香川県の地域ブログでつくるみんなのまち あしたさぬき.JP › gallery 雑記 現代美術を動かす人々 

 

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2010年01月11日

1月11日

今日は大木さんのお友達の淵上君が結婚する日だ。
今年は7:40分のフェリーで毎日通勤しようと思っているのだが、
昨日保存センターの東さんたちがピザのご注文下さった上に
明日(11日)はカレーのご予約をいただいたので、本島に泊まりました。

やっぱり本島泊のほうがすばやく対応できるので、1泊2泊する方がよいようです。
これからの予定としては、確かNYで暮らしている方が、一時帰国される際に
本島に来てくださるそうです。日程はまだ不明。

リコシェの柳ケ瀬さんが月末本島泊の予定で訪ねてくださる。
Bookフェアや展示の打ち合わせのためだ。

アートフェアの準備やHPの更新
作品リストの整理や福武財団から送られてきた資料の読み込み
かもめ食堂のサチエさんが着ていたブラウスを作りたいので
リバティの布をいろいろ選択中
エプロンやブラウスを縫いたいのです。時間つくりたい。。

しなければならないことや
したいこと 20%くらいしか出来ていない。
集中したいです。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 13:41Comments(0)art

2010年01月08日

申請採択されました

先ほどまで、泊の方が来て下さっていました。

歴史的建造物の研究をしたいと、東京理科大の学生君が、訪ねてくれました。

平成21年度瀬戸内海文化研究・活動支援助成
決まりました。

スイッチオンです。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 12:45Comments(3)art

2010年01月07日

ふれあいの館で七草粥



笠島では、毎年お接待で七草粥をふるまうのだそうです。
私たちもご馳走になりました。
とても美味しかった。。


中屋敷君が昨日からアルテに滞在しています。
今日は快晴。日差しがまぶしい。




  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:03Comments(0)art

2010年01月05日

明日から本島通勤はじまりま~す

寒い。
外は曇り空。今年のお正月は、自宅でゆったりのんびりした。
毎年はどこかへ出かけて年末年始を過ごすので、かなり活動的に
動きまわり、つまり年頭からスイッチオン状態でした。
足が痛くなるほど歩くので、年頭だけはいつも足がほっそり
足首キュッと・・。
なのにギャラリーが始まると、運動量が少なく、徐々に象足に。。

今年は例年とはまったく違う。
自宅でお料理とお掃除をするのが新鮮で
嬉々としてすごし、そして録画していてもまったく見ることができていなかった
ドラマやドキュメンタリーや報道特集などなどをどっぷり堪能し、
さらに自宅は光なので、快適なネットサーフィンを楽しみました。。

ようやく明日から本島へ通う時間が始まります。
といっても1月2月の本島は観光客はかなり少ないそうで、
保存センターも土日・祝日のみの開館だそうであるから、
3月までは冬休み状態が続く。
その間に宿題すませておかなきゃ。。

丸亀からの通勤はいい運動量があって、これは心身にとてもいいから
寒さにめげずにがんばってゆきましょう。

明日・あさって京都から中屋敷君が本島を訪ねてくれる。
今年の計画 練ります。たのしみじゃ。。  


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2010年01月03日

2010年明けました

「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」と評された武市半平太の時世

ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり

「アア、けしからぬ世の中にて候。」
と、しきりに憤慨しながら、慶応元年5月、遂に切腹の断罪が下り、三つ文字に腹かき切って果てた。満36歳。

品行方正という以上に、自己に厳しく、また周囲の者にもそれを求め、潔癖、律儀、悪く言えば、融通の利かない頑固な気質が彼の心棒になっていた。

武市半平太をどうしてと質問されますか

世の中は、複雑になっていて、多くの一般の人々はもう理解できない世の中の仕組みになっています。
単純にわかりやすく語れることを求めるのですが
単純化できるほどたやすいものではなくなっているのです。

今年は昨年にも増して
喪失感を感じる一年となるでしょう。
恐れません。そしてわからない人との離別を
むしろ寿ぐ私なのです。

新年明けましておめでとうございます。

  


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2009年12月27日

ギャラリー玄関



2010年を迎える準備できました。  


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2009年12月26日

新年を迎える準備

今日は、勤番所に勤める岡さんが、どんな竹が欲しいの・・と訪ねてくださったので、
二時ごろから、門に竹を飾りたいと一緒に山へ竹や松や梅や
千両や南天を採りに連れて行っていただく。
竹林へ行って、どの竹がいい?と聞かれて
えーーーっ採っていいの。
どのくらいの松が欲しい?
と聞かれて、えーーーっ勝手にとっていいの。。。

なんだかんだで
驚くことばかりで、ブーツだったもので、山肌からすべりおちそうになったりして、
一抱えほど南天や千両や水仙など伐採して
戻りました。

それから高島さんが来て下さって、
竹の調整や竹に花をいれる窓を作っていただいて
現代版門松が出来ました。

うれしや。
ほんとにうれしや。
感動しましたよ。

デジカメの具合が悪く、画像をすぐに掲載できないのが
残念ですが、まあまあ後のと楽しみということで、
本島での2ヶ月が過ぎました。
大きく環境が変った2ヶ月でしたが、
とてもとても良かったように思えます。

2010年大きな門松を初めて建てて
新しい年を迎えます。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 23:11Comments(1)art

2009年12月19日

本島の音

11日頃から、ギャラリーのまわりはざわざわしていて、人の出入りが多く、
全くPCに向き合えなかった。
11月末ごろピザを焼いたところ、評判になって
翌日からピザの注文が殺到。。
今日まで ピザで明け暮れることに
小阪の方がゾクゾクと来てくださる。本当にこの島での展開は
予想をいい意味で覆されて、楽しんでいます。
本島の住民の皆さん、ありがとうございます。

11日からNHKの若い若いディレクター君が「本島の音」をテーマに番組づくりをしている。
今回私は取材対象ではなくて、協力する側。
今朝は早朝から、尾上神社で餅つき歌の収録
私もおいでといわれたので、見学に。。
もち米を蒸して、杵でつく、餅つき歌は、伊勢音頭も混じっていて
なかなか興味深い体験をさせてもらった。
お餅もいただきました。杵でついたお餅は、実家がお寺なので、
なつかしい味でしたよ。祖母や祖父や父と一緒に過ごしたお正月を
思い出しました。。。

彼と私はどちらかというとワインの飲み友達となっている。
放映は1月中旬だそう。。
落ち着いたら、ワイン3本持って伺いますねですと。。

只今アルテではハンナさんが、滞在制作中、本島と格闘しているようです。
20日明日 午後4時から福西さんたちが
Xmasとし忘れLiveをアルテの空間で行ってくださいます。
ですから、ハンナちゃん只今Live用に展示準備中。

それにしても空気が冷たい。
丸亀市内では雪が舞ったそうです。
流石に島は雪はない。
島に雪が降るときは、相当寒気が降りてきたとき。
今夜は冷えそう。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 13:34Comments(0)art

2009年12月09日

12月9日水曜日



午後8時 本島泊の場合はいつももらい湯をしている。
今夜も高島さんちへもらい湯に行ってきた。
先ほどまで、雨が降っていたようだ。
気がつかなかった。路面の石畳が雨にあったのか、濡れていたが
かすかに乾きかかっている。打ち水をしたような感じだ。
空を見上げる。
星がいっぱい見える。オリオン座がすぐ近くに見えた。
わぁ・・・・。

高島さんちのお風呂は暖まる。灯油で沸かすお風呂だ。高島温泉と密かによんでる。

先週はまた来客も多く、忙しくてPCに向き合えなかった。
先週の木曜日かえるまえに、ピザを焼いてみた。
はじめて焼いた、手作りピザだ。
生地ももちろん手作り。。保存センターの東さんと勤番所の岡さんが
いつものように珈琲を飲みにいらしゃったので、ピザを出した。
美味しいといってくれて、手応えを感じて、「来週はピザを焼いてみよう」と密かに思いつつ丸亀に戻る。

翌日金曜日は徒歩で笠島へ。
店についたとたん、電話のベル音。
あわてて電話を取ると「今日は遅かったね。あんたの店にいっとたんよ。」

私「まあごめんなさい。今日は歩いてきたものですから・・」
私 誰だろう・・・

「ピザ焼いてくれる?5枚、お昼頃3枚」
私「えーー5枚 、そのあと3枚」

それから急いで仕込んでピザ焼きました。
夕方またご注文追加の5枚
結局材料が底をついて、急いで最終便20:00時のフェリーでまきちゃんに
もってきてもらう。
夜生地の仕込み

翌日朝からピザ焼き
そしてその日もピザの注文

美味しいと評判になっているそうで、私は始めて焼いたという暇を与えてくれない。
翌日曜日も朝9jからピザの注文
そうこうするうちに観光客がなにか食べるものありますか?
と訪ねてくれる。
保存センターも東さんもお客さまを案内して「梅谷さん。なにか食べるもの作ってあげてもらえますか_」

終日このペースで
一日が終わり、ほうほうの態で丸亀へ

月・火と自宅の掃除しながら、眠った眠った。

でも月曜日の夕方、NHKのディレクターからの連絡で
丸亀のワインバーで打ち合わせ、もちろん、ワインと美味しいチーズで・・
トマトのピクルス美味しかった。作ってみよっと・・。

そして、水曜日が始まる。
10:40分のフェリーで本島へ、食材を詰めたトランクを自転車に載せて笠島へ

ギャラリーのお仕事もあるのだけど、ないかあっても対応できるように
まずはカレー仕込をしておこうと、カレーの煮込みとご飯を磨いで炊飯器へ

12:30」頃店の戸が開く音。
なにか食べるものあるかな

カレー仕込んでいて良かった。。

その後、5時ごろピザもらいに行くからお願いできますか?

やっとピザ生地仕込み慣れました。
いい感じで焼けました。
あすの分も仕込んで、ほっと一息。

ピザのバリエーションも増えて、なんだか楽しい。

ある材料で、つくるのもいい感じ。
料理って面白い。

やっと夜になって、ギャラリーの仕事モードになりました。

今不況の時期に、地方では作品はなかなか動きません。
いまは、このような形で島の人々と関れることを喜びましょう。
毎日、ブログ書く時間もないほど
ブログにいちいちかけないほどの出会いや、やりとりや喜びや感謝の言葉をいただいています。

本島での日々ようやく一ヶ月たちました。
毎日違った展開があって、丸亀の市内でいたときより
充実している。

20日 Xmasとし忘れコンサート開きます。
詳細はまた明日。

ではお休みさない。。  


Posted by ギャラリーアルテ at 21:25Comments(0)art

2009年12月02日

12月2日


12月2日の本島
糸崎公朗展
蔵本秀彦展
終了しました。23日のふれあい祭りは忙しすぎてカウントできていませんが
171名の方が(23日を除く)作品鑑賞のために、本島アルテを訪れてくださいました。
ありがとうございました。

作品とともに本島笠島地区の歴史や町並みを知っていただける機会ともなりました。
県外からの来訪者はこの地域のことを良く知って訪れていただきますが、案外香川の方が
ご存知なかったり、島に関心が薄かったりするようです。
現代アートについても同様な傾向が見受けられます。
徐々に、本島に親しんでいただく機会となればと考えます。

蔵本さんから、とても楽しませてもらえたというメールいただきました。

引用します。
お疲れ様でした。それとお世話になりました。
あんまり伺えず、と言っても私の個展なのですが申し訳ない。
仕事を抱えていると一番おいしい所を逃すので残念です。
そのぶん、少しずつ時間をかき集めて制作に集中させたいと思います。
今度はまた違った作品を展示しようと思考しています。

反響はどうでしたか?
何年か続けなければ笠島での評価は分からないと思いますが
楽しい展示となりました。
ギャラリー以外の面倒くさいこと多いと思いますが
ゆっくり、張り切らず、継続できることを期待しています。
生徒たちに才能の話をするのですが
一番の才能は、継続だと教えています。

くらもと


そうです。いろいろな出来事や乗り越えるべき障害はありますが、
続けようとすること、継続できることが、一番の才能なのだと思います。
時代を乗り越えきた作家の実力というものを感じさせてくれる蔵本展でした。

彦坂尚嘉さん、斉藤ちさとさんたちも、脚光をあびたその後も自らの
領域を開きつつ、創作を続けている作家です。
若い作家にとって、交流できることで、様々なものを学ぶ機会になることでしょう。
その彦坂さん年内には本島を訪ねてくださるそうです。

日程が決まりましたら、情報UPします。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

ギャラリーアルテのこれからの予定です。
12月20日 午後4時ごろより Xmas Live 
ミュージシャン 多田羅茂隆、福西哲唯他

12月下旬より1月 HANNA個展
3月  澤登恭子個展
4月  アートフェア東京2010出展のため 1日-10日休廊予定
チバナオミ個展

ART love FOOD プロジェクトなど準備
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

これからの掲載記事
株式会社ユーラシア旅行社「風の旅人」
Web: http://www.kazetabi.com
ユーラシアニュース 1月2月号

月刊香川こまち 12月号



 


  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:57Comments(0)art

2009年11月30日

11月30日快晴

20日から30日までの10日間とっても忙しくて
PCに向き合う時間がありませんでした。
今日は保存センターは休館日なので、すこしゆっくりとしました。
この10日間のこと報告してもいいのですが、まあ忙しかったという記憶が残るのみで
詳細は霧のように・・・。

一昨日高島さんから大きなチヌをいただきました。
半身は、刺身、半身は焼き魚用に下ごしらえをしてくださいました。
私じゃ出来ないだろうというお心遣い、そのとおりです。
実は魚の目が怖くて、出来ないのです。
でも調理は出来ますよ。あらはあら炊きにしました。美味しく出来ました。
そこで松本さんとマキちゃんに連絡して、8時の最終便で来て貰いました。
魚でつったのかと高島さんは笑っていました。

きてもらってよかった。翌日の29日 関西学院の生徒50名、町あるきもあって、かなり人出が多く、
SAWカフェは準備をしなきゃとしていたら、島のお年寄りがランチのカレーとシチューのご注文で
バタバタしました。りんごを大量にいただいたので、りんごでお菓子をつくろうと松本さんと
二人でタルトタタンづくり・・
いやはや疲労・・。美味しく焼けたので、またご注文をいただきました。

今日は蔵本展最終日、三村君からお電話いただいて、島でまつことに。。
三村君は、体も大きい男子なので、本日のカレー(大豆とブロッコリー)2皿も食べてくれました。

明日はお休みです。
次の展覧会 ハンナさんの個展は12月の予定です。
さてそろそろ、ギャラリー活動の方を充実させたいです。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:29Comments(0)art

2009年11月21日

昨日は島の人へ向けてのLive

20日午後7時から9時過ぎまで3名のミュージシャンが本島笠島あたらしやにて
「即興Live」イベントを行いました。
テナーサックス 近藤直司 
テナーサックス 南 優  
パーカッション 多田羅茂隆 

笠島の夜は静かなので、「観客はスタッフだけかも・・」といいながら
生ビールやワインを用意して、ストーブで部屋をあたたかくして
雑談していると、ガラーっと玄関戸の開く音がして、島の方々が
きてくださったのです。
お年寄りに向けに、フリージャズの演奏会。
20数名の(60歳代、70歳代、80歳代の)お年寄りがとても熱心に楽しんでくださったのです。
投げ銭形式にしたのですが、なんと千円ずつ置いていってくださるのです。

さらに、今日は島中の方から、昨日はありがとうね。
楽しかったわー
良かったわー
ご近所のお年寄りが「ありがとうとわざわざお電話いただいたり。
昨日は疲れただろうから、作品をまたゆっくり見させてもらいたいというお電話を
下さる方もいらっしゃるのです。

島にいると必ず、誰かしら声をかけて訪ねてくださいますので、
パソコンに向き合う時間があまり取れないのです。
丸亀でギャラリーでのLiveを行っても、あまり人が集まってくれなかったりしたもので
それが当たり前という感覚でしたが、まあなんと、やさしいこと。

島に若いものが来た(いえ私じゃなくてスタッフのこと)
新しく住民が増えた。(これは私)
ということで、とても気持ちよく受け入れてくださっているのです。
今までのように自分の都合で移動は続けられそうにありませんね。
腰を落ちつけて、がんばりましょう。

今日の四国新聞でギャラリーのこと紹介されました。
素敵な文章でした。
毎日新聞、NHKのローカルピックアップなど各メディアでも注目して
いただき、島の方も喜んでいらっしゃいます。
ありがとうございました。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:50Comments(0)art

2009年11月18日

海の民と山の民

本日はタッチの差で10:40分のフェリーに乗り遅れ、岸壁に取り残されて
後続の12:10の高速艇で本島へ・・・
取材の為にきてくださった四国新聞の中山さん、丸亀から展覧会を見たいと本島へきてくださったお客様
お二人をお待たせしてしまいました。大反省
動き出す前なら、ゲートを空けてくださるフレンドリーな汽船会社なのですが、動き出すと戻れません。

先日のお客様が。海彦山彦のお話をされていました。
平清盛は、神戸に港を開き、宋との交易を進めていました。厳島神社は、瀬戸内海を通行して日本へ訪れる人々を向かえる迎賓館であり、清盛がもう少し長く生きていたら、源氏との争いに負けていなかったら、日本という国の形は今とは違っていたのではないでしょうか?源氏も徳川家康も山の民であり、その後日本は鎖国をすすめて、国の形が形成されました。
歴史に「たら」はないのですが、海の民が国政をつかさどった場合は、日本人の形は大きく異なっていたでしょう。

本島は、海の民の島です。塩飽水軍として名をとどろかせた、操船の技術に優れた人々の島です。
笠島の夜は静かです。
瀬戸内の波の音を聞きながら、過ごす夜はこんな空想に思いを巡らせているのです。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 21:11Comments(0)art

2009年11月14日

13日も14日も本島泊

13日は、NHKの取材があって、なにかとあわただしく過ごすことに・・。
本島でのガスを使ってチキンライスをはじめてつくる。
見栄えも味も出来栄えはよく、ちょっと満足。

夜は、真木のおばあちゃん(8*才)と高島さんを招いて、赤べえ鍋。

今日14日は、京都造形大の学生の来廊があり、いろいろ今後のお話をしていると
鳥取から21名の方が笠島へ観光にこられ、ギャラリーにもお立ち寄りいただく。

明日15日は、東京在住の山神悦子さんが帰省中で、お母様と来廊予定。
他に遠山さんたちが6名の予定。明日も忙しく過ごすことでしょう。
静かな島ライフはまだまだ先に。

島の方も毎回数人アルテにいらっしゃって、おかげさまで島カフェはにぎわっている。
でも忙しい。
DMの発送がさらに遅れるので、京都の方面で配布してと京都から来た学生君に
委託することにした。

20日 本島アルテにて19:00より即興Live演奏
ミュージシャンが笠島滞在なので、夜は宴会かな?

23日はふれあい祭りがある。
9:00に臨時便 が丸亀から走ります。
ふれあい祭りは10:00-16:00
この日は、アルテは、おでんやスープ、お食事が出来ます。
昼間のワインmenuもつくりますよ。




  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:26Comments(1)art

2009年11月12日

レジデンスとして使用させていただける建造物2棟あり

11月1日からギャラリーをオープンしています。
早速京都や山口、岡山などからアート関係者が本島のアルテを訪ねてくださって、なんだか
にぎやかに過ごしています。
それに島の方も、うわさを聞いて訪ねてくださいます。
昨日は、高松の友人がワインとおいしいチャーハンをもって、下見に訪れてくださいました。
昼間のワインパーティーとなりましたが、お隣の愛子おばちゃんが3時の珈琲を飲みたいと
きてくださったので、私はお仕事・お仕事。
小阪の方が話に聞いたと孫を伴って、作品鑑賞に来ても下さいました。
シンノスケ君といったかな?6歳の男の子、おじいちゃんに連れられて、珍しそうに作品を見ている姿もいいものだと思いましたよ。

この建物は明治時代に建ったもので、伝建なので、屋根瓦はその時代のものを使っています。
修復は20年まえにされたので、また少し屋根の修復が必要となっているのです。
つまり、一部雨が漏っているのです。
一昨日の火曜日はお休みで丸亀に戻っていたのですが、どうにも雨が気になって
高島さんに頼んでみてもらってもいきのですが、なんだかんだとお願いしては申し訳ないので、
最終便8:00のボートで本島へ行きました。
まっくらなので、島の方で山田さんという方にお願いして、車で連れて行ってもらいました。
助かりました。
あわてて引き戸を開けて、電燈をつけると、作品に雨がかからないように移動してくださって
いました。高島さんだ。。このときはほんとうに高島さんの暖かさを感じて、とてもうれしかったです。

島のかたはとても親切です。せっかく来てくれたんだからと、なにかと気をかけてくださるかたが多いのです。

毎日必ず訪ねてくださるので、なにかと忙しくあわただしく、過ごすことになります。
夜泊まったときだけ、ほっと島の暮らしを堪能できるのです。
ずーっと島にいるほうが、島の人はうれしいみたいですが、自宅もあるので、
そうも勝手は出来ません。そこで、金土日だけ島に泊まることにしました。

●20日に知人のミュージシャンが本島の人に向けてLiveを行ってくださるのです。夜泊まり込んで、笠島のふれあい祭りがあるので、21日-23日は島には沢山の方が訪れます。
民宿の大倉邸でも作品展をされる方があり、大倉邸に泊まってもらうか、
アルテに泊まってもらうか、考え中の相談を高島さんにしたところ

「まあ、ちょっとついていらっしゃい」というのです。
アルテの裏の田中小路沿いの2軒の建物を見せてくれました。
4~5人くらいならここに泊まれるじゃろ。エアコンもあるぞ。。
伝建の建物です。中は生活できるように改装されていました。
庭にはバーベキューが出来る石組みが。。
すごーいい。
ここならレジデンシーが出来ますよ。と私がうれしそうにニコニコしていると

もう一軒もあるぞ。といって見せてくださった家は
高島さんが棟梁として新築した、古い家屋を新築で建てたものでした。
屋根裏の木組みがそのままに、屋根裏にも部屋が整えられていました。
こういう仕事が出来る大工は、もういなくなった・と高島さん

建築を勉強している人に見せてあげたいと思いましたね。

レジデンスに応募したいと連絡をいろいろいただいています。
真木のおばあちゃんにご飯を作ってあげなければならないし、
AIRのこと、菜園のこと、野菜の先生から分けてもらう食材の準備など

さあさあ、がんばっていきまっしょ。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:36Comments(0)art

2009年11月08日

パスタとピザ

きょうも快晴。
朝9時ごろからギャラリーの前をスーツ姿のおじさん軍団が不思議そうにのぞきながら専称寺に向かって
歩いています。
猪熊美術館でチラシがあったからと、9時ぐらいにお客様が・・。
ほっとしたのか、すっかり寝ていて、保存センターの東さんに起こされました。
泊まっているとすぐに対応できるから、良かったです。

昨日は倉敷から女性の小グループ、珈琲を飲みたいと立ち寄ってくださいました。
ギャラリーだと知って、「香川は島の近隣で現代アートが活発ですね。」と話しておられました。
児島からフェリーでこられたそうです。「20分だから早いのよ。次の便は16:35分ゆっくり出来ます。」
といって蔵本さんの作品やフォトモをとても興味深く鑑賞されていました。

一度こられると様子がわかるので、案外この距離がとてもいいようです。
次の船の時間まで、ゆったり島の自然や歴史やアートなど文化を堪能していただけます。
島は歴史的な文化財の宝庫です。
琴平の金丸座と同時代の江戸期の芝居小屋 千歳座が本島は遺されています。まわり舞台の仕掛けもあります。
澤村藤十郎とか歌舞伎役者の公演も以前は催されていたとお年寄りが懐かしそうに語ってくれました。
木鴉神社で現在もご覧いただけます。

◇岡山から本島へのアクセスは、児島からフェリーにのって本島へというコースがあります。
島の方から伺うと、岡山→本島→丸亀というルートで只今の本島は成り立っているのだそうです。

フェリー会社が異なるので、双方記載していないので、知らない人がおおいとか。。

岡山からは
JR児島駅下車 駅すぐ近くが児島港です。
六口丸海運 086-474-6199
本島へは4往復
児島    本島
6:25 →  6:55
9:30 →  10:00
15:55→  16:25
18:30→  19:00

土日は本島アルテに泊まっていまることが多いので
開廊時間も対応できます。事前にご確認いただいたほうがいいです。
アルテ 0877-57-8255まで

勤番所の方や保存センターの方が、本島へいらした観光客のかたを
ギャラリーまで誘導してくださっています。
食事の提供を待ち焦がれてくださっているので、珈琲はお出ししています。
今月20日からパスタとピザをメニューに加えます。地元の魚は提供していただく方が
数人見つかりました。
野菜もOK
まずは、はじめます。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 12:17Comments(0)art

2009年11月06日

11月5日

フェリーで本島通勤
きょうから日曜日まで本島泊

笠島まで自転車で行く。
暖かい、ピーヒョロととんびの鳴き声、鳥のさえずリがとても大きく聞こえます。
緑の木々の間をぬって自転車で・・・。

それにしても島中の話題になっているのです。
島の人はみんな新しく店を開いたという噂を知っています。
あの・・笠島でこのたび・・・と話そうとすると
あーしっとるよ。あんたね、がんばりましょうや。。と皆が言う。

なんだか面白い展開。
自転車をこぐ自分の姿を俯瞰して見ている自分がいるようです。

そうそう昨日 フェリーで一緒になった人はアーティストでした。
鄙びた島村の風景が大好きだそうで、もう何十年と通っているそう。
児島から笠島に来ていたかたも10数年来、本島や笠島に通って風景画を書いている方でした。
またフランス人女性が、自転車で島内を巡って観光されていて、保存センターの東さんが
アルテまで案内してくださいました。割と海外の観光客もあるので、英語版急いでつくらねば・・・。

アルテの通向かいに一人暮らしの高島さん(自治会長の高島さんではありません)
は、小船をもっているので、気が向くと魚を採に行くそうです。
小魚を分けてもらうことになりました。
野菜もつくっているそうです。
他にも島のかたはサツマイモ、たまねぎは自家栽培しています。
私も来年は始めたいのですが、今年は完成品を分けていただきます。

それを素材に、まずはピザとパスタつくります。
自治会長の高島さんとお隣の吉田のおばちゃんと保存センターの東さんは、毎日顔を出してくれる。
はよう・・なんか食べ物つくれるともっと人が来てくれるぞ・・といわれています。

いろいろ手続きや準備があるので、少しづつです。
アーティストが運営に参加してくれるといいのですが、
どういう仕組みで行うか只今思案中です。
待っててね。




  


Posted by ギャラリーアルテ at 16:48Comments(0)塩飽本島

2009年11月04日

本島


入り口です。

昨日はとても肌寒かったのですが、県内外から十数人のお客様が来てくださいました。
今からセカンドステージ、11月23日のふれあい祭りに合わせて、もろもろ準備を行います。

●藏本秀彦展「COTTON」
 糸崎公朗「丸亀あらたし文化商店街」展という二つの全く異なった内容の展覧会を開催しています。
会期 蔵本展は 11月1日(日)-11月30日(日)まで
    糸崎展は 11月23日までです。

場所 ギャラリーアルテ
〒 763-0221 香川県丸亀市本島町笠島305
開廊時間 a.m.11:30 – p.m.16:30
休廊日 月・火曜日 

藏本秀彦は、香川県生まれ。
藏本は、強制的に鉄粉を酸化させ、あるいは酸化を止めることで独特の色合いをつくりだしています。鉄や銅、すずといった金属を酸化させ、化学反応の過程で変化した色合いを顔料とし、その色合いは時間の経過と共に変化して行きます。 
時間性を創作に取り込んだ作品です。
和の空間での展示は、こんぴらアートに続いていますが、さらに深化し、笠島の町並みや風景と共鳴する形で
見ごたえのある空間を作り出しています。

糸崎公朗による復元フォトモは、丸亀市街地の写真をもとに
写真による立体紙模型の作品です。
糸崎によって撮影されたフォトモとは異なって、今回は撮影者は別の人です。
よって平面のものを立体化する際に、通常のパースがとおった構成とはなっていません。
そこに制作する際の難しさがあったと思いますが、作品としての面白さは、フォトモよりも深まってたと感じています。

フォトモについては、作者自身が提唱している「非人称芸術」のコンセプトのもと制作されたものであるため、
多くの人の手によって、フォトモ制作が可能なものです。
事実、広告会社からこの手法で作者に依頼するのではなく、会社側で制作を行いたいという
確認の連絡がいくつかありました。
フォトモとはそういう性質の表現であり、従来の美術品から逸脱するものであることを痛切に実感しています。

フリーアートのように、その手法が公開されていること。
作者よりも手法が伝えられるようになる方が、魅力ある出来事になるのではないかと思うのです。
そういう意味で興味深い表現者だと思います。




  


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2009年11月01日

本島展はじまりました

31日.1日と本島滞在して
ようやく、引越しも完了
蔵本展・糸崎展が始まりました。
ネットも開通 ほっと一息

31日から1日にかけて
NHK と毎日新聞の同行取材を受けながらの
搬入でした。記者の方たちも島の雰囲気
ギャラリーの様子をとても楽しんでくださったようです。

その間多くのかたがぎゃらりーを訪ねてくださいまして、実に忙しかった。
昨日はじめてあたらしやに泊まりました。
展示の空間を眺めたり、デスクでネットの設定を行ったり、
なかなか寝つけませんでした。
地元の方、本島へきているかた

にぎやかで応対もなかなか・・。
みなさん待ちわびているので
なかなかプレッシャーでもあります。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:32Comments(0)art

2009年10月23日

【保存地区の概要】

丸亀市文化課より
笠島の町並みについての資料をいただきました。
特異な特徴がよくまとめられているので
皆さんにもご紹介したいので、ご覧ください。

『丸亀市塩飽本島町笠島伝統的建造物群保存地区保存計画のあらまし』より    

【保存地区の概要】
沿革
  笠島は、瀬戸内海の南北を扼す塩飽諸島も中心島である本島の東端に位置する。ここは瀬戸内海交通の要衝であり、古来塩飽水軍の最重要拠点としての地位を占めていた。
  笠島には、城根・中之浦・新在家・山根・屋釜の5集落を有し、城根・中之浦は家並み続きであるものの、新在家・山根・屋釜は山越えで離れている。保存地区はその中心集落である。笠島といえば、一般にこの山根地区を指す。
 建永2年(1207)法然上人が配流の途次に一時身を寄せた、地頭駿河権守保遠入道西忍の館は、この笠島の城山にあったし、16世紀後半に亡ぼされた代官福田又次郎は城山に居城していた。 塩飽の水軍は、天正5年(1577)信長より触掛りの特権を得、同18年(1590)秀吉は塩飽領1250石を船方650人に与え、家康もこれにならい、以来幕末まで、他に例を見ない いわゆる「人名」 による自治が行われていた。
江戸初期には、幕府御用船・水主役を勤め、全国的な海上輸送を一手に引き受け、多くの船持衆が生まれ、豊かな漁場による漁猟海上がこれを補って、塩飽の最盛期を迎えている。この頃、笠島は塩飽諸島中で最良の港 (停泊地、修理場) であった。
  しかし、元禄頃(17世紀末)から全国的に廻船業が成長するにつれ、塩飽の海運業は衰退の一途をたどり、18世紀中頃には、他国へ出稼ぎに行かざるを得ない経済状態に陥り、笠島の港としての機能は与島に奪われてしまった。
出稼ぎは、これまでに培われてきた航海技術・造船技術の優秀さから、加古稼・大工稼が主で、 「人名」 はほとんど漁猟働はしなかった。こうして、中国地方を中心に名を高めた塩飽大工が発生し、各地で活躍し始めることになり、時代が降るにつれてその傾向は増大する。

【現況】
出稼ぎは戦後も続き、島に土地・建物を残しながら島外に居住して他の職につく者が増加する。こうした人口流出は近年ようやく停滞したものの、大半が老人世帯となり、また空家の多い過疎地と化している。港は昭和初期に始まる埋め立て、護岸工事により、旧状の一部を残しながら漁港として改修され (ただし漁家は港の西に続く中之浦に集中する ) 、
またこの港に通じる道路が城山の海岸沿いに設けられるなど、景観は変貌しつつある。しかし、集落内においては、新しい形式の建物は散在的にみられるにすぎず、江戸後期以後の伝統的形式の家屋からなる集落景観をよく止めている。
  このような状況に対し、昭和55年に、笠島の住民を中心にした保存協力会が発足し、丸亀市の補助のもとで、主として傷みの激しい屋根の補修工事を行って、景観の維持に努めてきている。


【集落構成とその特性】
歴史的地理的な条件は、塩飽の集落に、他地方の漁村集落、港町集落等とはひときわ異なる構成をとらせることになる。

中でも笠島は、組織的で計画的な構成が取られている。現在に続く集落構成の成立時期については詳らかでないが、正保4年(1647)には現在と同規模を有し、既に分村の新在家が存在しているので、その形式は少なくとも塩飽が最盛期を迎えた近世初期には遡るであろう。あるいは、城山の居城跡と集落構成との関係が現在では希薄であるものの、集落は港に表を向けるよりは、山手つまり旧地頭館の一郭の跡と伝える専称寺、あるいは代官福田氏の居城跡 (土塁・空堀を残す) の方向を表にしている点は、集落構成の基本が、居城のあった中世期に遡るのを物語るのかもしれない。
  集落は、北が海に面して港を擁し、他の三方は山で囲まれた東西約200M、南北約 200Mを占める
東は居城のあった城山で、他の二方の山麓には、法然上人ゆかりの専称寺の他、真言宗4か寺 (現在は廃寺) が集落を取り囲み、城山と相対する西の山麓には産土神を祀る尾上神社があり、集落の東西両端とほぼ中央に恵比寿神を祀り、港の東端には常夜燈を設け、港の中には、「たで場」があった。

道路は、東の城山と北の光厳寺山の境に向かって南北を通る東小路、海岸線に平行して弓なりに曲がる東西道路のマッチョ通りを主道路とし、東西道路は両端で枡形となり、櫛状に海岸に向かって枝道が設けられる。西端にも山に向かって尾上神社前を通る南北道路があり、南の山に沿う東西道路の田中小路で東小路と結ばれる。これらの道路は湾曲し、T字型、食い違い十字型に交わり、一部の道幅を変え、見通しできぬような組織的構成が取られている。江戸時代には、東小路、マッチョ通り、田中小路がともに「町通り」と称され、田中小路のほぼ中央南側に、年寄の一人であった吉田家があった。

 また、港よりの主入口を示すような道路形態はみられず、港を裏とする宅地割がほどこされていて、集落入り口は、港とは逆の東小路mの南端となる等の特性を見せる。

この集落入り口横には、法然上人ゆかりの専称寺があり、また「人名」の墓碑(寛永4年・1627・銘の吉田彦左衛門の墓碑は、国指定史跡)があって、村への出入りの度に拝したという。なお、城山の東海岸を廻る道路は新設(県道)である。



【伝統的建造物群の特性】
  現在は、山麓に並んでいた4カ寺は廃寺となり、港は埋め立て、護岸工事によって形状を変え(ただし、防波堤の一部は旧位置に残る)、過疎化による建物倒壊は家並みに歯抜けを生じ、また一部に新形式の家が見られるものの、いまなお往時の面影を色濃く残し、江戸時代の道路空間や建物の造形がよくわかる。
 
  東小路、マッチョ通りの主要道路沿いには、江戸時代から大正期にかけて建てられた切妻造・片入母屋造・入母屋造本瓦葺平入形式のツシ二階造りで、上階を塗屋造とし、虫籠窓・格子窓を設け、下階は、腰格子付雨戸構えと、出格子・窓出格子を組み合わせた表構えとする町屋形式の建物が立ち並び、間に土塀構えの家が散在する。
  特に、アイストップを形成する家では、一部になまこ壁を設けて引き立たせるなど、すぐれた景観美を造り出している。一方、主道路から離れると長屋門構えの家が建ち、主道路とは異なった道路空間が出現する。
  塩飽の 他集落では、長屋門を持つ家屋で道路空間を形成するのが原則で、笠島に属する新在家ではこの構成を取っている。
笠島のような構成は。塩飽で笠島とともに最重要集落であった泊に見出せるが、泊では笠島ほど組織的ではない。
  また港を有し、あるいは海に面する集落では、海に面して長屋門が立ち並ぶ構成が取られているのに、笠島では、港側に家屋の背面を見せていて、こうした点にも笠島の特性がある。
  なお、東小路の西側建物前には石積みの排水路が海まで通じ、各家ごとに石を渡し、東小路とマッチョ通りの交差部では、石橋が掛け渡されていた。排水路は、一部にコンクリートによる補修が施され、また蓋が被せられているところもあるが、こうした排水路も道路空間の質をたかめている。特に主道路沿いの建物の地形石は、その周辺部より一段と丁寧な仕事が施されている。
 

  【保存整備の基本方針】
  道路からの建築物の景観のみならず、その背景となる山容、さらには、城山並びに尾上神社境内から集落が一目されることを考慮の上、伝統的景観を失しないよう修理・修景・復旧につとめ、空間他の整備活用をはかるとともに文化施設等を設けるなど、住民の生活向上をはかるような整備計画を進める。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:57Comments(2)art

2009年10月19日

障子の張替え

明日は7:40分発のフェリーにのって
本島へ行きます。
NTTが電話線の工事を行うので、立会いと
昨日洗った障子を張り替えるためです。

丸亀市の文化課の方も伝建地区なので
屋根の修理の検討のために来てくださいます。

なんとか31日搬入に間に合うように
大移動完了しなければなりません。

それにしても昨日も快晴で気持ちが良かったです。
寒くなってきましたが、島は少し陸地よりも温度が高いとか
野菜も早生で出来るそうです。

野菜作りは来年からです。
機能はJAの方が島のお年寄りに野菜の苗を届けていました。

アルテに来てくださった女性が、ハーブの苗を下さるとのこと。
先日チバちゃんから、もらったアーティークチョークの苗にせっせと水遣りをしています。
少し大きくなったような気がします。

なんだか楽しみ。。

それにしても、ご飯ご飯と島のお年寄りは待ちわびて下さっています。
いま何ができるか考え中。

火曜日から日曜日までの開店で手伝ってくださるかた求めています。
  
タグ :募集本島


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2009年10月16日

屋号あたらしや


フェリー乗り場は丸亀駅から北へ徒歩10分


港の詳細地図


フェリーで35分
高速艇なら20分

徒歩で港から笠島地区へはいると
こんな感じ










門をはいると






水周りは全て増改築されていル。










  


Posted by ギャラリーアルテ at 12:09Comments(0)art

2009年10月14日

本日も島日和



10:40分発のフェリーが、ワイヤトラブルのため、臨時便 高速艇でした。
高速艇は、早足なので(20分)あっという間に泊港に到着します。

私が9:30にギャラリーに来ていなかったので
お外の姑・しゅうとめ(まきちゃん・遠山さん)は、プンプンとお怒り気味。
すんません。と愛嬌をこめた笑顔で返して笠島地区への道行き。

でも帰りはみんな いいところやなぁ~。
今度来るときは釣竿もってこよう。。
と海幸彦 山幸彦 に変身しておりました。


明日は蔵本秀彦さんと本島へ行きます。
11月からの個展の確認のため。

本島の住所と電話番号です。
御用がある場合は、11月からはこちらにご連絡ください。

763-0221
香川県丸亀市本島町笠島328番地(屋号あたらしや)
℡ 0877-57-8255 (ハニゴゴー)と覚えてください。

営業日・時間はまだ決めかねています。
いろいろ試験的に行って、微調整ですね。

看板は gallery ARTE+SAW(瀬戸内アートウェーブ)という表記になりそうです。
ではまた

  


Posted by ギャラリーアルテ at 16:44Comments(2)本島2009

2009年10月13日

本島清掃

11日.12日 本島笠島地区のgallery ARTE+SAWが使用する清掃の第一回清掃を
行いました。10:40分のフェリーで本島到着。
徒歩で15分の道のりを掃除機やその夜の食材を持って汗をかきながら運びました。
快晴で涼しくとてもいい道中でした。
笠島地区に入ると、目的の建物の前で男性が庭木の剪定中。
自治会長である高島さんが既に庭木の剪定をしてくださっていました。

先発隊はチバちゃんと私の二人。
・・女の子二人では庭木は無理じゃろうから
こっちはやるから、はよ中の方を掃除せいや。。
とうれしい頼もしいお言葉をかけていただき、私たちは8畳.8畳.6畳の和室
12畳の台所・お風呂場洗面所の床、増改改築された
掃除機をかけ雑巾かけ。20年来の土ぼこり、数回噴いてもバケツの水は真っ黒ですぅ。

これも修行と黙々と。。
やがて天理教へ行っていたまきちゃんが到着。
まきちゃんは、私にとっては姑のようなものですね。
なにかと、やり方にこだわりが。あって、五月の蝿のよう。。

まあ、なんやかんやで、日も暮れて
民宿に高島さんをお招きしてキムチ鍋を囲んで様々お話を伺いました。
高島さんは、息子さんは二人いらっしゃるそうですが、
現在アルツハイマーの病を患っている長年連れ添った奥さんをご自身で介護されています。
女子を持ったことがなかったから、女の子はやさしくていいと、うれしそうに話していらっしゃいました。

「とにかく若い人にきてもらいたい。」
「無理をせんでいいから、でもいつも開いていて欲しい」と伺って、
いろいろ託していただいて、なんとか期待を裏切らないように応えて行きたいと思いました。
島の人々がいれかわり、訪ねてくださって・・。
楽しみに待っていてくださることを感じて、
前日まで、意思挿通の欠ける、ちょっとめんどくさい人とやりとりに疲れていたので
久々にほっこりした気もちになれました。

翌日もまた清掃。平野さんがおにぎりを大量につくってきてくれました。
アメリカから平野さんのところにステイしているアダム君も一生懸命
荷物を蔵に運んだり、屋根裏のお掃除してくださいました。

今日は一休みして

明日14日 再び島へ行きます。
明日は、電気に詳しい豊田さん、遠山さん
加地さんもきてくださるそうです。
栗生さんもフェリーに間に合いそうなら連絡するとのこと
約6名でまた本島へ行くことになりました。
ひとまず
ご報告



  


Posted by ギャラリーアルテ at 18:10Comments(0)art

2009年10月06日

地域の方でにぎわう会場



丸亀港天昌丸(とんぺい提供).



踏切南側ガレリア西竹.

さすが、地元提供の写真を素材にしているだけあって、

地元の来廊が続いています。

家の家がある。とか

みっちゃんこないだ来で!元気にしとる・・とか

浜町アルテでの最後の展覧会は、これまでとはガラッと観客が異なったものになっています。

さりげなく本島へ移転することも伝えると

また本島の話で盛り上がって。

本島へ行きますよ。とフェリー乗り場や運賃、民宿の話で

盛り上がる。

11月からは本島笠島地区 屋号あたらしや のSAW+gallery ARTEで

お待ち申し上げます。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:48Comments(2)art

2009年10月05日

嘘の公共性

気持ちよく装うこと

気持ちよく食べること

これは基本的な人間にとっての要素だと思う。

では、「弱い人を助けましょう」と語られるような形で関与する行為が普遍的なことであるか?

違うと感じるのです。

日本は、古くから政治的・社会的・文化的そして経済的にも二重構造を本質にする社会です。

日本の二重構造の原型をもっとも色濃く留めているもの

・・・日本の芸能から考えてみます。

正月になれば各地の民家の門づけ芸の太夫・才蔵

田楽・神楽などの能でいうワキとシテの一対

これは文化的優位者としての外来の神と

劣位者としての田舎の神の、圧服と和睦の交じり合った

「からみ」を原型としています。

さらには、年の始まりには、異界から福をもたらすとして、歓迎される門付け芸の人々は

一年を差別の中で暮らしていたのです。

日本の言語芸術は宴会の娯楽を起源としているものが多く見受けられます。

田舎の神社のお神楽の踊りをみると、興味深いことがわかります。

まず、宴会の主役は主だったお客さんです。その主だったお客さんは家の訪問客であるだけでなく

この地方への新米の客でもあります。

このお客への相方として地方の精霊が出てきて、主役のしぐさや話す言葉を

とぼけた仕方でまねをし、そのまね事のとぼけ加減を通して、田舎神は主役の言いつけに

抗い、また背いたりします。

そのうえで、結局は田舎神の降伏で終わります。

地方神は、しまいには黙ってしまい、地方神のしかめっ面で終わります。

この芸能の形が出来たのは、古代の列島に「中央政府がつくられた時代」ということです。

圧倒的な文化の波をうけるこのような場所では、この文化をよく吸収し、

それをより効率的に使いこなせる人間が力を持ち、

それに通じない人間は劣位に置かれてきました。

主神と地方神の対峙の特徴は、面と向かっての対立や反抗がないことです。

優劣二者が、対立しながらもそれが明示されない緊張した関係の原型が

中央から地方にやってきた官僚と地方(じかた)の人間関係という見立てです。

「べしみ」という面があります。口角に力をいれて両唇を強く結んだ異形面です。

オレは絶対にしゃべらないぞ!とおいう渋い感情といくぶんかの不満がこもった表情の面です。

田舎神の「べしみ」という姿勢が本質的にもつ

「一切新しい神の威力にとりあわない」という、いわば無力な抵抗。

古代の芸能のなかに見出せる、圧倒的な征服にたいする記憶は

敗戦時の前面屈服に似た経験ではないかと思うのです。

芸能が受け継がれることで、二重構造の社会を受け入れてきたとしたら、

ほとんどの地域でこのような芸能そのものが崩壊している中で、べしみは

どうなっているのでしょうか?

べしみがなぜ「沈黙」なのか

言葉を持たないのではありません。

劣位である「土着の文化」にも、地方の言葉があり、考え方があり、論理はあるのです。

地方の精霊は、すなわちスピリットは、これが口を開けば、直ちに神語に圧せられて、

たちまち服従を誓う詔を陳べなければならない。

これは、これまで自分のもっていた言葉を失う、奪われる経験だということになります。

古事記にアメノウズメノミコトが海の生き物を集めて、仕えまつるや(私に従うか)と

訪ねるのですが、全ての魚がはい「仕えまつらむ」と復唱する中で

ナマコだけが応えません。

ナマコに「この口はこたえない口だな」といってひもがたなを取り出して

あっという間にその口を割いたという記述があります。

神の言葉は奪う力でもあり、口を開かせる力でもあったのです。

この圧倒的な力に抵抗する最後のすべは、取り合わないということだったのです。

地域と関るアートプロジェクトのすべてとはいいませんが、

その多くはナマコの口をひもがたなで割いていることになっていないでしょうか。

アーレントの言葉に、公共空間とはテーブルのある世界とあります。

テーブルが現れ、人々を分離させつつ結合させる。

なぜテーブルを設えると、そこに人が集まってくるのか。

アーレントはその力を人々がそこに参加しようという「決意」だといいます。

この力の源泉は「公共性」というものでなく「私利私欲」なのだと思います。

それでいいのです。始まりはそいれぞれのもつ私の欲望だと思います。

動機づけでもいいでしょう。人間の本性を自分の「それ以上基礎づけられない」ヒトとしての起点へ復帰することではないかと

感じているのです。

本島という場所に開くテーブルはそういう意図を持っているものなのです。





















  


Posted by ギャラリーアルテ at 16:20Comments(0)art

2009年10月03日

復元フォトモ 丸亀あらたし文化商店街 展 はじまりました









猪熊現代美術館地域連携プログラム 『 復元フォトモ 丸亀あらたし文化商店街 』


会場 ギャラリーアルテ・西金・石川タバコ店 
10月3日-10月31日


会場 本島町笠島地区 国の重要伝統的建造物群 あたらしや
11月1日-11月24日
11月23日 本島笠島ふれあい祭

会期によって会場が異なりますので、ご注意ください。   


Posted by ギャラリーアルテ at 21:40Comments(0)art

2009年09月30日

本島へお引越し

11月から実質ギャラリーアルテの機能を本島へ移すことに決まりました。
10月3日からはじまります復元フォトモ「丸亀あらたし商店街」の展覧会 10月は丸亀浜町のギャラリーアルテにて開催。
徐々にアルテの機能を移して、11月は本島にて開催します。
その他展覧会も本島笠島地区にて開催する予定です。
そこでまず ご参加くださーい
申し込み ギャラリーアルテ・梅谷まで
0877-21-5604 またへメールでご連絡ください。

旗日である、10月11日(日)12日(月)一泊2日の予定で
本島笠島地区の民宿に滞在し、屋号「あたらしや」の清掃、庭木の剪定、草抜きなどを行います。
夜は民宿にて、今後の相談。


宿泊費 10名参加で2000円+材料費+飲み物代 計3500円の予定です。 
旅費   フェリー代往復1010円 バス代往復400円 計1410円
      バスを使わず徒歩となるかも
      
港から笠島地区まで徒歩15分です。

集合はアルテに9時半
港まで徒歩で10分、途中で食材などの買い物をして港へ行く

フェリー時刻表 本島汽船 0877‐22‐2782 片道530円、往復1,010円

丸亀発 ― 本島着 ☆は高速艇(所要時間20分) フェリー(所要時間35分)
6:10 ― 6:45
7:40 ― 8:15
10:40 ― 11:15
12:10 ― 12:30☆
15:30 ― 16:05
16:30 ― 16:50☆
18:00 ― 18:35
20:00 ― 20:20☆

本島発 ― 丸亀着
6:50 ― 7:20
8:30 ― 8:50☆
9:40 ― 10:10
12:35 ― 13:05
14:15 ― 14:35☆
17:10 ― 17:40
18:50 ― 19:20
19:30 ― 19:50☆

コミュニティバス
本島港⇒笠島⇒港
8:00 ⇒8:07 ⇒8:23
9:10 ⇒9:17 ⇒9:33
11:50⇒11:57⇒12:13
13:45⇒13:52⇒14:08
16:37⇒16:44⇒17:00

丸亀市役所生活課
TEL:0877‐24‐8809
  
タグ :本島


Posted by ギャラリーアルテ at 14:51Comments(0)art

2009年09月24日

あやしい日本人・・白洲次郎(加筆1)


やっぱりあやしい白洲次郎・正子。
NHKで3日連続で白洲次郎のドラマが放映された。
興味本位だけだったけど、まきちゃんちで見せてもらった。
最近やたら白州次郎って持ち上げられてるけど、
見た目のよさでこの持ち上げ方は。よくないですよ。

下山事件についてはほんの少し匂わせていたけど
なんだか、カメラワークと役者の熱演は見ごたえがあったがそれだけ。
言えないことが多いためか、あれって話が途切れたり、場面が変ったり
要するに、筋立てがなくて、かっこよさばっかり強調したもの。
いかがわしい人物の実話をモデルにするなら、
CIAのエージェントだった白洲次郎のこと、もっとちゃんと語って欲しかった。
だったら、戦争を知らない若者が!
婦人雑誌で白洲正子のスタイルだけ受け売りするおばちゃんが!
日本の戦後をもっと知ることができるはずだったのに・・。

戦前を知る人々は白洲次郎というと
フィクサーとして、知っている人が多いようです。
アメリカから機密事項も公開されてゆくでしょう。
戦争に負けた日本の影を見ること、その本当の姿は影を見ないとわからないことが多いのでしょう。

白洲次郎とは何者だったか
についてはこの方のブログが参考になるかもしれません。
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50261712.html

祥伝社 (2005/07) から下山事件についてこんな本が出されている。
孫にあたる著者が祖父が犯人ではなかったかという内容まずは読んでみよう。
下山事件と白洲次郎と三菱財閥の関係も

『下山事件―最後の証言』柴田 哲孝 (著)
ISBN-10: 4396632525
ISBN-13: 978-4396632526

  


Posted by ギャラリーアルテ at 15:10Comments(0)日々のこと

2009年09月22日

ハンナ・ア-レントを読む

ハンナ・アレントの思想。
20世紀の特質という5つの世界危機。

(1)戦争と革命による危機。それにともなう独裁とファシズムの危機。
(2)大衆社会という危機。すなわち他人に倣った言動をしてしまうという危機。
(3)消費することだけが文化になっていく危機。何もかも捨てようとする「保存の意志を失った人間生活」の危機。
(4)世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。
   世界そのものからも疎外されているという世界疎外の危機。
(5)人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっているという危機。

アレントは「労働」「仕事」「活動」、およびそれらの源泉となる「思考」を原点に戻しなさい、それが「人間の条件」なのではないかと問う。
この場合の「労働」とは、原材料以外に買い物をせずに人間が何かを生み出すための労働をいう。
できれば野菜を作りたい、そうでなくとも野菜を入手したらその先は自分で料理をしたい、

いま私たちの多くは、労働の対価として得たお金によって、食も着飾るための衣服も教養も
退屈も時には愛を得ている。
野菜は誰かが作ったものをスーパーで買い求める。
または誰かが作ったレトルト食品で腹と生を満たす。
とりあえず、お金があれば、欲しいものと交換することができる。
それが前提の日々の営み。

私はその光景が不思議に映るようになっているのです。
本島の暮らしに近づいたからでしょう。
暮らすことを考えると、食べ物を生み出さないといけないという事実に直面したからでしょう。

アーレントはいう。
 「仕事」は、自分の考えを自分で生み出すことをいう。と・・・
言葉でも絵画でもよいが、自分が時間をかけたことが世界に何らかのはたらきかけになることをいう。
ホモ・ファーベル(工作人間)として仕事に徹すること。

「活動」は自分がそのことにかかわっていることが何らかのかたちで外部化されていくことをいう。
例としての笛吹き・・・笛を吹いているあいだだけが活動であるような、
そのような活動をもっと徹底して自身の体で認識すべきだと言っている。

食べるための野菜をつくること。
精神が生きいきとするための創造。
人の根底にあった、感覚を目覚めよ。
これは先祖がえりでなはく、集団で眼をそらしていた事実を見つめることになるのだと思う。

お金があるだけでは生きては行けないのですよ。
野菜も、衣装も、その他のものも誰かが作ってくれるから、お金と交換してくれるから
お金を稼げばよかっただけなのです。
野菜を魚を肉を食べるとき、育ててくれた人のことを思ったことがあっただろうか?
なかった。

これまでまったくなかった。

人の愛や努力に無関心だった私。

・・・・。

新しいということ 警戒せよ。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 16:47Comments(0)art