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Posted by あしたさぬき.JP at

2010年12月16日

今朝ベルが死んだ








16日朝9時7分 子猫のベルが息を引き取りました。

12日日曜日 子猫のベルの様子がおかしい。

左眼がひらかなくなって、白濁しているように見える。

動きも鈍くなって、呼びかけてもうずくまったまま。

病院へつれていくことにして、電話帳片手に動物病院を探す。

秋山動物病院は日曜日も午前ならば診察していることを知ったが

午後を過ぎてしまった。取り合えず電話をかけると、転送電話で

先生に繫がったので、事情を話すと、夕方6時に診察してもらえることになった。

5:10のフェリーではギリギリ、2:15分で丸亀に戻ることにして

支度をしていると、知人が展覧会を観に本島を訪ねてくださる。

案内をして、猫の事情を話して、一緒に手伝ってもらい、

2時の船で丸亀に戻った。キャリーバッグをもっていなかったので

箱に入れたが、ベルはいやがって外に出たがる。添乗員から

船室にはいっては駄目といわれるので、船尾で丸亀まで

タオルに包んでいたが、丸亀についたときには、体温が下がって

危篤の状態。まきちゃん宅でストーブの前で温めながら

6時まで待って、動物病院へ行く。。

猫インフルエンザだった。先生からは、「もう危ない状態だけれど、今夜中ついていて

やれますか?この補助食を一日がかりで食べさせてください。明日またこれますか?

しばらく通院できますか?片手間では駄目ですよ。付きっ切りで介護してあげなければ

助けることはできませんよ。」といわれるまま。

戻って、コタツと猫トイレを用意して、暖かくしてベルを寝かせる。

私たちもベルに添い寝しながら、13日の朝を迎えることが出来た。

ベルはトイレに行きたいとにゃんとないて、ちゃんとトイレで用を足す。

茶碗に入れた水も自分で飲んでいる。きっと助かる。助かってと願いながら

夕方補助食を食べきらせて、病院へ。先生は、驚いていたが、「よし、生きられるかもしれない」

インターフェロンを注射してもらい、また13日も添い寝する。

下痢が続いている。骨と皮の状態。

14日、体重600グラム。体温40度。骨と皮なので、自分の体温がなく。

外気温に影響される。でもベルは食べようという意思を見せているので、

1才までの子猫用のウエットフードや猫砂を買ってくる。

今夜も添い寝。うとうとするとベルが起きるので、トイレに連れて行って

後始末をして、水を飲ませる。強制的に補助食を与えるが、嫌がる。それでも薬だからと

食べさせると飲み込んでくれた。

15日午後休診なので、朝病院へ、体温が平熱に自分の体温が戻った。

下痢はまだ続く。ほぼ吸収しないのか、ますますやせて、500グラム。

ともかく食べさせなくてはと思うが、ほとんどコタツですやすやと眠っている。

鼻のつまりは点眼液で緩和されたのか、すこし楽そう。鼻がつまっているので、

湿った綿でぬぐって、鼻くそをとる。1ミリくらいの鼻の穴。口は5ミリもない。

ほほはこけてやせている。あの元気にぴょんぴょん飛び回っていた頃の

面影はなく、でも体調は2倍に成長している。11月初旬と比べて大きくなった。

あたたかいコタツのなかで、よく眠ってかわいそうだが、定期的に起こして、強制的に食べさせる。

夜寒いので、私たちはすき焼きを作った。

いい臭いだと感じたのか、ベルも気持ちよさそうに、鼻をくんくんさせていた。

でも補助食はあまり食べたがらない。強制的に食べさせるには限界があって、

もっと食べて欲しいが、すすまない。下痢はとまっている様子。

そして、16日朝7時過ぎ、こたつの中にうんこの臭いが。。

あわてて起きて、ベルを探す。こたつの隅でうずくまってねているベルを

トイレにつれて行くが、トイレでうずくまる。

まきちゃんを起こしてみてもらうと、「様子がおかしい」という。

呼吸が浅く、はあはあと苦しそう。

午前8時20分頃先生に様子が変ったと連絡する。

先生からは、「駄目だった命がよく今日までもったのですよ。

運命は変えられないかもしれないけれど、入院させてみますか?」

といっていただくが、病院までもつかどうか。。

「看取ってあげるということも・・・8:30になったら、スタッフも揃うから

落ち着いたら、病院へ連れてきて・・・。」

と先生に言われて電話をきる。

ベルベルと呼び続けながら、体をなで続けた。

はあはあと苦しそうな息のなかから、哀しげに

きりさくような「にゃー」という細い鳴き声

にゃー・・・・ にゃーと二回啼いてはっはっと短い呼吸

ギャーと大きく口を開いて舌を突き出す。足が痙攣し、大きく宙をかく。

はっはっというベルの頭をやわらかくなでながら、ベルベルとよび続けた。

私はベルの小さな前足をそっと手のひらで包んだ。

午前9時すぎ 二度三度かすかに前足が宙を泳ぎ、すーっと呼吸がとまった。

ベルが死んだ。

ベルは、松宮硝子さんが本島を離れた11月3日ごろから迷い込んできた野良猫。

元気やくろちゃんにくっついて離れず、そうこうするうちにアルテの床下に暮らし始めた

野良猫子猫だった。3ヶ月くらいだろうか。元気な元気なあかちゃん猫だった。

笠島に戻してやりたいと、アルコールで綺麗にぬぐって、箱に入れて

連れて帰った。自転車で笠島の峠を登って降りているとき

涙がとまらなくて、ベルのいなくなった部屋でベルの痕跡をながめては、

こんなブログを書いている。ベルの記憶を遺しておきたいから

12日から5日間ベルとの濃密な時間を忘れられないから。

楽しかったな終日ベルと一緒だったから。

苦しかったね、ようやく楽になったねベル。












  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:38Comments(6)日々のこと

2010年12月10日

子猫の病

火曜日夕方笠島に入ってみると、子猫のベルの様子がおかしい。

隣の吉田さんが言うには、よく溝にはいって、泥のようなものをなめる。

やめさそうとしても言うことをきかないで、なにを食べてるんやろね。

鼻もすりむいて、片目が開かんのよ。

風邪なのかくしゃみと鼻水がひどい。

この寒さは子猫にはきついだろう。抱いてタオルに包んで、ストーブの前で

あたためる。

二日目 朝子猫がいない。探すと向かいの不在の家の庭でうずくまっている。

元気とくろちゃんもいるが、子猫は寒そうにしている。

温めてやりたいが、鼻がきかないためか、食事にも関心を示さない。

困っていると、文化課の冨田さんたちが通りかかった。

子猫のことを話すと、塀をよじ登って子猫を連れてきてくれた。

ありがとう。

子猫を抱えて、電気コタツにタオルを敷いて寝かせる。

あたたかくて心地よいのか、その内いびきをかいて眠る。

仰向けに延びきって横たえている。

エーー。もうだめなの?あわてて抱えると

かすかに口で息を苦しげにしている。

吉田さんに来てもらって、子猫を見守る。

その内気づいて起きた。眠っていたのだ。

ほっとして、昨夜はコタツで添い寝。

にゃーと啼くので、トイレにつれてゆくと

しっぽを上にして、うんちをした。

また眠っていて、むくりおきてにゃーと啼くので

トイレにつれてゆくと、ちょこんと座って用足しがすむと

戻ってくる。そのしぐさの愛らしいこと。。

でも水も重湯も食べない。お兄ちゃん猫が食べていると

一緒に食べようとするので、朝外に出してやる。

カリカリときゃっとフードを少し食べる。水も飲んでいる。

よかった。今日も寒く、来客もなかったので、合間にコタツで眠らせる。

あたたかく、心地よいのかこたつから離れなくなった。

夕方目がおかしい。左の目が瞬膜がくっついているのか

ひらかない。目薬を探して、嫌がる子猫をあやしながら、挿してみる。

少しづつ挿して、脱脂綿を熱湯消毒をして、涙を拭いてみる。

元気も子猫だったときに、ひどい状態だったこともあったから、

ベルも目薬を指して、清潔にぬぐってやれば、よくなるだろう。

熱もないようだし、昨日よりは元気になくし、少しだけど水ものんで、食事も食べた。

あたたかくして、休めば回復すると思う。がんばれ。生きろ。。

野良猫だと嫌う人もいるが、頼ってくるものをこの寒い戸外には出せない。

猫も生き物、たとえ片方の目が見えなくなっても、ちゃんと歩いて啼いているのだから

まるごと受け入れて、一緒に暮らそうと思う。

ベルよ安心して、今夜もお休み。。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 19:57Comments(0)日々のこと

2010年12月10日

一年がたった

本島にアルテという現代美術のギャラリーを移転して

ようやく一年がたった。

今朝トシコさんと立ち話をしたおり、もうどうのくらいになる?とトシコさんから

訊ねられた。私が「11月からの移転だったので、一年経ちました。」と応えると

そうのくらいかね。もっと前からのような気がするといわれた。

トシコさん曰く「あんたたちのような若い人が来てくれて、暮らしてくれて

本当にうれしいよ。みんなと仲良くこれからもやっていってよ。」

年を負うごとに人は老いてゆき、人が少なくなる。

この寂しげな町並みは、今年の夏は20代のアーティストたちと暮らしを共にしたことが

人々に刺激になったようだ。作家が島を離れるごとに、港まで見送ってくださる方もあり

島の人々は名残惜しそうだった。

来年もまた新たな人々を迎え入れてと願う人もあって、

なんとか、応えたいと思った。

香川の人にとって、瀬戸内の島の暮らしは近くて遠い。

他府県の特に都市に暮らす人々の方が、この島を魅力的だと感じるようだ。

そんなものなのだろう。

 今日は冷える。晴れていて、外は青空、猫は日向ぼっこ。

そして、町並みの人々は畑でジャガイモや大根を収穫している。

私もアルテの左向かいに畑を借りた。畑を耕してもらったら、

玉ちゃんがカリフラワーや豆の苗をもらってきてくれて、植えてくれた。

私も丸亀でタマネギと豆の苗を買ってきて、玉ちゃんに植えつけをお願いした。

毎朝、私が目覚めると畑の苗に水をやっていてくれる。もっと早く起きて私が水遣り

しなくちゃと思って、目覚めると畝は既に水がまかれたあとが残っている。

こうして、草取りから苗を植え付け、果ては水遣りまで、島の方のお世話になりながら

私の畑では、初めての野菜が育っている。

子供の頃、実家の寺の裏庭で祖母の趣味が、畑を栽培すること だったので

多少は手伝い、記憶もあるが、自らではなかったので、全くのド素人の私は、

島の人々の注目を浴びながら、畑づくりをはじめた。

食とアートのプロジェクト 食の部門は、数年がかりのテーマになることだろう。

空き家が多い笠島地区だが、盆と正月には帰省する人々が多いため

なかなか、新たな住人が空き家を借りて活動することが難しいのだが、

人が暮らさない建物は傷みがはやい。建物は人が暮らすことで、初めてその本来の

機能を発揮する。短期間であっても様々若者アーティストが町並みの中で

創作活動を行う。こういうかたちの活性化はこれからの時代には必然となるのでは

ないのかと思う。  

Posted by ギャラリーアルテ at 14:23Comments(0)art

2010年12月10日

一部のインスタレーションはご覧いただけます

松宮硝子さんの髙島八重美邸での展示は空間をうまく利用したインスタレーションで

建物内部を周遊させる構造になっていて、訪れた方口々に賞賛をいただいたものだった。

家主の都合で、この展示は11月28日をもって終了となったが、引き続きアルテversionは

ご覧いただける。八重美邸の作品も一部はアルテに移動させているので、ぜひご鑑賞下さい。

真木邸の安倍安人さんのインスタレーションも好評であり、これは年明け1月15日頃まで

展示を行う。記録集も出版されるとのことです。

山田健二さんの真木(まき)邸におけるインスタレーション 「作庭口訣」も年明けまで

ご鑑賞いただける。

竹紙制作に奮闘してくださった 柴田智明さんの髙島作業所における日本画の展示は

これも家主の作業所のため、終了した。

告知も不十分ながら、アンテナの高い方の来訪が多く、盛況の中終了できた。

12月に入っても来訪者が続き、第1週は相変わらずの人の出入りが続き

あわただしく、終日を終える。

ようやく寒さが厳しくなった5日以降 ひっっそりとした笠島の町並みとなり

ようやく、遅れていたウェッブの更新やら、今回のプロジェクトのアンケート集計など

雑務に取り掛かった。1月からの月ごとの来場者数は平均145名

プロジェクトが始まった7月から11月までの来場者数は887人

本島という離島でしかもマスメディアによる告知が行われなかったにしては

上出来といえよう。

自らが情報を選択して訪れた人々だった。

ある意味選別が出来て、今後に活かされると感じた。