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2009年09月22日

本島が瀬戸内アート特集に

J-Bスタイルという【旅の情報誌】10-11月号の見本誌が届きました。
特集記事 『瀬戸内 旅とアートが融けあうところ』
として、
直島・本島・高松・琴平が紹介されています。
直島は、もちろんベネッセアートサイト・・・
高松はジョージ・ナカシマ記念館、琴平は金刀比羅宮のアートプロジェクト関連です。
本島は、私たちの活動に眼を留めてくださったのです。

島に私たちの本格的な活動拠点を得ることが出来たきっかけは、この紙面の取材からだったのです。

JTBパブリシングの廣井さま始めスタッフの皆様が、機縁となったのです。

なんという めぐりあわせなのでしょう!!

奇縁とも思えるめぐり合わせ・・・秋の風を感じながら、こもごも想いは巡ります。

島の方たちは、私たちが新たな形で関ることをとても喜びまた期待してくださっています。

期待を意識しすぎては身動きできなくなるので、自分との闘いでもあります。


**********
J‐Bスタイルは、JCBカード会員向けの旅の情報誌ですので

JCBカード会員の方には配布されるのではないでしょうか。

Webサイトもありました。
http://www.jcbtravel.co.jp/jb/backnumber/0908index.html

http://www.jcbtravel.co.jp/jb/index.html

機会がありましたら、ご覧くださいね。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:48Comments(0)art

2009年09月17日

壁の補修中

9月は展示をお休みにしていますが、なにかと忙しくて

ちょっと疲れ気味。

◆昨日は、宇多津にある香川短期大学の佐藤先生を本島へご案内しました。

高島さんと妹尾さんが待っていてくれて、使う予定の家を再度調査。

高島さんもう屋号を決めていて、私たちがなにかする場所は

「あたらしや」というそうです。

もともとこの家はあたらしやという屋号の家だそうです。

おのおの屋号があって、笠島の人々は屋号で言うほうが

わかりやすいのだとか。。なるほど。

伊吹島も屋号がありました。他の島もそうなのかしら。

◆斉藤ちさと作品「月島のビル群」が届きました。

これは彦坂尚嘉さんの気体分子ギャラリーで2回目の記念すべき展覧会に

出品されたものです。買いました。

◆21日本島へまた行きます。代理人の方との打ち合わせのためです。

◆明日から連休中は、アルテの壁の補修をして、復元フォトモの準備を行います。

アトリエもお掃除しよう。




  

Posted by ギャラリーアルテ at 13:51Comments(0)art

2009年09月16日

丸亀あらたし文化商店街



糸崎公朗さんの復元フォトモが届きました。
会期 2009年10月3日-11月24日
会場 丸亀浜町にあるギャラリーアルテ他で開催

展覧会名
『復元フォトモ 丸亀あらたし文化商店街』にてご覧いただきます。


写真は昭和34年ごろの 西平山郵便局のフォトモ 
写真提供は 長岡まき子さん
これは元画像



昭和40年代の 丸亀本町商店街
写真提供は 玉屋写真店さん
本展『丸亀あらたし商店街』とは
写真を立体的に組み立てて3次元化するフォトモ(フォト+モデル)で知られる糸崎公郎が、丸亀の昔の写真をもとに、復元フォトモの手法でかつての町の風景や人を再現します。
展覧会タイトルの「あらたし」とは、日本語の「新しい」の本来の語形です。「あらたむ(改む)」「改める」と同義で用いられ、「惜しい」「もったいない」という意味も含んでいます。明治・大正・昭和期の丸亀のスナップ写真から町並みを立体的に復元することで、かつての暮らしを思い起こしてください。


糸崎公朗(いとざき きみお)は1965年長野市に生まれ。非人称芸術のコンセプトを提唱し、ツギラマ、フォトモ、2コマ写真、デジワイドなど、写真を素材とした独自の着想による作品を制作しています。東京を中心に、個展、グループ展を開催。特に2000年以降は毎年多くの展覧会を開催しているほか、書籍の発表、科学誌、写真誌での連載、講演やワークショップなど、多岐に渡る積極的な活動を展開する注目のアーティストです。2008年12月「こんぴらアート2008」に参加し、以来香川県内の各所で撮影をしています。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 16:54Comments(0)art

2009年09月15日

レジデンス場所



日差しが強かったので、陰になっていますが、

写真向かって左は、本島笠島地区にあるレジデンスの場所となる建物です。

屋根付の木製の門があります。白壁がきれいですね。

水周りは全て新に改装されていました。

家主は、大阪にお住まいで、ここには戻っていらっしゃらないとか、私物がなにもありませんでした。

今回、自治会長の高島昭夫さんが、私たちが滞在する場所として、どうかと提示してくださったのです。

東所どおりにあり、まっすぐ見える建物が保存センターです。マッチョどおりまで歩いても200mくらい?

すっかりここが気に入りました。

早速、数人と夢を膨らませています。

まず菜園づくりのこと。アートを(で)耕す。。「かわいくて、カラフルな畑づくり」

カラフルなブロックで畑の区画をつくるとか。

最近、農機具も小型のおしゃれな農機具があるそうです。

地下足袋や軍手や野良着など、洋服のデザインは楽しく、手作りでつくることにしました。

私、これでもお裁縫の腕は大したものなのです。

おままごとの世界ですが、只今メンバーはわくわくしています。

夢が膨らんだようです。いいことですね。

明日が楽しみであることは。。






  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:10Comments(0)塩飽本島

2009年09月10日

ヤンキー文化論

地域に根ざした伝統的な「祭(まつり)」とは、宗教的儀式だった。

もともと伝統的に決まった日に、地域の人々が、神社境内など決まった場所で、伝統的な一定の約束事に従って演じる。

国家や個々人の家の繁栄、稲など農作物の豊作、先祖の霊の平安などの種々の祈りを込めて上演されるものだ。

地域の人々の願いを込めて演じられる民俗芸能は、一方で魅力的な芸能でもあり、

近年では特に全国各地から大勢の観客を集める祭も多い。

さらに、近年、芸能としての魅力に着目して、新しい形式に整えられた民俗芸能も各地にある。

例えば見物席を特設し、その前に次々と踊り集団が登場して踊りを披露するようになった阿波踊り

や富山のおわら風の盆などが有名である。

 一方によさこい系といわれる踊りのイベントがある。

よさこい踊りは、1954年(昭和29年)、徳島の阿波踊りに対抗する形で、高知商工会議所有志により開催されたのが

はじまりといわれる。楽曲の自由なアレンジを許し、その後色々なバリエーションを生んでいる。

各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、全国へ広がった。

市内の繁華街に数千人以上の踊り子が結集して開催されるため、通行止めで交通渋滞が生じ、

また商店によっては客が入らないことから、期間中は売り上げが落ちる等の問題も発生しているという声もある。

観客や踊り子の演舞以外のマナーの悪さも散見される。

交通渋滞・商店街の売り上げ低下・踊り子のマナーの悪さや金銭等のトラブルから、祭

りの公共性を疑問視して、個人が楽しむイベントと捉える厳しい意見もあると聞く。

丸亀婆沙羅祭りも、よさこい系の祭である。

五十嵐太郎さんが、編集した『ヤンキー文化論序説』という面白い本がある。

論者は、宮台真司、永江朗、酒井順子、都築響一、 近田春夫、暮沢剛巳
五十嵐太郎、飯田豊/南後由和/速水健朗/後藤和智/斎藤環
【特別掲載】ナンシー関 など。

詳しくは本を読んでいただきたいが、ヤンキーは地域密着型という指摘。

ヤンキー的なるものとよさこい系の祭の担い手が背景を同じにしているということ

「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」

五十嵐さんによると「民衆のゴシック」であるヤンキーだそうであるが、

彼(彼女ら)は実は日本のサイレントマジョリティなのである。

日本文化の底流に流れる不良的な要素を大衆は愛する。

日本の人口の5割がヤンキー的なものに惹かれるとすると、

確かに市民の一部が顔をしかめようが、家族を失って初盆を迎えて

しんみりしていようが、おかまいなく騒乱の日常の中で過ごすことになる。

本来祭りとは、生活の場ではない場所で、非日常な数日を過ごすことだった。

様々な事情をもつ人々が選択できる場で行われた祭である。

高知のよさこいや丸亀婆沙羅祭のように、おじいさんをなくして静かに過ごしたくても

街中に住んでいる限りは、騒音に身をさらして過ごさなければならない。

普段は静かな町が、この日は騒々しくけばけばしい衣装の集団がとおりにあふれ、

通行ひとつもままならない。

地域の人々への配慮の欠ける祭が地域の祭であるはずがない。


  

Posted by ギャラリーアルテ at 17:27Comments(0)art

2009年09月06日

越後と瀬戸内

戻って記憶の残滓に強く蘇るものは
深い山野のみどりと棚田の稲穂のみどりです。

広大な土地の各所に点在するアート作品。
その一部しか見ることができないという仕掛け。
大味の作品が多いと思いますが、膨大な量で圧倒される仕掛け。
ハヤマ荘の夕食と通じる、量でなんとなく満腹感を感じさせられる
仕掛け。うまいです。

時間の経過の中で作品群は淘汰されて行くのでしょうが、
それでもプロデューサーの上手さ凄さを感じました。

・点在させる規模
・全てをすぐには把握させない、みせてしまわない手法。
・その一方で、作品を探しながら、里山や地域の人々の暮らしの
風景を周回させ、来訪者をいきなり里山の暮らしを体感させている。
多く考えさせられています。
行ってみないと、わからない、感じないことでした。
再び訪れたいと思っています。
事故もなく、旅を終えることができました。
彦坂尚嘉さま、同行の皆様 お疲れ様でした。

ありがとうございました。

一方で、30日に日本の政治が大きく動きました。
閉塞感が蔓延する中で、時代が動く兆しを感じさせる
明るさがある出来事でした。
今からが、混乱の始まりなのかもしれませんが、
新しい混乱です。

昨日という過去の延長線上にある未来ではないということですね。

時代の空気の変ったこと 感覚が先鋭なアーティストたちは体感しているはず。

それがどのような表現となってくるのか?

風邪で少し休養できています。

今から展覧会も新にしなければならないですね。





  


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2009年09月05日

彦坂さんとの大地の芸術祭越後妻有ツァー

いろいろありまして、報告が遅くなっていました。
8月25日から新潟で開催されている『大地の祭典越後妻有』という国際展を見学に行っていました。
越後妻有(新潟県十日町市、津南町)と言われる、760平方キロメートルにおよぶ山と川と田園からなる広大な里山に点在している国内外の芸術家が作品を制作し展示している芸術祭です。

第一回から継続して参加されている彦坂尚嘉さんが計画されたツァーの呼びかけをいただいて、参加しました。
彦坂さんに案内されるという贅沢なアート鑑賞旅行でした。

四国からの参加は私とまきちゃん。丸亀からだと新潟へ入るのにほぼ一日かがり。
◆25日朝9時に丸亀を出発して新幹線で東京へ
東京から上越新幹線に乗って、越後湯沢へ到着。
越後湯沢の駅で、今夜の宿の送迎バスを1時間ほど、待つことに・・・。
はじめての新潟。駅前に足湯とか、温泉の掲示板が目に付く。
ここは南魚沼郡。米どころ。

やがてバスが出発、乗っているのは私たちを含めて3人。
連なる連峰をバスは走ること1時間半。
5時半頃、ようやく今夜の宿ニューグリンピア津南に到着、高原にあるリゾートホテルだった。

広いこと、敷地にゴルフ場やスキー場、釣堀、プール、卓球施設やボウリング施設もある。

やーーはじめてみる北陸の山並み、涼しい。。
明日から山歩きで大変だと思うから、今夜だけは温泉でゆっくりしようね!とほーっとして初日は過ごしました。
◆翌26日・東京から彦坂さんたちが10時ごろ田麦へ入るので、
田代生活改善センターまでタクシーで行ってひたすら到着するのを待つ。

山の中、いたるところに青々とした棚田。わき道から水がとうとうと流れている。
気持ちいいーー。

来ない。30分経過、来ない。。
携帯 圏外・・・

少し歩き回る。携帯3本たった。
彦坂さんから連絡、1時間ほどのんびりまって、ようやく合流できました。
まずは山道を10分ほど歩いて七ツ釜のアングラハムの作品から


車で移動しながら、カサグランデ&リンターラ建築事務所 ポチョンキン


リチャード・ウイルソン


山本想太郎(119東田沢)と行武治美(31 当間高原リゾート) を見て、

昼食の そば屋/由屋で 「へぎそば」を食す。こしがある、そばだった。

28/ストームルームを鑑賞。10分くらいのインスタレーション作品。
印象的だった。

2時過ぎ 田麦地区の彦坂尚嘉作品




ここで、彦坂さんが「斉藤さんと撮影するから、後は梅谷さんが運転して、他の人と

廻ってください。」とのこと。「えーーっ。」険しい山道、しかもガードレールがない!

対向車がきたときバックできないよーーー。しぶしぶこわごわ廻りました。




 
21/ビリビジョカ

23/ゴームリー

24/石塚紗矢香 これもよかった。

1時間ほど巡って、再び 田麦彦坂尚嘉作品へ戻る。

ここで運転手交替。

19/加治瑞穂

18/大久保英治

47/杉浦久子

お酒を買いに行く。

ま・ともかく・というわけで今夜はハヤマ壮にて一泊。夜はライトアップされた作品鑑賞をと

再び彦坂作品へ。実はわたくし夜道は運転の自信がなく、その後はビールを飲んでいました。

彦坂さんが運転して、ライトアップした彦坂作品まで案内していただきました。

夜間鑑賞で山に登ったとき、

彦「あれ、しまったガソリンがない・・」

私「・・・。」

結局ガソリンを届けてもらうことになって、ミルキーウェイを探して星を眺めていました。

・・・・ドタバタの一日はこうしてふけて

他の人たちと深夜までのおしゃべりと宴会を過ごしました。






  


Posted by ギャラリーアルテ at 11:49Comments(0)art

2009年09月05日

越後妻有ツァー つづき3日目



今回のツアーメンバーとの記念写真
丸山孝広さんと斉藤さん以外はお初の顔合わせでした。

旅館で合流した、丸山孝広さん(写真左)。
多摩美のデザイン科出身のイラストレーター彦坂さんとは大学時代の
同期だそうです。アートフェア東京2009にもお越しいただいて、一緒に
呑みました。9月に四国旅行の計画があって、アルテにもお立ち寄り
いただけそうです。

写真後列右から、
斉藤ちさとさん、今後アルテでも発表していただこうと考えるアーティストです。
気体分子ギャラリーの作家です。
長岡まき子さん、彦坂段「ARTEの守護霊のような怪人」だそうです。
私的には、まきちゃんは「古びた座敷童」のような人です。つまり縁起神です。
強烈な個性で、今回のメンバーの人気者となりました。

彦坂尚嘉さん、今回の発起人兼ツアコン。お疲れ様でした。
そして私ギャラリーARTEのオーナーです。
後列の左端の女性は、志村みづえさん。草月流の華道家です。

前列右からです。
日本画家の山本藍子さん。
西脇妙子さん。現在は東京に御住まいですが、新潟出身だそうです。
帰りは越後湯沢までご一緒しました。
四国でまたお会いしましょう。

栃原比比奈さん。多摩美出身の油彩画家。
深夜までいろいろおしゃべりできました。

というメンバーとその後さらにいろいろ見て周ります。
作品番号 191蓬平/いけばなの家へ行く道に迷ったりしながら
いろいろまわります。
十日町の農舞台で香川県知事 真鍋さんが北川フラムさんに案内されて県職員2名とおしのび?
かのような、アート視察に出くわしました。
こんにちはとご挨拶。その後ろを追うような形で駐車場へ向かうと
レンタカーを囲むように、斉藤さんや彦坂さんたちが立っているのが見える。

8人乗りのワンボックスカーなのですが、なんと後部ドアが開かなくなったのです。

以後は、助手席側のドアから入って、シートを跨いで出入りすることになりました。







結局ガソリンスタンドで見てもらって、ドアは開閉できるようになりました。ほっ。。

ここまでで12時半くらい。

作品番号 229「黎の家」で食事を取ることになりました。
ここは、彦坂さんと東京都市大学手塚貴晴研究室 とのコラボレーション 黎の家です。
彦坂さんのウッドペインティング(新作)が展示されたレストランとしてオープンしています。
オーナーは、岡山のイタリア料理店「レオー二」福武美津子さん。妹さんだそうです。
食事をしたかったのですが、帰りの列車の時間があって、私たちと西脇さんは、皆さんと
お別れしました。

たった一日半のアート鑑賞でしたが、やはり現地へ行ってこそ気づくことが多かった旅となりました。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 11:46Comments(0)art

2009年09月03日

つぎは・・・

バッグごとの盗難の余波はまだありますが、

別の財布 と かばんを持ってみると

実に軽い、この軽さは気持ちいいです。

携帯は、保険とポイントで新機種に機種交換できました。

携帯はいまやパソコンですね。ただの道具じゃないこと実感しました。

そのまま、蛸壺に入りたい気分なのに

大木裕之がいて、糸崎公朗がいて、さらに安倍安人さんで

彦坂尚嘉がいるアルテって凄いことになっていますね・・・・とは¥彦坂さん談。

メルトダウンですよ。溶解してる。きっと糸崎さんがキーだったんだ。

それでゲートが開いたのだと思いますよ。

 ちょっと落ち込んでいるときに本島の高島さんから、レジデンシー用の家を見に来いという連絡をいただきました。

いまそれに対応するのは正直つらかったけれど、行きましたよ昨日。

10時40分のフェリーで本島へ行き、家を見せていただきました。

一気に明るい表情に戻ったと大木談。

いいです。ここを使用させていただけると、みんなとても喜ぶと思う。

民主党政権になった日、バッグが盗まれていろんな意味で切り替えができた。

さらに、インフル風邪の症状 。これを克服すると

もはや解脱ですな。。

本島については後日。  
タグ :本島


Posted by ギャラリーアルテ at 13:39Comments(0)art

2009年08月30日

バッグ盗難

昨日8月29日
私のバッグは、盗まれました。

・オレンジの手提げバッグ
・ヒロフの紺色の財布
・所持金 8万5千円
・銀行カード

・自動車免許証、健康保険証

・化粧品(カリタのコンパクト、口紅)
・イヤリング、バレッタ
・扇子
・手袋
・筆記用具
・名刺入れ
・携帯電話


仕事に必要なものが大半
困った・・。

ともかく、携帯は只今停止にしています。
不通なので、ご用の方は、ギャラリーまでご連絡ください。

0877-21-5604

わたくし只今、深く沈んでいます。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 17:39Comments(2)日々のこと

2009年08月23日

大衆的狂乱

ここ数日は丸亀婆沙羅まつりが開催されている。

昨日は、大木さんを深夜近くに迎え、その後あまりに外が涼しいので
気になっていた店前のヒイラギの剪定をしていた。

22日は、丸亀婆沙羅祭が始まって深夜というのに、まばらに人通りが残っている。
突然、隣家の植え込みから一人の男子が飛び出してきて、「駅はどこですか・駅まで一緒に行ってくれませんか」と道を訪ねてきた。
ビックリして私は、「駅はすぐそこ、一緒にいくなんて嫌よ」と私が応えると
今度は「警察を呼んでください。」という
警察??
見ると少し怪我をしている。
警察に連絡して、補導してもらった。
聞くと、12歳という。友人と祭に来て、ビールを飲んで、道がわからなくなったという。
12歳!未成年に誰がお酒を売ったの!!

金髪に髪を染めていて、19歳くらいかと思ったが、12歳とは。。
こんな子供は、婆沙羅祭がなくても深夜に徘徊し、タバコや飲酒を経験するのかもしれないが、
婆沙羅まつりは、こういった若者が多く集まる祭だ。
5月に行われる丸亀のお城祭が「テキヤの祭」とされるなら
8月の婆沙羅祭は「ヤンキーの祭」のようだ。
元来民衆の祭りとは、権力に抵抗する祭りとして
農民から生まれるエネルギーの祭。
それは「ゲマインシャフト」田舎文化(共同体社会)
「ゲゼルシャフト」つまり近代的都市文化(頭脳優位の文化)
ビジネス社会、都市社会
に対抗する文化として身体の文化としての復権の祭。
目標持たない生のエネルギーの噴出、そしてガス抜きとしての効果をもつものだが・・・。
婆沙羅まつりは、共同体の祭となっていない。
他の地区から多く参加があり、総勢は3000人以上
ところが、地域に根付いてない。地元の青年会 行政の後援で行うものだが、
地域の共同体に根ざさない民衆の祭はデレシネの祭であって、それはなにも地域に
効果を生み出さすことができないものだ。

よさこいにMIというチームを組んで参加している大木君と
そのあたりについて、いろいろ話しあった。

はおわら風の盆のような祭は否定しない。
三百年の歴史を持っている富山のおはら風の盆は、実際にまだ見たことがなく、
いつか行きたいと願っている祭だが、哀調の中に優雅さ 叙情豊かな唱と踊りに 気品高さがある

おわら風の盆のような祭が催される町の雰囲気だったらといつも思う。

だから私は、丸亀婆沙羅祭は大嫌いだ。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:57Comments(4)art

2009年08月22日

只今23:00

大木裕之君が、丸亀にしばらく滞在するというので、
自宅に戻ってくつろいでいたのですが、
再びお仕事モードへ
只今23時
なんちゅう生活・・。

展覧会は30日まで
最後の仕上げ 新たなキャンバス持参で制作
滞在は22日-30日
映画製作も
私は25日-27日は新潟妻有トリエンナーレの見学

24日 本島高島さんと丸亀文化課へ
報告は後日

  


Posted by ギャラリーアルテ at 23:07Comments(0)art

2009年08月18日

情味 醍醐味

先日、ふとしたことから、
再放送の「剣客商売」を観た。

それ以来、周回遅れを自覚しながらも
「剣客商売」にはまった。

原作は、池波正太郎の同名小説。

秋山小兵衛という、六十に近い年寄りの剣客が主人公。
四十も年の離れたおはるを妻にしている。
先妻との間に大治郎という息子がいて、彼は、剣一筋に生きる真面目一方の青年。

父と義母と息子の関り方、言葉つかいが余韻として心に残ったのです。

私好みの『人との関り方』だからと思う。

父が息子を思う 息子が父を思う その慎み深さが記憶に残るのです。

父親の秋山小兵衛は、「花も実もある」人柄で

世の中は、白黒だけでない味わいを見せていて、情味も備わっているけれど、筋も通っている。

こういうたたずまいが粋というのでしょうね。

息子に対して、「女っけのないおぬしがそんな気の利いたことをよく思いついたな」という下りでは、

息子が涼しげな顔で「近くによき手本がありますので・・。」

さりげなくて、実によろしい。



そして、剣客商売が好きだった 亡き父の居た風景を思い出す。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:09Comments(0)日々のこと

2009年08月16日

恐ろしい事実生物特許

アグリビジネスの中での均一化が進んでいます。生物特許(バイオ特許)についての事実

生物特許とは、バイオテクノロジーを用いて人為的につくられた生物・遺伝子・タンパク質などを対象にした特許のことをさします。

バイオテクノロジー企業は、遺伝子そのものが特許として、企業は開発した種や解析したDNA情報を私有する利益として、種を支配しています。

農薬メーカーであったり、製薬メーカーであった化学企業が、世界規模での種会社の買収を行い
傘下に支配しています。
例えばアメリカのモンサントは穀物メジャーのカーギル、ここの種子部門を買収。
さらに、北米・南米の主だった種子会社をことごとく買収。
モンサントは今や、小麦・大豆・とうもろこし・綿花の種をほとんど手中に収めています。

スイスのノバルティス社もモンサントと同じような活動をし、
1997年韓国の業界2位のソウル種苗を買収。
そこを足掛かりに、日本、東アジア地域への戦略を立てている。
日本の大きな種会社といえば、サカタのタネ、タキイ苗種など、
サカタのタネにも大株主として、ノバルティス社傘下のスイスの投資会社の資本が入っています。
WTO協定のもと、資本の自由化を背景に、多国籍バイオ企業の資本が
各国の種苗会社をターゲットに買収や資本参加を行い、ほぼ終わって いるのが現在の状況です。


これは、たいへんな事態です。しかし日本のメディアではほとんど報道されません。
日本は農協の合併が進む中で、国内のシーズ企業が、とても減少しています。
生存に必須の食の分野でこのような独占的状況に陥っており、
売り手優位で、希望の種を手に入れることができなくなるのです。

環境がどんどん悪化し、温暖化が進行している。
いままで栽培できたものが気温の上昇により作れなくなる。
状況が変わった中で、作物を作っていくためには
病害虫に強い高温・乾燥に強い、そういう遺伝子を交配させる必要がある。

いくら高度な組み換え技術があっても、元となる原種がなければ、
組み換え技術すら行えなくなる。そういう貴重な原種を
遺伝子組み替え技術によって汚染させているという状況が進んでいる。

多国籍企業が種会社を買収し、遺伝子組み換えの種を世界中に売っていく。
特許のかかった種であるから、自家採種は特許権の侵害にあたるとして、

農家で種の自家採種を禁止しています。犯すと種を手に入れることが出来なくなります。

企業が有用な原種を持ち出し、その遺伝子を解析して新たに特許を取る。
例としては、タイの"ジャスミンライス"という香りの良い、おいしい高級米があるが、
特許を取り商標まで奪い、タイの農民がそれを輸出できなくしてしまった。

グローバル化による金融支配が大きく報じられる中で
もっと根源的な重要な事態が進行しているのです。













  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:55Comments(0)art

2009年08月15日

越後妻有ツァー

8月25日-27日 休廊します。

彦坂尚嘉さんが案内してくださるので、
新潟へ行ってきます。
丸亀からは、長岡まき子さんと梅谷
25日は東京経由で新潟 津南グリーンピアホテル泊
よく26日彦坂さんと合流します。

勝手ながら休廊しますので、宜しくお願いします。



  

Posted by ギャラリーアルテ at 17:00Comments(0)art

2009年08月12日

死んでしまった町と、生き生きとしている町

歴史的都市の保存からクリエイティブな都市の再生が可能

グローバル化は、世界全体に影響を与えています。問題は、
そのことによって、市場が重視され過ぎていて、私たちの価値感や、
行動の仕方も影響を受けてしまっていることです。
文化にも、このような影響があります。
このことが問題だと感じていないことが本当は深刻な問題だとおもいます。

ただ、世界が一つの大きな市場になっている為に、かえって自分たちらしさ、
自分のアイデンティティや、コミュニティを結びつけるものは何なのかということを
考える機運が生まれています。

今進んでいるグローバリゼーションがこのまま進行すると、
世界中にあるさまざまな歴史的資源や、
あるいは言語さえもどんどん失われてしまうでしょう。
ある意味で、文化的な多様性を保つ努力や独自性も必要でしょう。

面白いことに、一般社会にとって価値が認められない財が、
アーティストの手にかかることで、プラスに転化されることはよくあります。

ただし、市町村の中で、全部が文化都市になるわけはありませんから、
かなりの部分は負ける。死ん行く町になります。

どこから違いが生まれるかというと
観光によって、活性化した町は、常にマイナーチェンジで変化を作り出さないと
いつまでも続かないxでしょう。
観客は、飽きやすく、時代のスピードはおもったよりも速い。
感性という直観力を養っていないと、常に商機を失うでしょう。
それほど、観光産業は難しくなっているとおもいます。
アートツーリズムという観光も大きく舵をきっているようです。

それよりも子供にとって住みやすい場所であること、老人が住みやすい
場所であること。将来にわたってよりよい環境が整っていること、
そういうビジョンがとても大切なことだとおもう。

これまでは競争によって、質が高まるといわれましたが
協力も大切です。協力してこそ、経済、社会、文化的生活を高めることができる
のです。

そういう意味で、成功事例にならおうとする地域は、残念ですが、死んでゆく町なのxです。










  


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2009年08月11日

文化を活用した地域再生とは

1970 年代、欧米の多くの都市は、高齢化および少子化社会、また産業や中心市街地の空洞化

現象などの社会問題を抱えていました。現在の日本と同じです。

しかしながら1980 年代後半より、都市政策に文化政策を取り込む取り組みが始まり、既存の

歴史的・文化的遺産を再活用しつつ、現代アート・フェスティバルなどの文化的イベント

を仕掛けるなど、「伝統」と「現代」という二つの

要素を共存させ、次第に都市としての自信とダイナミズムを取り戻す施策が試みられました。

その結果1990 年代には、多くの都市が次々と再生を果たしました。

こういった事例をモデルとして、都市から創造性を引き出す

「クリエイティブ・シティ」構想
をもとに日本の各地で地域再生 都市再生の試みが

行われるようになったのです。

ここで誤ってはいけないことは、芸術・文化がもつ

創造性をまちづくりに生かしていくことが都市に活気を与え、また住民の活力を

生み出す源泉となったということです。


文化そのものが、地域振興となるのではなく、

住民の活力を引き出すということが重要なのです。


文化による地域再生の場合、人口規模によってではなく、

独自の芸術文化を育てることが出来れば、革新的な経済基盤を持てるのです。

それが「創造都市」というものです。

経営学者の野中郁次郎が『知識創造企業』から引用すると

リストラを名目にした企業の闇雲の人員削減は、長期的に見ると企業の存立を

危うくするものであると批判し、労働者の創造性を引き出す「知識経営」こそ、

今、求められるものであると主張しています。

「創造する力は単に個人の内にあるのではなく、個人と個人の関係、

個人と環境の関係、すなわち『場』から生まれる」と述べ、知識創造の

「場」を重視した企業経営論を展開しています。

この「場」とは、空間と時間とを併せ持った概念です。

創造とは単に新しい発明の連続であるだけではなく、

適切な「過去との対話」によって成されるものです。

「伝統と創造」は相互に影響し合うプロセスだということです。

芸術作品に限らず、およそ財の価値は本来、

機能性芸術性

兼ね備えたものでなければ、なりません。

消費者の生命を維持するとともに人間性を高める力を持っているものです。

このような本来の価値(固有価値)を産み出すものは

人間の自由な創造的活動、

つまり仕事work
(ラテン語でオペラ)からであり、

決して他人から強制された労働laborではないのです。

生きるための労働に止まるのではなく、本来の仕事を行おうという意識に気づくこと。

そう促せる文化活動こそが必要なのであって、ただ闇雲にアート作品であればいい

というものではありません。


地域プロジェクトに関るアーティスト、

美術関係者も大いに自らを振り向かなければならないでしょう。

そして、本来のこの価値は、これを評価することのできる

消費者の享受能力に出会ったときにはじめて有効な価値となるのです。


才能や資質をどう育てられるか。

そういう意味で、誰かが海や山の向こうからやってきて

幸がもたらされると考えてはいけません。

また、なにか面白うなcircleに参加することで、よしとすることも誤っています。

ボローニャやバーミンガムの「創造都市戦略」など欧州に見られるような「創造の場」

を創り出して都市再生を進めている場所が日本でもいくつかあります。

代表的なケースは、近代産業遺産であるレンガ造りの紡績工場跡を市民参加型の

芸術センターに再生した「金沢市民芸術村」や、伝統的な繊維産地であった

西陣の町家を若い芸術家や職人達の工房として蘇生させる「西陣町家倶楽部」の活動などです。

いずれも若い人々と地域の人々つまり人が重要です。

モノや建物で創造都市は生まれないのです。






  


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2009年08月09日

菜園


12:10分のボートで本島へ
泊港で、長徳寺のご住職とお会いしました。
「またお世話になるそうじゃな」とニッコリ。

お盆だから、里帰りの人が多くて、船はいつもより2.5倍くらいにぎわっていました。
まず。尻浜にある映画『機関車先生』のロケ地となった、木造の海の家を訪ねました。
その海の家だったところは、西金のまきちゃんが、お母さんの時代から親しくされている方が持っているのです。
アーティストインレジデンス候補地 または作家のスタジオとして考えたかったからです。港から車で移動しなければ
ならない場所。かなり辺鄙なところ。
でも目の前が海で、とてもいい場所です。
95歳になるというお年寄りの女性が一人で暮らしています。
明治生まれとか、気丈で元気なことに一同言葉もありません。
数年前の台風のとき、高潮で数棟が、倒壊したそうです。
それでも、4棟は、今もあります。朝礼台もあります。
水道は5つくらい並んでいて、シャワーもありました。
まさに昭和の雰囲気がそのままそこにあるのです。
その中で、一人のお年寄りが暮らしているのです。
1500坪あるという広大な敷地ですが、丁寧に手入れされた庭
雑草の生えていない敷地で。
昨日は空は青空、海はキラキラして透き通るほど
紫外線も多く、日差しは怖かったのですが、
大きな楠の木陰は、風が通って、とても涼しかったです。
高潮で多くの木が枯れたそうですが、楠の大木は、大丈夫だったそうです。
木陰で見上げていると、精霊が宿っているように感じました。




その後、笠島地区の高島昭夫さんを訪ねました。菜園を下見しました。
笠島地区は、地主として、笠島地区から少し離れた土地を小作の人を雇って農地としていたそうです。
だから家のすぐ近くに菜園はあまりありません。
峠を少し越えて行きました。歩いて行ける距離です。でも暑いです。
埋め墓を通り過ぎてその場所はありました。
海が見えます。
瀬戸大橋を真横に見ることが出来ます。
ゴーンという音がするので、なんだろうと見ていると
架橋の下を列車がゆっくりと走っていました。


大きな貨物船も通り過ぎています。
赤い船 青い船 まるで車が行き交うように、瀬戸内の海は混雑しています。

高島さんは、かぼちゃを栽培されていました。お土産に一ついただきました。
太陽を浴びたかぼちゃは暖かく、重かった。

平野さんも自宅に少し菜園をつくっているそうです。
ゴーヤ、トマト、胡瓜、紫蘇、ねぎetc.
我が家の病院跡地は今駐車場にしていますが、そのうち畑にしようかしら。

高島さんには、理解があって、いろいろアドバイスをいただいています。
菜園づくりとふれあい茶屋の兼務は難しく、別のグループとして考えて見なければなりません。


  
タグ :本島


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2009年08月08日

本島へ

今日は、本島へ行きます。
笠島地区の休耕地を見せていただくためです。
高島昭夫さんをお尋ねして、いろいろ可能なことお話を伺います。

SAWの建築家 平野さんとも合流します。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 10:42Comments(0)塩飽本島

2009年08月06日

8月5日


昨日、夕方大木裕之さんがアルテに
本島のアクションの件、相談しています。
大木さんもともと山岳部 山歩きもされているので
「本島で住み込んで、料理つくりながら、映画を撮って
農業もやりますよ・・・・ぉ 」と言っています。

今日は私の誕生日なので、昨日大木さんが、「お祝いをしてくださいきました」

大木さんの友達の淵上君は可愛そうに、新居のために土地を買って
建設中だった家が・・・
建設会社の倒産で白紙に・・
別の場所を探して一から再検討中ということなので、
アルテの隣の空き家を住居兼ギャラリーにどうかとか
本島に住んだらとか適当なことアドバイスをしていた。

なんと淵上君 本島の保育所で一ヶ月 保育士をしていた経験があるのだとか

糸崎公朗さんは、金沢レジデンシー中に知り合った建築家の卵さんが
町屋を使ったアートアクションを行っているので、企画コアメンバーとして推薦するという。
企画力 及び 創造力のある人が集まってくれると、きっと中身の濃い
面白い事業に育てられるとおもいます。

そんな一日でした。

そして本日は、糸崎さんのフォトモがらみで東京電通の方から
たまたま似たようなアイデアで計画があるからと、事前にご連絡いただいたのです。
大きな仕事の場合はこれくらい慎重に進めなければならないのですね。
糸崎さんの扱い画廊ということで、わざわざ東京からこちらに説明にいらっしゃるというので
メールと電話でいいです。とお伝えしたのですが、IT情報化革命は地方都市に暮らしていても
仕事の範囲は拡大しましたねぇ。。

とはいえ、昨日からたそがれています。
まあいいんですよ、動いていると嫌なこともあるけど、動いているからってことで
こんぴらアートは今となっては嫌な思い出ですが、糸崎公朗さん、彦坂尚嘉さん、吉峯和美さん、安倍安人さん
などの作家と新に仕事を展開できるきっかけになりました。
そういう意味で私は犠牲を払うことになりましたが、大きな成果をいただいたとおもっています。

こんぴらアートについて 経過が周知されていなかった部分もありまして、
でもしつこく言っておいたほうがよさそうなので、ここに書いておきます。

2008年実施したこんぴらアートは、四国経済局の中央商店街活性化対策費の中から
採択された事業助成でした。助成の方法は規定に基づく総額の1/2でした。
実行委員会が1/2の資金を負担して行わなければならないものでした。
ところが、
地元実行委員会は、経費支払い時に、実行委員会の責任を認識していませんでした。
つまり、アルテの提案のよる企画を応援しようというスタンスで、形だけの実行委員会
だったということです。
琴平では、こういうことをよくやっているのでしょうね。
そこで誰かが支払わなければならないので、こんぴらアートに係った経費の一部を、
参加費とチケット売り上げで支払うことが出来ました。
収入は、参加費16名分560,000円
チケット売り上げが、29万円
計 850,000-

チケットを前売りを含めて200枚委託していました。
実行委員会のメンバーが、地元の旅館業者や土産物業者だったので、
記録集のために協賛広告を実行委員会では何度もお願いしていました。
全くチケットは販売されていませんでした。
そしてもちろん琴平の関係者からは協賛広告が1社もありませんでした。
もちろん、実行委員会は委員会として責任を感じてはいません。

経費を圧縮して最終事業経費は、3,141,317-
不足分はアルテの負担として支払い継続中です。

経済産業省に採択された事業でしたが、今回は実行委員会が
機能しなくなったため、廃止手続きを行いました。
事業助成は、行われませんでした。

夢戦略会議の方に「アートによる新たな観光振興」の説明をさせていただいて、
会のメンバーとして招待されたのですが
全てがグズグズの、無責任な責任者不在の振興会議でした。
いま琴平町は前副町長のJAからの不正融資の問題が持ち上がっているようですが

不正借り入れ問題が特異な個人の犯罪ということではなく、
琴平には、こういった腹黒い、私利私欲のDNAが記述されているのだと感じるのです。

私は、他者の犠牲の上に私たちの生があると考えています。
多くの人に犠牲やがまんを強いた昨年のこんぴらアート展
時間はかかっても、責任を取らなければならないとがんばっています。









  


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2009年08月04日

「Wish You Were Here」

瀬戸内海は古くより、交通の大動脈でした。海のほうが人やものやお金が集まったところでした。塩飽本島は、その歴史的背景を丹念に見て行かないと、アート作品は地域の中で関係性を持てないでしょう。 
設置された作品を周遊鑑賞させるスタイルのアートプロジェクトとAIRの形で、作家が一定期間滞在して地域の人と交流する中でなんらかのアクションを起こし、または痕跡や記憶を遺すというスタイルとは明らかな目的や効果の違いがあるとおもいます。

3年前、本島では記憶に残るが作品は遺さない。まず島の人々から歴史や暮らしについて様々なことを伺う、そして交流する ということを基本に考えました。小説家をレジデンスアーティストとして選んだのもそういう意味からです。

そしてこれからは、ふれあい茶屋を再生することが大目的で、その後アートから様々な提案を行いたいと考えます。
まずは菜園づくり、アーティスト・イン・ファームと考えています。島では自分たちの食材を確保することからはじまりますから。モノがない不自由を体験しましたが、かえって充実した別の価値の豊かさを感じました。
自然の中で暮らすと、生命力が蘇るようでした。都市型の美術はここでは意味がありません。現代アートが都市の文化であるとしたら、地方からのアートとはなにかを考えています。農業はいろんな可能性を持っています。
今の日本では、ある意味未開の産業(というより歪な産業)ですから、芸術分野からのアプローチは非常におもしろいと思います。
農業者が思ってもいなかったような可能性があるとおもうのです。

テーマ 「Wish You Were Here」-あなたがここにいてほしい-。
あなたとは、アーティストであり、ここに訪れる人々であり、地域の住民です。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:17Comments(0)塩飽本島

2009年08月02日

美意識

美しい生き方を目指したいです。
過去の人間の、生き方や美意識には、香たつ魅力を感じます。

■ 江戸町人の美意識をさす言葉に「いき粋」があります。
もうひとつの読み方が、粋とかいて「すい」です。
「すい」は、上方の美意識といえ、内容は優れていること、混じりけのないこと、純粋をさす言葉です。

さてここで問題です。
着物の柄にある縦縞と横縞、どちらが「いき」なのか。

正解は、縦縞
より平行線を知覚させるからだそうです。
祖母は縞柄は、品がないといっていました。
品格と粋とはまた性質が異なる感覚です。
粋とは特殊な地域に暮らす人の美意識といえるでしょう。

二つの線は限りなく近づくが決して接しない、その状態が「いき」なのだそうです。
「決して接しない=平行線」を強調する縦縞が「いき」なのは、その所為です。

もはや一般的には死語の状態。

美術関係者、美術愛好家にはかなりこの感覚(美意識)がわかる方が多いのではないでしょうか。

■美術関係者、美術愛好家とは
美術商の中でも、作品展示や販売するための占有するスペース(ギャラリー)を持っている場合は画廊やギャラリー、あるいはギャラリスト(Gallerist)と呼ばれます。単に作品を安く買い高く転売することを目的とするブローカーやディーラーとギャラリスト(画廊主)は、その仕事の内容と顧客の質が異なっています。
自前のスペースを持ち、自ら見出した契約作家を育成しギャラリーで最高の状態で展示するというリスクを抱えることで、美術家をプロモートし、美術家と共に歩み美術を育成する存在です。質や専門性、信頼性を保つために、画廊としての取り扱い作家や見識を決め、それに沿った企画展示をと心がけています。画廊の雰囲気というものも大切です。
いい美術品を求める顧客と美術品を売りたい作家を仲立ちし、結果、社会と美術界をともに発展させる仕事です。

丸亀に開廊してアルテは今年で9年目になりますが、画廊の雰囲気について、納得でlきないところが・。

粋やすいの、その逆が野暮です。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:38Comments(0)うつくしい言葉

2009年08月01日

アーティスト・イン笠島~WISH村

■ 体験WS
ワークショップなどをして滞在を有意義にしてもらう
(ただ見るだけと体験するのでは思い出が違うと思うのです)

■ 本島ネットショップ
ネットショップを開き、特産品・作品・手作り農産品販売・・・ネット販売
⇒発送体制
購入してくださった方に、本島で使えるクーポン券丸亀や本島でつかえるもの。

有機野菜の手作りの食材⇒いい商品で売る方向
商圏を広くすることが可能になる。全国が商圏となる

■ 体験型のアート観光
アート鑑賞
ワークショップ
島の郷土料理をお年寄りと一緒につくる体験WS


■ 島の特産品
島のオリジナル商品

島の土(適したものがあれば)を使って、陶器を焼いて島ブランド的な感じで販売する。又ふれあい茶屋の食器として使っても良い。(了承してくれれば)
昔の道具(台所用品、灯りなど)昔から伝わった作り方で、島の人と一緒につくる。アーティストがかかわってデザインを考える。

島の特産品(加工品を作れればなお良い)パッケージを考える。
例)新潟の萌え系のイラスト入りの米などパッケージで売れ行きも変わる。

■ アーティストハウス
  ・・・・本島全体の中で
若いアーティスト(美大生とかでも)がアパートに泊り込んで、作品を残していく、
(本島では茶屋、農業もやってもらいながら)

■広報・告知
たくさんの人がかかわると関わった人が人を連れてきたり、
口コミで早く浸透するのでは・・・島のオリジナル商品を作る アピールになる

  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:58Comments(0)塩飽本島

2009年07月28日

アート in farm



本島に滞在した何かしようと考えるとき

まず

食べ物を確保することから

考えなくてはならない

そこから

休耕地を借りて、てづくりの菜園をつくる。



それにしても、農業とアートで検索するとヒットすることヒットすること

今日大阪からご来廊いただいた方たち(6年 ぶりに再会した)も奈良で農業アートを運営されているとか

そういう時代なのねと話し合いました。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 13:30Comments(0)塩飽本島

2009年07月25日

スイカたべなくっちゃ

本島観光を考える会が14:30くらいに終了。
次の丸亀行きのフェリーは17:10分
3時間ちかくあるので、フェリー乗り場の待合所のベンチで
心地よい風を感じながら読書・・読書・・ときおり居眠り
読書・・16:00頃 コミュニティバスが来る。
島内を巡回しているバスだ。

待合所で本を読むのに飽きたので、バスのることにした。
200円を払って乗りっぱなしを目論む。
運転手さんと私だけなので、
島内案内をしてくれる。

運 「あれが夫婦倉や、まっとってあげるから、みてきな。」

石碑に書いてるのが、長尾さんという島の賢い人の顕彰俾のよう。

私 「なんか、島の人で東大に入って、医学博士になったという偉い人のこと書いてる」

それから運転手さんは、行き先々で手を振りながら島内をバスは巡行するのです。

笠島地区にはいると、3年前ペタングをしていたおばあさん、おじいさんたちがベランダで

集まっておしゃべりしている。運転手さんとおばあさんが、バスの窓を開けて会話。

あたしに気づいたおばあさんが「あんた写真の人?」

私 「こんにちは。また頻繁に伺うことになります。宜しくです。」と挨拶をすると

「スイカいるか?」

運 「ドア開けたあげるから、もろてきな。」

私 「◎ ◎****はい」

というわけで、残りの1時間は、貸切コミュニティバス状態で

島内をじっくり観察することができました。

今夜はスイカたべなくっちゃ。。

  
タグ :本島


Posted by ギャラリーアルテ at 21:03Comments(0)塩飽本島

2009年07月25日

本島自治会

7月24日は本島の島民自治会主催で丸亀市商工観光課との意見交換会がありました。
私も笠島地区のふれあい茶屋再生プランのからみがあって、参加させていただきました。

○最近の観光事業について
まち歩き事業の説明

小グループでの観光が主になっているそうです。

意見交換としては

アクセスについて 交通の便が悪いことから 滞留時間は2-3時間ということです。
観光客の層の変化 
食の提供 地産食材への関心
まち並への道しるべがわかりにくいという意見など

全島の自治会長 お年寄り25名の参加でしたが
人名制度のある島のためか、真剣な意見が交わされていて
印象的でした。

急いで計画を整理して試案を提出しなければなりません。
手作りの食材を提供する、供給元を整備
需要を喚起するためにもアンテナカフェとして
丸亀浜町の店舗も開こうとしています。

島の人と一緒に野菜づくり 名付けて WISH村です。
その事業を市に提案するために、奮闘努力中。

  


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2009年07月21日

アートと貨幣の性質

貨幣が貨幣であるのは、貨幣が貨幣として使われるからにすぎない。

アートがアートとして価値をもったのは、
美術家やギャラリーの中 制度の中にあるから

それでは
地域の中のアートは

貨幣でない貨幣の働きをするものは?例えば電子マネー

  

Posted by ギャラリーアルテ at 17:25Comments(0)art

2009年07月21日

対話

コメントへの返信として

たみ屋さん、こんにちは。
まず、知は財かどうかということについて

インターネット時代の資本主義という意味で、
知の商品化ということをさして言うと
知は財になりますね。

情報そのものを売り買いされる今
情報の商品化、差異を作り出し、利益を得る。
広告によって、または評論やメディアの情報によって
見たい展覧会を選択することや購入するモノを選別するという行為は
知の財によるのではないでしょうか?

メディアのうそにも気づき始めた感度の高い人は
単なる広告やメディアによっては扇動されませんが・・・

もうひとつ美術と知の関係
これは一体のもので美術とは哲学だから当然ということになるのです。

ただ時代錯誤の芸術家や観客は、美術とは装飾的なもの
感性だけのものと思われているようですが、
これは社会構造や歴史や美のあるなしについても
時代錯誤な見方をされている方ということになります。

そういう人かなり多いです。
ソフィアは、戦争に負けたことに起因すると考えています。
かなり意図的に操作しやすく見えない仕組みをつくったのではないでしょうか?
外圧によって。。  

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2009年07月19日

ことばを訊ねて、資本主義のひみつ

買う 売る
という言葉は
中国ではもともと同じ言葉。

「買」の意味は、あるものと別のものを取り替える意味である「貿」を語源としている。
はじめはボウと発音されていたが、後になってバイと発音されるようになった。

売るという意味には、「買」
という字にものを差し出すという意味の「出」を組み合わせて「賣」となり、
「売」は「賣」の略字体。

日本語ではどうか・・
買ふ 交ふ(かふ)の他動の意味か
交ひ、替ひ、買ひ という漢字の表記があてられている。
岩波の「古語辞典」では、甲乙の不達の別のものが互いに入れ違う意味という説明。

日本語においても
買うという言葉は、もともとは売り買い両方の意味をもっていた。
単にあるものと別のものを交換することをさしていたに過ぎない。

売るという言葉と区別されて、お金をはらって
モノを手に入れる行為を示すことになったのは、
時代もはるかに下ってのこと。

20世紀の最大の言語学者エミール・バンヴェニスト著
「インド=ヨーロッパの諸制度語彙集」(1969年)の経済語彙集は
この事実の解明の書

それではドイツ語においては・・
売る を意味する 「verkaufen 」は 

「買う」を意味するkaufen から 派生した言葉であり

ギリシャ語の「借りる」を意味するdaneizomai は
「貸す」を意味するdaneizo という言葉から派生したと記述している。

資本主義の基本原理は、
差異から利潤を創り出す ということ。

古い形態の商業資本主義は、海を隔てた遠隔地との交易を媒介に
国内市場との差異から利潤を得る。


産業革命以降の資本主義の形態 産業資本主義は
農村などの過剰人口によって、構造的に作り出してきた
労働力の価値と労働生産性とのあいだの差異から利潤を得た。

遠隔地も農村の過剰人口もうしないつつある現代の資本主義は
差異そのものを意識的に創り出して行くことにある。
それが情報の商品化としての差異を創出にほかならない。

差異が利潤をつくり出す・・資本主義の基本原理のひみつ






  

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2009年07月19日

フリーアートとインターネット


非美術の場所でのアートアクションを考えるなかで

本島笠島地区でのアクションの準備をすすめている。

その中で気づいたこと。

一般に、芸術作品や評論文、解説文もちろんコンピュータプログラムなども含めて、

著作物は、その作者が著作権を持っている。

そのため、作者の許可を得なければ改変したり、複製したり、配布・販売することはできない。

このような制度の枠組みは、作品を共有して多くの人と共同的な創造活動を行う際には

かえって妨げとなる場合も多い。

そのために行われたことは、(パブリックドメイン)という形で著作権を放棄したり、

放棄はせずに「誰でも自由に使って良い」という形で共有する方法がある。

ここにコピーレフトという形が生まれる。

つまり、利用権を共有するための仕組みとして、著作権を放棄するのではなく、

ライセンス(利用許諾)の形で共有と共同的な創造活動を保護する方法を採る。

つまり、「著作権は私が有していて複製・改変・配布(販売)には私の許可がいるが、

ソフトウェアを共有して発展させるという意図に反しないならば、

いつでも誰に対しても利用を許可する」という形態を採る。・・・という方法。

本島の笠島地区ふれあい茶屋再生アクションも

ふれあいの館の指定管理者は、NPO笠島地区まち並保存会だから

その運営を私たち有志が肩代わりして、運営することで

様々なサービスを提供するとは、このコピーレフトの考え方にあたると

気づいた。

 瀬戸内国際芸術祭に見られるような資本主義化して行く地域でのアートプロジェクトに対して、

性質の異なる、抵抗ともなるのだと。








  


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