風呂にして、足の汚れを洗ってやり

温めた、なにも知らない子猫は気持ちよさそうに温まっていたが

湯から出すとギャーと騒ぐので、すぐにタオルに包んで乾かして

ストーブの前で抱いていると、またしてもばたっと眠る。

ひたすらすやすやと眠る子猫を布団に入れて、朝まで一緒に眠る。

元気が子猫のときは、布団におしっこやウンコを必ずされたが

子猫のベルちゃんは、そそうはしなかった。

ベルの方が猫らしい。元気は変な猫だと改めて思った。

かならず、私が外に出ると にゃんと啼いている。

でもちかづくと、逃げようとしながら、捕まえられて

だらーーんとおとなしく抱かれながら、いやんいやんと啼いている、毎回。。

そして、人が沢山来ると必ず姿をみせて、人ごみの真ん中でじっと座っている。






  
タグ :猫のこと


Posted by ギャラリーアルテ at 00:21Comments(0)日々のこと

2010年07月23日

ひとり

孤独とは おのれひとりと書く。

そのおのれをどうしようもない人が多いのよ。

宮崎谷昌光 「晏子」の中の一節。

「人が迷うとすれば、欲においてではないでしょうか。欲を捨て去れば、おのずと迷いも消えるような気がいたします」

「たしかに、そうかもしれぬな。だがな、嬰よ。いうは易いが、おこなうは難い。欲を捨てきれる者は皆無といってよい。

なぜなら、欲を捨てようと欲することが、すでに欲となるからだ」

嬰はふかくうなずいた。

「ただし、過大な欲を捨てることはできる。寡欲であればよい。」

  

Posted by ギャラリーアルテ at 05:25Comments(0)日々のこと

2010年04月21日

笠島

4月7日から再び本島へ入っているが、
来客が多く、忙しさに追われている。
日々の売り上げや来場数を記録しているのだが
7日から11日までで100人を超えていた。
4月になってから、本島に滞在しているときは、
夕方も来客がままあって、丸亀でギャラリーを開いているときよりも
関わりが濃い。
ギャラリーだといちいち対応しなくても
ふらりと入って作品をながめて、黙って出て行くかたも
多く、対応しない場合が多いため、仕事に専念できるが
本島の場合は、和室のため。訪れた方は玄関で必ず
「ごめんください」と声がかかる。
そのため、全て対応することになる。
つまり100人以上のかたと対話することになる。

アートフェア東京2010の報告がまだ出来ていない。
また別の機会に・・。

今日はきがかりなことがあって、
仕事がすすまない。
今日水曜日から本島へ入った。
店につくとすぐに子猫がミャーと
向かいの家の塀から飛び出してきた。
やせている。東京から戻って気になっていたのだが
ますますやせている。
今日は、キャットフードを与えてもあまり食べない。
食欲がないようで、毛もつやがない。

一時は丸々としてきて、重くなって
ほっとしていたのに。。
日曜日よりもやせていたので、驚いた。
日曜日は私に甘えて、すぐ膝にのるので、
ずっと抱いていると、ごろごろと甘えていた。
今日も甘えてkるが、やせた原因がわからないので
抱いてやることが躊躇される。
ネットでいろいろ調べてみる。
病気かもしれないが。猫はデリケートな生き物だそうで
精神的なストレスでもやせるとか
月・火とお休みしているときは、隣の吉田さんが
見てくれるので、安心していたのだが
もしかして、私が見えなかったせい??と思ってみたりもする。

只今は、子猫と親猫が家の前の道路で
安心しきって、寝転んでいる。
栄養不足かな。
「病院へつれて行きたい」という私に
まきちゃんが「子猫は野良猫でもともと発育が悪い子だから
長生きできんよ。」という。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:27Comments(0)日々のこと

2010年02月04日

doushitemo

繰り返し、見ているんです。
いろんな  こと・・・

http://www.youtube.com/watch?v=3TX4PH98mfM

  

Posted by ギャラリーアルテ at 16:11Comments(2)日々のこと

2009年09月24日

あやしい日本人・・白洲次郎(加筆1)


やっぱりあやしい白洲次郎・正子。
NHKで3日連続で白洲次郎のドラマが放映された。
興味本位だけだったけど、まきちゃんちで見せてもらった。
最近やたら白州次郎って持ち上げられてるけど、
見た目のよさでこの持ち上げ方は。よくないですよ。

下山事件についてはほんの少し匂わせていたけど
なんだか、カメラワークと役者の熱演は見ごたえがあったがそれだけ。
言えないことが多いためか、あれって話が途切れたり、場面が変ったり
要するに、筋立てがなくて、かっこよさばっかり強調したもの。
いかがわしい人物の実話をモデルにするなら、
CIAのエージェントだった白洲次郎のこと、もっとちゃんと語って欲しかった。
だったら、戦争を知らない若者が!
婦人雑誌で白洲正子のスタイルだけ受け売りするおばちゃんが!
日本の戦後をもっと知ることができるはずだったのに・・。

戦前を知る人々は白洲次郎というと
フィクサーとして、知っている人が多いようです。
アメリカから機密事項も公開されてゆくでしょう。
戦争に負けた日本の影を見ること、その本当の姿は影を見ないとわからないことが多いのでしょう。

白洲次郎とは何者だったか
についてはこの方のブログが参考になるかもしれません。
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50261712.html

祥伝社 (2005/07) から下山事件についてこんな本が出されている。
孫にあたる著者が祖父が犯人ではなかったかという内容まずは読んでみよう。
下山事件と白洲次郎と三菱財閥の関係も

『下山事件―最後の証言』柴田 哲孝 (著)
ISBN-10: 4396632525
ISBN-13: 978-4396632526

  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:10Comments(0)日々のこと

2009年08月30日

バッグ盗難

昨日8月29日
私のバッグは、盗まれました。

・オレンジの手提げバッグ
・ヒロフの紺色の財布
・所持金 8万5千円
・銀行カード

・自動車免許証、健康保険証

・化粧品(カリタのコンパクト、口紅)
・イヤリング、バレッタ
・扇子
・手袋
・筆記用具
・名刺入れ
・携帯電話


仕事に必要なものが大半
困った・・。

ともかく、携帯は只今停止にしています。
不通なので、ご用の方は、ギャラリーまでご連絡ください。

0877-21-5604

わたくし只今、深く沈んでいます。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 17:39Comments(2)日々のこと

2009年08月18日

情味 醍醐味

先日、ふとしたことから、
再放送の「剣客商売」を観た。

それ以来、周回遅れを自覚しながらも
「剣客商売」にはまった。

原作は、池波正太郎の同名小説。

秋山小兵衛という、六十に近い年寄りの剣客が主人公。
四十も年の離れたおはるを妻にしている。
先妻との間に大治郎という息子がいて、彼は、剣一筋に生きる真面目一方の青年。

父と義母と息子の関り方、言葉つかいが余韻として心に残ったのです。

私好みの『人との関り方』だからと思う。

父が息子を思う 息子が父を思う その慎み深さが記憶に残るのです。

父親の秋山小兵衛は、「花も実もある」人柄で

世の中は、白黒だけでない味わいを見せていて、情味も備わっているけれど、筋も通っている。

こういうたたずまいが粋というのでしょうね。

息子に対して、「女っけのないおぬしがそんな気の利いたことをよく思いついたな」という下りでは、

息子が涼しげな顔で「近くによき手本がありますので・・。」

さりげなくて、実によろしい。



そして、剣客商売が好きだった 亡き父の居た風景を思い出す。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:09Comments(0)日々のこと

2009年06月21日

空(くう)


仏教は信仰ではなく、哲学だとつくづく思う。

私は琴平町の寺に生まれた。80過ぎても住職だった祖父、母がわりとして小児喘息でよく学校を

休んだ私を育ててくれた祖母。祖母は女子栄養大学の通信教育を受けて、料理が得意な人だった。

明治生まれの祖母は、手作りでモダンな洋食をよくつくってくれた。中学教師だった父によって、

美術や歴史や音楽や文学、つまり文系への興味が深まった。この4人の暮らしだった。

一人っ子でしかも病気がちだった私は、大人に

囲まれて育ち、こどもの頃からおませさんだった。

父と母は9年間恋愛の末、祖父母の反対にもかかわらず結婚し、私が小学校2年のときに離婚した。

人の気持ちは変るものだと思った。いい悪いではない、そういうものだと思った。

父は私を様々な美術展や音楽会につれていった。写真が趣味だった父は、私に写真を

教えようとしたが、それがとても厳しくて、私は写真が好きになれなかった。

次に父は、夕方になると境内でキャッチボールをしようと誘った。喘息もちなので、運動も好きではなかった。

ただ幼稚園からはじめたバレエは好きだったので、出来れば続けたかったが、小学校4年ごろになって

父から「もうやめて、勉強しなさい」と言われてやめた。

父は一度も私を理解しようとはしなかったのではないかとこのごろ思う。でも私は父が大好きだし、大切だと思う。

祖父からは、我を捨てるという沢山のことを学んだ。すべての存在には主体という我がないのだと教えられた。

確かに他の宗教に言われる「神」と呼ばれる絶対者も無我ではないのかな。

絶対者という神を否定していっているのではありません。神と呼ばれるのは私たちであること。

ねこやトリには神はなくて、私たち人間との関係の上にだけ神は存在している。

私が、なくなった祖母や祖父や父のことを思い出し、話すとき家族はまだ生きている。

私が死んで、祖父母や父のことを思い出せなくなったとき、父や祖父母は存在が消える。

地球のことも私が死ねば、私が意識する地球は無くなる。

仏典の中にも神が出てくる場面は多くある。ただ物語にとらわれるのでなく、

関係つまり縁起によって現れたものと読むべきなのだ。

複雑系の科学の概念と繫がると思うことがあった。

多くの意味で、仏教は他の宗教と根本的な違いを持っているのです。

聖書の読み方も同じように読んでみるとどうだろうか?

  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:08Comments(0)日々のこと

2009年06月19日

脳死法案


臓器移植の場合に限って、

脳死が人の死
ということにされた。
臓器移植法の改正は、あまりにも安易すぎると思う。個人的には家族で移植をすれば助かる命があるとすれば、その方策を得たいと思うだろう。

香川県議の都村さんも、『これで、少しでも国内の移植件数が増え、移植を待ち望んでいる患者の皆さんの助けになれば、と思う。』とコメントしていた。
本当にこの人って、この程度の人。人としての深みに欠ける方だと思う。でも議会民主制はいまや精度疲労の状態ですね。

でも人間だけですよ。欲望のままに自然も生命の仕組みも変えてゆこうとするのは

そのために、地球は壊れている。

生命の歴史をみると淘汰によって、種は進化してきたのだとすると

この領域にまで欲望で人の自由に振舞ってはならないと思う。

あまりにも、浅い。国会議員から県議・市議・町議レベルまでこのような議会民主制などもう害でしかないと思う。

人という種が絶滅するのが、地球的には一番いい。いずれそうなるだろうけど・・。

もっと人は他の生物と共存すること、自然のこと環境への及ぼす影響など深く省みるべきだ。

議員の皆さんは、生命科学研究所 所長の中村桂子さん1975年に書かれた生命科学マニフェストのことは
ご存知なのだろうか?

これは、中村桂子さんが、従来の生物学ではなく、

人間や生きものの生命ないし生きているということはどういうことかという問いを中心に据えた学

として、生命科学をこれから立ち上げていく、という時に書かれた意思表明。

今回の法案、人生観や死生観に及ぼす影響というよりも、あまりに理性のない結果だと深く憤りを感じています。

今のすべての議員たちに未来を託せない。でもこれが地球の癌という人間の必然の方向なのだろう。

皮肉だ。


  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:46Comments(0)日々のこと