香川県の地域ブログでつくるみんなのまち あしたさぬき.JP › gallery 雑記 現代美術を動かす人々 

 

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2011年01月06日

本島入り

2011年明けましておめでとうございます。

明日から通常業務をはじめます。

あしたは7草粥 笠島のお年寄りが、七草粥をふるまってくださいます。

2月の展覧会予定は建築家の平野祐一さんです。

灯りのプランです。詳細は後日改めてアルテのHPにて紹介します。

2月は大阪から大倉邸に滞在してスケッチをしたいという

お客様からの食事のご予約がアルテに入っています。

冬期は、訪れる方が少ないので、ゆっくりしたいのだそうです。

今年も宜しくお願い申し上げます。  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:34Comments(0)art

2010年12月16日

今朝ベルが死んだ








16日朝9時7分 子猫のベルが息を引き取りました。

12日日曜日 子猫のベルの様子がおかしい。

左眼がひらかなくなって、白濁しているように見える。

動きも鈍くなって、呼びかけてもうずくまったまま。

病院へつれていくことにして、電話帳片手に動物病院を探す。

秋山動物病院は日曜日も午前ならば診察していることを知ったが

午後を過ぎてしまった。取り合えず電話をかけると、転送電話で

先生に繫がったので、事情を話すと、夕方6時に診察してもらえることになった。

5:10のフェリーではギリギリ、2:15分で丸亀に戻ることにして

支度をしていると、知人が展覧会を観に本島を訪ねてくださる。

案内をして、猫の事情を話して、一緒に手伝ってもらい、

2時の船で丸亀に戻った。キャリーバッグをもっていなかったので

箱に入れたが、ベルはいやがって外に出たがる。添乗員から

船室にはいっては駄目といわれるので、船尾で丸亀まで

タオルに包んでいたが、丸亀についたときには、体温が下がって

危篤の状態。まきちゃん宅でストーブの前で温めながら

6時まで待って、動物病院へ行く。。

猫インフルエンザだった。先生からは、「もう危ない状態だけれど、今夜中ついていて

やれますか?この補助食を一日がかりで食べさせてください。明日またこれますか?

しばらく通院できますか?片手間では駄目ですよ。付きっ切りで介護してあげなければ

助けることはできませんよ。」といわれるまま。

戻って、コタツと猫トイレを用意して、暖かくしてベルを寝かせる。

私たちもベルに添い寝しながら、13日の朝を迎えることが出来た。

ベルはトイレに行きたいとにゃんとないて、ちゃんとトイレで用を足す。

茶碗に入れた水も自分で飲んでいる。きっと助かる。助かってと願いながら

夕方補助食を食べきらせて、病院へ。先生は、驚いていたが、「よし、生きられるかもしれない」

インターフェロンを注射してもらい、また13日も添い寝する。

下痢が続いている。骨と皮の状態。

14日、体重600グラム。体温40度。骨と皮なので、自分の体温がなく。

外気温に影響される。でもベルは食べようという意思を見せているので、

1才までの子猫用のウエットフードや猫砂を買ってくる。

今夜も添い寝。うとうとするとベルが起きるので、トイレに連れて行って

後始末をして、水を飲ませる。強制的に補助食を与えるが、嫌がる。それでも薬だからと

食べさせると飲み込んでくれた。

15日午後休診なので、朝病院へ、体温が平熱に自分の体温が戻った。

下痢はまだ続く。ほぼ吸収しないのか、ますますやせて、500グラム。

ともかく食べさせなくてはと思うが、ほとんどコタツですやすやと眠っている。

鼻のつまりは点眼液で緩和されたのか、すこし楽そう。鼻がつまっているので、

湿った綿でぬぐって、鼻くそをとる。1ミリくらいの鼻の穴。口は5ミリもない。

ほほはこけてやせている。あの元気にぴょんぴょん飛び回っていた頃の

面影はなく、でも体調は2倍に成長している。11月初旬と比べて大きくなった。

あたたかいコタツのなかで、よく眠ってかわいそうだが、定期的に起こして、強制的に食べさせる。

夜寒いので、私たちはすき焼きを作った。

いい臭いだと感じたのか、ベルも気持ちよさそうに、鼻をくんくんさせていた。

でも補助食はあまり食べたがらない。強制的に食べさせるには限界があって、

もっと食べて欲しいが、すすまない。下痢はとまっている様子。

そして、16日朝7時過ぎ、こたつの中にうんこの臭いが。。

あわてて起きて、ベルを探す。こたつの隅でうずくまってねているベルを

トイレにつれて行くが、トイレでうずくまる。

まきちゃんを起こしてみてもらうと、「様子がおかしい」という。

呼吸が浅く、はあはあと苦しそう。

午前8時20分頃先生に様子が変ったと連絡する。

先生からは、「駄目だった命がよく今日までもったのですよ。

運命は変えられないかもしれないけれど、入院させてみますか?」

といっていただくが、病院までもつかどうか。。

「看取ってあげるということも・・・8:30になったら、スタッフも揃うから

落ち着いたら、病院へ連れてきて・・・。」

と先生に言われて電話をきる。

ベルベルと呼び続けながら、体をなで続けた。

はあはあと苦しそうな息のなかから、哀しげに

きりさくような「にゃー」という細い鳴き声

にゃー・・・・ にゃーと二回啼いてはっはっと短い呼吸

ギャーと大きく口を開いて舌を突き出す。足が痙攣し、大きく宙をかく。

はっはっというベルの頭をやわらかくなでながら、ベルベルとよび続けた。

私はベルの小さな前足をそっと手のひらで包んだ。

午前9時すぎ 二度三度かすかに前足が宙を泳ぎ、すーっと呼吸がとまった。

ベルが死んだ。

ベルは、松宮硝子さんが本島を離れた11月3日ごろから迷い込んできた野良猫。

元気やくろちゃんにくっついて離れず、そうこうするうちにアルテの床下に暮らし始めた

野良猫子猫だった。3ヶ月くらいだろうか。元気な元気なあかちゃん猫だった。

笠島に戻してやりたいと、アルコールで綺麗にぬぐって、箱に入れて

連れて帰った。自転車で笠島の峠を登って降りているとき

涙がとまらなくて、ベルのいなくなった部屋でベルの痕跡をながめては、

こんなブログを書いている。ベルの記憶を遺しておきたいから

12日から5日間ベルとの濃密な時間を忘れられないから。

楽しかったな終日ベルと一緒だったから。

苦しかったね、ようやく楽になったねベル。












  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:38Comments(6)日々のこと

2010年12月10日

子猫の病

火曜日夕方笠島に入ってみると、子猫のベルの様子がおかしい。

隣の吉田さんが言うには、よく溝にはいって、泥のようなものをなめる。

やめさそうとしても言うことをきかないで、なにを食べてるんやろね。

鼻もすりむいて、片目が開かんのよ。

風邪なのかくしゃみと鼻水がひどい。

この寒さは子猫にはきついだろう。抱いてタオルに包んで、ストーブの前で

あたためる。

二日目 朝子猫がいない。探すと向かいの不在の家の庭でうずくまっている。

元気とくろちゃんもいるが、子猫は寒そうにしている。

温めてやりたいが、鼻がきかないためか、食事にも関心を示さない。

困っていると、文化課の冨田さんたちが通りかかった。

子猫のことを話すと、塀をよじ登って子猫を連れてきてくれた。

ありがとう。

子猫を抱えて、電気コタツにタオルを敷いて寝かせる。

あたたかくて心地よいのか、その内いびきをかいて眠る。

仰向けに延びきって横たえている。

エーー。もうだめなの?あわてて抱えると

かすかに口で息を苦しげにしている。

吉田さんに来てもらって、子猫を見守る。

その内気づいて起きた。眠っていたのだ。

ほっとして、昨夜はコタツで添い寝。

にゃーと啼くので、トイレにつれてゆくと

しっぽを上にして、うんちをした。

また眠っていて、むくりおきてにゃーと啼くので

トイレにつれてゆくと、ちょこんと座って用足しがすむと

戻ってくる。そのしぐさの愛らしいこと。。

でも水も重湯も食べない。お兄ちゃん猫が食べていると

一緒に食べようとするので、朝外に出してやる。

カリカリときゃっとフードを少し食べる。水も飲んでいる。

よかった。今日も寒く、来客もなかったので、合間にコタツで眠らせる。

あたたかく、心地よいのかこたつから離れなくなった。

夕方目がおかしい。左の目が瞬膜がくっついているのか

ひらかない。目薬を探して、嫌がる子猫をあやしながら、挿してみる。

少しづつ挿して、脱脂綿を熱湯消毒をして、涙を拭いてみる。

元気も子猫だったときに、ひどい状態だったこともあったから、

ベルも目薬を指して、清潔にぬぐってやれば、よくなるだろう。

熱もないようだし、昨日よりは元気になくし、少しだけど水ものんで、食事も食べた。

あたたかくして、休めば回復すると思う。がんばれ。生きろ。。

野良猫だと嫌う人もいるが、頼ってくるものをこの寒い戸外には出せない。

猫も生き物、たとえ片方の目が見えなくなっても、ちゃんと歩いて啼いているのだから

まるごと受け入れて、一緒に暮らそうと思う。

ベルよ安心して、今夜もお休み。。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 19:57Comments(0)日々のこと

2010年12月10日

一年がたった

本島にアルテという現代美術のギャラリーを移転して

ようやく一年がたった。

今朝トシコさんと立ち話をしたおり、もうどうのくらいになる?とトシコさんから

訊ねられた。私が「11月からの移転だったので、一年経ちました。」と応えると

そうのくらいかね。もっと前からのような気がするといわれた。

トシコさん曰く「あんたたちのような若い人が来てくれて、暮らしてくれて

本当にうれしいよ。みんなと仲良くこれからもやっていってよ。」

年を負うごとに人は老いてゆき、人が少なくなる。

この寂しげな町並みは、今年の夏は20代のアーティストたちと暮らしを共にしたことが

人々に刺激になったようだ。作家が島を離れるごとに、港まで見送ってくださる方もあり

島の人々は名残惜しそうだった。

来年もまた新たな人々を迎え入れてと願う人もあって、

なんとか、応えたいと思った。

香川の人にとって、瀬戸内の島の暮らしは近くて遠い。

他府県の特に都市に暮らす人々の方が、この島を魅力的だと感じるようだ。

そんなものなのだろう。

 今日は冷える。晴れていて、外は青空、猫は日向ぼっこ。

そして、町並みの人々は畑でジャガイモや大根を収穫している。

私もアルテの左向かいに畑を借りた。畑を耕してもらったら、

玉ちゃんがカリフラワーや豆の苗をもらってきてくれて、植えてくれた。

私も丸亀でタマネギと豆の苗を買ってきて、玉ちゃんに植えつけをお願いした。

毎朝、私が目覚めると畑の苗に水をやっていてくれる。もっと早く起きて私が水遣り

しなくちゃと思って、目覚めると畝は既に水がまかれたあとが残っている。

こうして、草取りから苗を植え付け、果ては水遣りまで、島の方のお世話になりながら

私の畑では、初めての野菜が育っている。

子供の頃、実家の寺の裏庭で祖母の趣味が、畑を栽培すること だったので

多少は手伝い、記憶もあるが、自らではなかったので、全くのド素人の私は、

島の人々の注目を浴びながら、畑づくりをはじめた。

食とアートのプロジェクト 食の部門は、数年がかりのテーマになることだろう。

空き家が多い笠島地区だが、盆と正月には帰省する人々が多いため

なかなか、新たな住人が空き家を借りて活動することが難しいのだが、

人が暮らさない建物は傷みがはやい。建物は人が暮らすことで、初めてその本来の

機能を発揮する。短期間であっても様々若者アーティストが町並みの中で

創作活動を行う。こういうかたちの活性化はこれからの時代には必然となるのでは

ないのかと思う。  

Posted by ギャラリーアルテ at 14:23Comments(0)art

2010年12月10日

一部のインスタレーションはご覧いただけます

松宮硝子さんの髙島八重美邸での展示は空間をうまく利用したインスタレーションで

建物内部を周遊させる構造になっていて、訪れた方口々に賞賛をいただいたものだった。

家主の都合で、この展示は11月28日をもって終了となったが、引き続きアルテversionは

ご覧いただける。八重美邸の作品も一部はアルテに移動させているので、ぜひご鑑賞下さい。

真木邸の安倍安人さんのインスタレーションも好評であり、これは年明け1月15日頃まで

展示を行う。記録集も出版されるとのことです。

山田健二さんの真木(まき)邸におけるインスタレーション 「作庭口訣」も年明けまで

ご鑑賞いただける。

竹紙制作に奮闘してくださった 柴田智明さんの髙島作業所における日本画の展示は

これも家主の作業所のため、終了した。

告知も不十分ながら、アンテナの高い方の来訪が多く、盛況の中終了できた。

12月に入っても来訪者が続き、第1週は相変わらずの人の出入りが続き

あわただしく、終日を終える。

ようやく寒さが厳しくなった5日以降 ひっっそりとした笠島の町並みとなり

ようやく、遅れていたウェッブの更新やら、今回のプロジェクトのアンケート集計など

雑務に取り掛かった。1月からの月ごとの来場者数は平均145名

プロジェクトが始まった7月から11月までの来場者数は887人

本島という離島でしかもマスメディアによる告知が行われなかったにしては

上出来といえよう。

自らが情報を選択して訪れた人々だった。

ある意味選別が出来て、今後に活かされると感じた。
  


2010年11月26日

猫のこと

昨年冬 アルテの床下で暮らしはじめた元気という名前の野良猫:子猫は

りっぱな豚のようなメタボ猫になっている。隣の吉田さんが

かわいそう、かわいそうといって3食も与えていたから

毎日のように太っていく。

黒ちゃんという名の野良猫は、同じだけ食べるのにやせている。

玄関が開いていると、にゃんとも鳴かず、そーっと忍び込んで

えさになるものを物色する。

この秋からもう一匹子猫が加わって、この頃は寒くなったので

3匹の猫がアルテの玄関の敷居の上で団子になっている。

 子猫は、離乳の時期で、ミャーミャーよく啼く猫である。

最初捕まえた時は、ギャーと暴れて指を噛まれたので

しばらくは凶暴猫とよんでいたが、すぐになれて

なついてきた。一昨日夜、座敷の窓を開いたとたん

ぴょんと部屋に飛び込んできたので、数時間遊んでいた。

突然ばたっと倒れて動かない~。死んだ?

うーんぴくぴく。でもぐるぐる回って,路まで出てばたんと突っ伏して動かない。

死んだと思った。明日大騒ぎになるだろうと思いながら、どうしようもなく眠る。

翌日、石畳の下から子猫の鳴き声、どこから入ったのか?

なにかに挟まったのか、啼くだけで姿が見えない。でも来客が多く助けてやれない。

夕方になって、子猫の声がしなくなった。死んだのかと思って、やってきた妹尾さんに

相談して、探してもらう。でも見つからない。

展示場を締めに出かけた時、遠くで子猫の鳴き声がして、探してみると

空き家の庭の植え込みで、大きな口をあけて啼いていた子猫を見つけた。

生きていた!そのとき、子猫が眠る時はばたっと突然眠ること初めて知った。

 昨日は、寒い晩で、夜どおしミャーミャーと外で啼いている。

箱に断熱材をしいたベッドを作って、外においてやる。でも気に召さないのか

すぐに外に出て、また寒そうに啼く。

かわいそうになって、部屋に入れてストーブのそばで温めてやる。

まきちゃんは丸亀に戻っていて、一人だったので、

まきちゃんにどうしたらいい?と相談した。

夜中、箱に猫の糞場の砂を入れてやって簡易トイレを作る、

その他の布団は全て押し入れにいれた。

そして、洗面所を子猫のお風呂にして、足の汚れを洗ってやり

温めた、なにも知らない子猫は気持ちよさそうに温まっていたが

湯から出すとギャーと騒ぐので、すぐにタオルに包んで乾かして

ストーブの前で抱いていると、またしてもばたっと眠る。

ひたすらすやすやと眠る子猫を布団に入れて、朝まで一緒に眠る。

元気が子猫のときは、布団におしっこやウンコを必ずされたが

子猫のベルちゃんは、そそうはしなかった。

ベルの方が猫らしい。元気は変な猫だと改めて思った。

かならず、私が外に出ると にゃんと啼いている。

でもちかづくと、逃げようとしながら、捕まえられて

だらーーんとおとなしく抱かれながら、いやんいやんと啼いている、毎回。。

そして、人が沢山来ると必ず姿をみせて、人ごみの真ん中でじっと座っている。






  
タグ :猫のこと


Posted by ギャラリーアルテ at 00:21Comments(0)日々のこと

2010年11月25日

AIR展覧会

海外からも含めて、展覧会を鑑賞しようと

笠島保存地区に様々な方が訪れてくださっています。

そのため、早朝から終日バタバタ・・物思いにふける余裕ももらえない有様。

アート鑑賞+咸臨丸ランチの予約が続いて、ブログの更新が出来ない状態が続く。

11月23日 ふれあい祭りも咸臨丸ランチを食べたいという方で

足の踏み場がない。。

助っ人 斜木さん、松本さん、千葉さん、まきちゃん という昨年のメンバーで

連携もよろしく、次々に6品の咸臨丸ランチをこなしてくださった。

冬Versionの 鮭と大根のクリーム煮 好評ですが、

大量につくるには、まだまだ開発途中。

結局食材があるだけで、41食完売。。

翌日も、アート鑑賞+ランチ パスタやピザでバッタバタ

本日も朝から咸臨丸ランチを希望されるかたの鑑賞者が続く。

一人だったので、お客さんまで手伝ってくださり、じゃがバター用のじゃがいもは

島の人が連携して、調達して持ってきてくださる。

島ならでは。。

展覧会を終える28日までアート鑑賞+caféはにぎわいそうです。

松宮硝子さんは、11月28日ごろ本島入りの予定。

島の子供たちとのワークショップ日程はいかに決まりました。

12月6日(月)本島小学校20名

会場 アルテ 

9時より11時ごろまで

1)竹紙で自分だけの架空の生き物を作ろう。

2)保存地区 伝建建物内のアート作品鑑賞 
  


2010年11月13日

咸臨丸ランチ

平日も「食とアートのプロジェクト~塩飽本島晴れに耕す。そしてアート」展の鑑賞に

島外から訪れていただいている。それに呼応して食事のほうもお客様が続く。

木曜日は一人だったので、早朝から忙しかった。土曜日まで食事とアート鑑賞のお客様が途切れず

疲労もピークに・・・。

鮭の手作りクリームパスタ、トマト&バジルのパスタ。手作りピザなどなど。

咸臨丸ランチは毎週のように予約が入っていて、7月から今日までで数えると125食作っていた。

11月23日のふれあい祭りには既に30食の予約をいただいている。当日は50食までは作る予定。

これはちょっと根性入れないと、乗り切れない。助っ人も3人は必要。

 食とアートのプロジェクト

A部門の計画には 畑での野菜づくり、そしてCafeのメニューの開発があった。

畑での野菜栽培は、初年度はすぐには成果が見出せそうになかったが、

試行錯誤の後、夏サポーターとして参加してくれた佐藤佳紀君が

毎朝6時ごろから、涼しい時間帯に荒れた畑を耕してくれたお蔭で、

一昨日、新に生えた雑草を取り除いてようやく、冬野菜を栽培する準備が出来た。

アルテの畑は、砂地と肥えた土の部分と2種類あるので、

砂地には、サツマイモやタマネギ

肥沃地には、スィートバジルや大根を植える。

夏 バッタに食べられつくしたと思われたスィートバジルは新芽が出て

青々とした葉を付けている。早速昨日のパスタに使用した。

採りたてのバジルの葉は瑞々しく、色も鮮やかだ。

そして、Cafeメニューの開発という部分は、ひらめきのような、偶然の産物、咸臨丸ランチになろう。

咸臨丸の水夫髙島清蔵の末裔の家が、アルテの建物。『咸臨丸洋行日録』から

ジョブス・ホテルにおける歓迎会の記録を抜粋して、アレンジして出来たのが咸臨丸ランチなのである。

・コーンポータージュスープ
・長ネギたっぷりのピリ辛肉飯
・じゃがバター
・季節のサラダ
・季節のメインディッシュ・・・只今は茄子とえびのスィートバジル炒め
美味しいと好評なのではあるが、季節の食材を使いたいので、冬バージョンを開発中。

 記録には なま鮭の煮タルモノ
        トリニク
        ダイコンノ千六本 などあるので

 大根と鮭のクリーム煮が有力かな?

同じくA部門・・・竹から紙を作る

 紙を制作するよりも紙づくりの環境を作り出すことが

本島の人が求めている土産物として発展できるのではと

試みたことであったのだが、思想が製作者と共有できなかったために

意図しない結果になっている。

これは、来年再チャレンジする。







  


2010年11月09日

人間の運命

只今は私は、笠島のアルテに一人、何ヶ月ぶりかのひっそりとした時間をすごしている。

夏の猛暑は思い出となり、冬の寒さが日ごとにますこの頃。

今日の瀬戸内の海はというと、冬の寒風で白波がたち、小さな高速艇は、左右に大きく

傾き、波が窓にザブンザブンと打ち付ける中の航行だった。

日中2便は運行取りやめとなっていた。「このまま20分もジェットコースター状態は

勘弁してよ。」と思わず言ってみても、乗り込んでしまったのだから、仕方がない。

咸臨丸は35日間が荒波だったと記録にあったが、さぞかし不安だったろう

などと考えて過ごした。

先日11月6日松宮硝子さんが笠島を離れ、作家の滞在制作はひとまず終了した。

展覧会は11月28日まで、私は、あと数十日は、まだまだ月火の休みを返上したかたちで

ひたすら咸臨丸ランチづくりとギャラリー業務に追われる日々が続く。

 本当に10月は、多忙な月だった。月火の休みが取れぬまま、11月になだれ込んだ。

さらには咸臨丸150周年記念の行事もあって多くの人々が笠島やアルテを訪ねてくださるが、

そのため、11月7日まで全く休暇をとることが出来ないまま、

笠島に滞在することになってしまったのだ。

さらに、7月からの作家との日々のやりとり主にドタバタであるが、

ブログにアップできなかったことは、悔しい限り。

多忙の始まりは、大倉邸に3.4日滞在して笠島を描きたいという人々だった。

ついては食事の方をアルテでよろしく頼みたい。

10日の展覧会を目前に控え、通常でも早朝から訪れる人々の対応に

終始し、ただでもギャラリー業務が滞っているのに・・。

お客様は、刺激的な人々であって、

肉体的にはきつい日々だったが、精神的には緊張感が楽しかった。

そのお一人から先日11月5日一冊の本が贈られてきた。

「よど号」事件三十年目の真実 対策本部事務局長の回想
島田滋敏/著
出版社名 草思社
というものだった。

島田さんは、昨年笠島を訪れていただいた白金台にお住まいの某社長のご友人。

その某社長、東京で笠島や笠島に移転したアルテを皆さんに

薦めてくださるものだから、島田さんが、興味を持ってくださって、

以来のご縁の方。

島田滋敏 さんは、S45年、「よど号」事件の当時、日航の対策本部事務局長として、

陣頭指揮をとられた方。 福岡での給油後、ピョンヤンに向けて飛び立ったはずの

「よど号」はなぜ、ソウル金浦空港に降りたのか。「金浦偽装着陸」について

当時は語ることが出来なかった事件の真実について、

当事者であるからこそ、30年後の今語ることに胸つかれる。

様々な想いが巡る。

また石田機長のその後の人生の変化を知ることとなった。

人間の運命というものを考える。

改めて、一期一会を深く胸に刻む。

時間は常に流れてゆく。

その瞬間に燃焼できているか。

怠惰に過ごしていないか。





  


Posted by ギャラリーアルテ at 19:32Comments(0)art

2010年10月26日

やっとPCに向き合える

10月は、初旬から東京や北海道からの泊りがけの来島者が続き、

レジデンシーの成果発表の展覧会がはじまることもあって、休日が満足にとれないまま

追われていました。咸臨丸ランチも予約が続いて、朝6時おきで、10食、20食と準備

して気がつけば、10月も終わります。

今日は夕方から急に冷え込み、冬の到来を感じます。


  

2010年10月01日

Fools paradise

愚民の楽園・・か
そうだね。

かすかな声やしぐさよりも

マスの報道に流される人々

メディアは、情報の価値を独自に評価して報道する志は低く

同じ情報を流している。

  

Posted by ギャラリーアルテ at 19:11Comments(0)art

2010年09月26日

島は肌寒くなりました

夏の暑さが思い出せないくらい、

寒くなり、衣替えをしました。

昨年の今頃はどうだったのか、思い出そうとするのですが

記憶が曖昧です。

10月10日の展覧会の準備のために、滞在していた作家二人が相次いでが東京へ戻りました。

松宮硝子さんは、滞在して制作に集中しています。

毎朝5時に起床、洗濯して、それから午後10時過ぎまで

アトリエである髙島八重美邸で制作します。

髙島邸は、外観の一部が船のように湾曲していて

ちょうど船の船首にあたる場所に井戸がある小部屋があります。

彼女はその部屋では作りこんだインスタレーションを試みています。

その他の部屋も照明器具と一体化したドークピープーが増殖しています。

咸臨丸150周年関連イベントも様々行われ

アルテで作っている咸臨丸ランチの予約も沢山いただいて

Cafeのほうでも追われています。

咸臨丸ランチは、この家が水夫として咸臨丸に乗ってアメリカに渡った髙島清蔵さん

ゆかりの家と伺ったので、記録を調べて、サンフランシスコについたとき

ジョブス・ホテルでの歓迎の食事の様子がありました。

レシピはないので、工夫していくつかをアレンジしてランチを作りました。

肉飯とカステラははずせません。ですからお手数ですが、予約をいただきたいのです。

髙島清蔵さん(笠島出身の咸臨丸の水夫)のお墓を近くの薬師堂へ探しに行きました。

発見しました。確かにありました。

そのひとつ置いて左隣に朱の入った髙島輝子さんの名前があるお墓がありました。

昭和20年に27歳で戦死されたご主人のお墓です。

確かに髙島輝子さんは、咸臨丸水夫だった髙島清蔵さんの子孫にあたるのだと思いました。
  


2010年09月20日

近況、しばたやんⅡ

今夜、うどん食べよう。
高松のダチ、沢田さん(60代女性)が送ってくれたうどん。
焼きうどんかな。
そのうどん、米屋が作っているということだが、ピカイチ美味いと思う。
ちなみに満腹のことを「お腹がおきた」というこの地域特有の言い回しは気に入っています。
先日は丸亀商店街の「きらく」の「ええぶん」のラーメンとキャベツの餃子でお腹がおきました。
また行きたいです。

「もう、やめなさい! はたらきすぎやー」
今日、近所のご婦人に言われました。
日が暮れ始め、夜通し制作かな、とアトリエに活き込んで移動するところでした。
明るい内、朝から、たしかに制作していました。それをその婦人は見ていたのでしょうか。

最近こんなことを行ってくれる人物は私の生活には登場しませんでした。
自分の過去の悪循環な、作品制作の泥沼、それはきっと働き過ぎによるものかもしれません。
やれるときは昼夜問わずモーレツ(?)に行動する、
それがアーティスト兼フリーターの常識でした。
僕の両親にしても、休憩はとれといえども、たいていの場合、顔を合わせれば
ケツを叩かれるか小言をいわれる、そんな家庭。

思えば学生のころにお付き合いしていただいた娘さんも、そういう風に
「働くことへの距離」を気づかってくれたように思う。
そんなときはいい仕事が出来てたと思う。

24時間のうちに占めるオフの時間は芸術家には重要なことなのかもしれない。
オフの質も大事なんだろうが。

働く時間にアウトプットされ、浪費されるものの内、オフの時間に補給できるマターがあるのだろう。
猫と遊ぶとか、猫と遊ぶとか猫とあそぶとか

そういう時間が大事にゃんだろう。


柴田  

2010年09月13日

近況、しばたやん

しばやんと呼ばれ始めました。

昨夜から強い風が吹いてます。
半野外の作業場でも僕の紙の作品が飛びまくったり破れまくったり、猫にかまれて穴が空いたりです。
朝は寒くなり、日照時間が極端に短くなったのを感じます。
視界が暗くなって野外の作業時間も早く切り上げ。
季節の変わり目です。長袖が欲しい。

溜池にヌートリアという
哺乳動物が生息しています、
夕暮れ時、散歩がてら
珍獣を観察しました。

”東京は台風が凄かったらしいから、
東京の実家のお父さんお母さんに電話したら”

と、宿の前の売店の女性の方に助言されました。
テレビで観た東京の台風の映像が衝撃的だったようです。
親戚や子供が東京ににすんでいる彼女にとって
東京はただの首都ではないような気がします。

”東京って何だろうね”とぼやいてもいました。

実家に電話はしていません。
でも
先ほど父からメールがありました。


東京の家に梅干が届いたそうです。
梅干の送り主はS君。
S君はアルテの前で干からびていた、
見知らぬ行き倒れのバックパッカー風のデザイン科の美大生。

彼は旅先で世話になった人におばあちゃんの梅干をおくるんだそうです。
無事に帰宅できたようでよかったです。

猛暑が過ぎて寝心地が良く
リフレッシュ。

絵の制作に重心を移してみてはどうか
、という慈悲深い許可が下りました、

早速ずっと中断していた途中の画面を引き伸ばしました。
あと一ヶ月の制作期間。

そう考えると時間はたっぷり。

島の人たちと
人間関係が出来つつあるのを楽しんでいる今日この頃。


柴田  

2010年09月11日

伊勢大神楽



毎年この季節になると大神楽がやってきます。














  

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2010年09月11日

柴田智明



柴田智明・・高島昭夫作業所

日本画 1981年東京国立生まれ。
武蔵野美術大学造形学部日本画科卒業
本島滞在中は、自生する竹から紙を作る試みを中心に行い、地域のお年寄りに、ほぼ毎日のように手作り野菜や魚などの差し入れを受ける。その交流を墨絵で描いた。竹紙製品は笠島の新しいお土産物となる可能性を開いた。次年度以降も期待したい。
鳥獣戯画、北斎漫画を彷彿とさせる自由な画風を持ち味として、生き物や旅の途上で出会った人々を描く。 

(1981~) 教育
2001-2005 武蔵野美術大学造形学部日本画科 個展・グループ展
2003 個展 ,ココア堂,東京
2005 ゲイサイ#8 2005 個展,くわはら,東京.
2/2006 個展パート 1,ギャラリ- Q,東京
6/2006 個展パート 2,ギャラリ- Q,東京
8/2006 京都国際インパクトアートフェスティバル
11/2006 個展”一泊二日”展,直島
12/2006 グループ展”ラストスパート”ギャラリー Q.
2/2007 個展,アートスペース羅針盤,東京
2/2007 個展,ギャラリ- Q,東京
2/2008 個展,ギャラリ- Q,東京
8/2008 グループ展,菅 盾彦大賞展,大阪タカシマヤ,大阪
2/2009 個展"富井ゲレ郎が語るP.Y.T"展 アートスペース 88,東京
9/2009 "クロスカレント 2nd"日米作家交流展,東京都美術館,
マキイマサルファインアーツ..東京 
LAアートコアギャラリー...ロサンゼルス,カリフォルニア
3/2010 個展,ギャラリ- Q,東京
3/2010 グループ展"東京ワンダーシード"展,東京
4/2010 グループ展"新しい墨の可能性"展,アートスペース羅針盤,東京
7/2010 アーティストインレジデンス"塩飽本島晴れに耕す。~そしてアート"  

  


2010年09月11日

山田健二


山田健二・・真木(まき)邸

写真は梅谷・山田・高島包さん

山田 健二 
美術作家 1983年東京生まれ、新潟、青海町育ち 多くの故郷をもつ彼は、故郷を巡り、その場所へのアプローチすることから彼の制作をはじめた。彼の仕事は常に自宅の無い土地で行われてきた。以来、彼の仕事は祭祀や組織の準備に棲み、そこに潜在する作為や動機を編集することで彼の作品を成り立たせている。 雪や地形、民俗知をテーマにしたインスタレーション、建築物、庭、写真などの表現で知られる。東京を拠点に活動。

個展/プロジェクト

2009 Frozen Murmur, Stiching Kaus Australis, ロッテルダム, オランダ
2008無題, ロッテルダム, オランダ
2007 Booking Void Inn AKIYAMAGOU,長野県, 下水内郡, 秋山郷, 鳥甲山
2003 Booking Void Inn, Mt. Amamizu, Niigata, Japan 2002 Untitled, Nechi, Niigata, Japan
2001 Snow-road, Oumi-city, Niigata, Japan

グループ展/プロジェクト
2010 “3331 シークレットオークション”, 3331 Arts Chiyoda, 東京
2009 “越後妻有アートトリエンナーレ2009”,新潟県, 十日町市, 松之山, 大厳寺高原
2009 “RAIR#1”, WDW63/ロッテルダム, オランダ 2008 “Project the Projectors
2008”, BankART NYK/横浜,
2007 “Earth Work International
2007”, ヒルサイドプラザホール/東京
2006 “Art path 2006”, 東京芸術大学/茨城県, 取手市

参考文献
坂井, 基樹“Booking Void Inn MATSUNOYAMA”, 越後妻有アートトリエンナーレ2009 - 公式カタログ,
3月, 2010 永峰, 美佳, “越後妻有アートトリエンナーレ2009 - 注目の作品ピックアップ”, BT(美術手帳),
9月, 2009, pp.98-109 大下, 健太郎, “松之山エリア作品特集”, 越後妻有アートトリエンナーレ2009 - 公式ガイドブック,
8月, 2010 レクチャー/プレゼンテーション 2010“KAWAMATA Prize 記念トーク”, パネルディスカッション, BankART NYK, 横浜 2009“RAIR#1”, アーティストトーク/プレゼンテーション, WDW63, ロッテルダム, オランダ 2008“MONKEYS on the WATER”, アーティストトーク, Duende, ロッテルダム, オランダ

賞歴/学歴
2009 Stiching Kaus Australis Residency, ロッテルダム, オランダ
2008 野村国際文化財団 芸術文化助成, 東京
2008 KAWAMATA Prize, 横浜
2008 東京芸術大学, 先端芸術表現科, 学位取得
  


2010年09月11日

松宮硝子


松宮硝子・・高島八重美邸

1981 東京生東京在住
2007 東京造形大学大学院 美術研究領域 修了  

私の制作は、無機質なもの、生きてはいないガラスから“Duquheapuer(結晶)”と呼ばれる生物をとりだし、
形作ること。そしてそれを調査、研究ることである。より多くのガラス達からDuquheapuerを見つけだし、
ジオラマや標本として正しい形にすることである。

Duquheapuerとは死など負のエネルギーに反応し、活動する存在である。
他の生き物の生命エネルギーが強い場所ではDuquheapuerの必要とするエネルギーが消されてしまうため生きてはいけない。故に廃墟や生き物の極少ない空間を好む。彼らは死亡するとガラスとなる。私はガラスを割ってその
かけらを集めて分類しながら彼らの生前の姿をジオラマとして再現する。
そして観察して彼らの生態を記録してゆくのである。

Duquheapuerは生物学上では生物と認定されていない。しかしそのラインとは曖昧であり、常に時代によって変動
する物である。

もし見方の法則や基準を変えたならいまとはまったく違った生物と無生物のラインがつくられるだろう。
もしくはそのラインすらないかもしれない。Duquheapuerという存在を通して生物とは何かについて問いかけている。

この問いをわざわざ美術で考える理由。それは、芸術はそれらの問いを知識や情報ではなく体感として感じさせ考えさせることが出来ると信じているからである。。 ワークショップ私は人からもらったガラスからもDuquheapuerの標本をつくっている。それは「すべてのガラスにはDuquheapuerが眠っている。」という考えだからである。私はそれらの標本を観察して種類や生態などをデータとしてまとめていく。終わった後、標本は分類を示した標本カードと共にガラスの元の持ち主に渡す。わたしの元にはDuquheapuerについてのデータがのこり、色々な場所にDuquheapuerの標本が広がっていくのである。

主な個展

2009 4 “Duquheapuer ecology” 水戸芸術館現代美術ギャラリー第九室
2007-8 "Study room of Duquheapuer", BankART studio NYK, 横浜
2006-5 "Museum of Duquheapuer" , ZOKEI gallery, 東京
2004 "hatch out ? spread ? " , node, 東京


  


2010年09月10日

レジデンス成果発表の展覧会

会期 10月10日-11月28日
    オープニングレセプション 10月10日 午後12時より
    作家との交流会・ふれあい祭り 11月23日 9時より

会場 丸亀市本島町笠島国の重要伝統的建造物群保存地区





  


2010年09月06日

壇の上棟式



今回は伝建地区の真木邸の部屋に地鎮の儀礼を呈したインスタレーションと、もう一室はプロジェクトルームとして公開する。3日に儀礼の為の壇の骨組みが完成し、スタッフのマキさんのアイディアでギャラリースタッフ・作家・近隣の人々と壇の上棟式を行った。一同餅を投げ合う。棟梁は誰ということはない、ダルな儀式がひと時の間続いた。入道雲が四方に起って見える。夏がこれで終わると、今年は何度も思った。
  
タグ :山田健二


2010年09月01日

大木裕之~本島入り

映像作家 大木裕之さんが、昨日突然最終便(丸亀発20:00)で

本島入り。

本日9月1日。

レジデンス作家の滞在 58日目

作品づくり佳境。

9月末まで柴田さん、山田さん 滞在延長。

10月10日より展覧会が始まる。  


2010年08月28日

竹紙づくり

笠島のアルテの周囲は、終日風がふきわたり、とても心地よいこの頃です。

特に東小路は、風が吹き抜けています。猫も涼しいのか、寝転んでまどろんでいます。

*サポーターとして参加していた佐藤佳紀君が

自動車免許を取得するため、卒業制作のため、25日本島を離れました。

再び島を訪ねてくるのは、展覧会開始の10月10日ごろでしょう。

毎朝早朝、畑づくりの開墾作業、紙づくりの下準備など 裏方の仕事を

もくもくとしていた姿が思い出されます。お疲れ様でした。

夏の暑い2ヶ月間、ご苦労さまでしたね。ありがとうございました。

おかげさまで、毎日次々に竹紙が生まれています。

*瀬戸内国際に人出が多いためか、「静かな島に来たかった」と

本島の笠島地区を訪ねてくださる方の訪問が続いています。

そして、竹紙作りをご覧になって、手伝ってくださる助っ人も

*宿舎の小崎邸の持ち主の方が、

「暑い中、作品づくりも大変でしょう。予定では9月初旬までの

賃貸契約でしたが、11月の展示が終わるまで、いろいろと滞在する

ところが必要でしょうから、そのまま使ってくださっていいですよ。

綺麗に使ってくださって、ありがとう。」と昨日ご連絡を頂きました。

作家たちも9月末まで滞在したいと話していたので、

とても喜んでいます。島の人々も立ち寄っては、いろいろ手伝ってくださいます。

夏野菜や魚介類の差し入れも続いています。

本当にありがたいです。いい作品展開で恩返しします。

作家たちも数年かけて育てて行く作品展開を図っています。

親しくなって島のお年よりも、こういった関りを喜んでくださいます。






  


2010年08月21日

Webページのお知らせ

食とアートのプロジェクト Web

http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiwaku/katsudo.htm

活動の様子。画像もUpしました。
  

2010年08月20日

制作スタッフの募集

笠島のレジデンシーに滞在中の山田 健二です。作品の制作サポートスタッフを募集しています。伝統建築・建築・ランドスケープ・作庭などに興味のある方、奮ってご応募下さい。条件・概要以下です。よろしくお願い致します。

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展覧会タイトル:食とアートのプロジェクト 塩飽本島 『晴れに耕す。そしてアート 』

主催:財団法人福武学術振興財団

共催:丸亀市教育委員会

後援:丸亀市

会期:10月10日~11月28日

作品概要:本島笠島地区という香川県唯一の伝統的建築物群保存地区の邸宅の庭園化プロジェクト。家屋は倒壊も進み植物と一体化している状態でその家屋そのものを一つの樹木に見立て、庭園を敷地一体に制作する構想。今回はプラン展示を別の家屋(真木邸)の中で模型やインスタレーションを展示する。

作業内容:模型制作、インスタレーション制作

制作時期:8月25日~9月30日(可能な日程で要相談)

その他の条件:宿舎あり(大倉邸)(無料)キッチン、トイレ有り、風呂のみギャラリーで使用
食費のみ人数でシェア
交通費支給無し
  
タグ :山田健二


2010年08月20日

地域にとって本当に必要なもの

アーティストたちの笠島滞在50日が経過した。

彼らは。只今ここに暮らす人として、地域の環境、人々と様々なものを交感している。

佐藤佳紀さんは、毎朝早朝6時くらいから、畑の開墾。

柴田智明さんは、竹紙の試作品をいくつか作り始めた。地域の人々から竹を煮るためのマキを提供されたり、

竹紙を煮る鍋やカマドを貸していただいたり。煮た竹を漉くための、オケを用意してもらったり・・・。

また、将来工房として使用できるかもしれない建物の提供を申し出ていただいたり。

日本画家である柴田君は、描き手として笠島を訪れたのだが、私は、支持体づくりから

はじめるよう要請した。7月一月彼は、悩み、模索し、逃避していた。

島の人々や、彼の友人たちが、応援し、激励し、作業を手伝ってくれ、ようやく白い紙が生まれつつある。

 山田健二さんは、伝建地区という土地の成り立ち、抱える問題、克服しなければんばならない課題を

浮き彫りにするかのような作品展開を行っている。

彼らは、いつかは、ここを離れて行く人でありながら、この地域にとって、

彼らにとって、かけがえのない唯一の時を交感している。

9月、松宮硝子さんの滞在活動が始まる。男性作家たちは、9月中旬まで滞在か?

そして、成果としての展覧会は、10月10日から始まる。いくつかの建物や屋外を

会場として。協賛作家たちの活躍も期待したい。

 作品発表の場として伝建というものと向き合ってもらいたいということが条件となる。

全国87ある伝建地区の多くが、高齢化という問題に直面している。

丸亀市にある塩飽本島町笠島は、香川県で唯一の重要伝統的建造物群保存地区(じゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)である。

重要伝統的建造物群保存地区とは、市町村が条例等により決定した

「伝統的建造物群保存地区」のうち日本の文化財保護法第144条の規定に基づき、

特に価値が高いものとして国(文部科学大臣)が選定したものを指す地域だ。

文化財保護法で言う「伝統的建造物群」とは、

城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの周囲の環境と

一体をなして歴史的風致を形成している伝統的建造物群を指す。

この制度は、文化財としての建造物を「点」(単体)ではなく「面」(群)で保存しようとするもので、

保存地区内では社寺・民家・蔵などの建築物はむろん、

門・土塀・石垣・水路・墓などの「工作物」、庭園・生垣・樹木などの

「環境物件」を特定し保存措置を図ることとされている。

 注目すべきは、重伝建に選定される伝統的建造物群の中の道路形態は、

自動車交通に対応していないところが多い。
これはインフラ整備などによる開発から取り残されたり

元々交通の不便な島嶼や山間部にある集落で産業が衰退したことなどにより

結果的に伝統的な建造物が残ったところが多いためであるが


重伝建選定時の伝統的建造物と都市計画決定済みの道路との関係や

観光客の増加に伴う自動車交通への対応などが課題になることが多い。

また重伝建の選定は建造物の増改築などに制約が掛かったり、

増加した観光客のマナー問題(騒音、ごみ、交通渋滞など)などによって

そこで生活する住民にとってマイナス要素となることがある。

 私は、伝建地区では、観光の質がとても重要なポイントとなると感じている。

そのためには、多くの観光客を誘致して、地域の活性化を図るのではなく

今回のAIR活動のような、数名が暮らしをともにし、地域に根ざしたアクションを通して

地域の住民に改めて歴史的な環境を保存し次世代へつなごうとする意欲を喚起することに

よって、初めて地域の活性化を図ることになるのだと切に考えている。

徳島の神山町AIRは、その成果が育っていると思う。本島ではあまりにも高齢化している今

AIR活動の内容・その価値について、理解不能という反応は想定内のことであって、

これは、数年継続して初めて地域の人々にも共感を持って共有できるものだと

覚悟している。

 只今、本島では島の人々の手によって「咸臨丸150周年記念事業」の計画が

すすめられている。アルテも協賛として、咸臨丸ランチなるものを開発した。

しかし、今の本島にとって、観光客誘致だけの観光振興は、本当の地域の活性化には

ならないということが、共有できていない。過去、瀬戸大橋観光ブームも一過性のもので

あったことは、記憶に新しいはずだが、方策がみつからないまま、観光振興を進める

行政側に深慮と思想の深さ、志を求めたい。






  


2010年08月18日

本島の時間

マケットなど制作している.
16日に友人の建築家・遠藤幹子さんと娘の編ちゃんが来廊し、祭りや海などを満喫し帰って行った.作家、スタッフ一同盆踊りの筋肉痛と猛暑にやられてしまっている.
お盆前は皆多忙で、今日から制作前にやりのこした聞き取りの約束がたまっている.作品が色々な人々の時間や経験の中に飛び込んでゆく、そんな瞬間なのかもしれない.  
タグ :山田健二


2010年08月13日

笠島のお盆

知己の画廊からは夏季休廊のお知らせをいただくが

笠島にあるアルテはお盆時期こそ仕事の時間

いつもはひっそりとした笠島の夜が、今夜は

あちこちの家に灯りが そして人の話し声

今日もアルテはお盆で里帰りをしたという人々の来訪でにぎわった。

竹紙づくりの柴田君の助っ人も加わり、アルテの人の出入りが

いつもと異なった人々の来訪でにぎわう。

実は自転車で帰る途中。下り坂の坂道で自転車で転倒。

左側のあちこちを負傷したため、12日まで休養していた。

まだ手は使えないので、この時期の助っ人は本当にありがたい。

東京理科大の長井君も友人と今日から本島に滞在していると

訪ねてくれた。若い人が行き交うので、笠島のお年よりは

とてもうれしそう。

いつもの本島とは違った表情の本島もなかなかいいものだ。


  


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2010年08月07日

あかねとんぼ

8月に入って、ここ本島では朝夕の風が変った。

アルテの前の東小路には、あかねトンボが飛び交っている。

日中はまだまだ日差しは厳しいのだが、秋の気配が漂っている・・

自然の中で深く暮らすと、季節の移り変わりを空気の気配で体感している。

レジデンスアーティストの一人、山田健二さんが、面白い着想で遺すことを前提に

作品化を図っている。

******『使用と地上の保存学』*********山田健二

笠島に初めてバスで降り立った時の印象を今でも忘れない。時間の突き当たりというか、

曲がり角に立ったような感覚と、町と港を隔てる道路が不思議にも大きな彼岸に見えて、

居たたまれずに妙な積極性で町に滑り込んだのだった。石畳が降り積もったような拡がり

に、細く降る様々な色と建材の残像を見るような風景は知識や写真では推し量れない印象

で、こころの底をほどいていくようだった。その奥で東北や北陸の山村に消えた茅葺き屋

根の町並みを思い、うらやむ気持ちもこみ上げてくる。
 
 その印象と風景にわたしは深く敬服しながら町を巡り、兼ねてから思う“ 使うことの保存”

への関心と意味をその風景に沈めていった。

 本島に住んで1ヶ月になろうとしている。顔なじみもできて、生活や暮らしの隣人も増

えた。今では笠島の塩飽大工である高島昭夫氏が初めてお会いした日に話していた「古い

建築を本当に保存しようと思ったら、古い生活のままでいなければならなくなる。」と言う

言葉の解釈にいろいろな表情が増してきたように思う。一つは解釈に切実さと痛みを伴っ

てきた事だろうか。古い慣習や作法、信仰と結びついた間取りや建築の造りそのものは土

地や環境からの交渉を受け止め、抗し、包み込むための器でもある。その内と外の境界は

外環境への堅固さを追求した現代建築と比べると真実でしか保てない程 繊細なものなのだ

と今では強く感じるようになっていた。

 制作活動の現場や住居の為の物件が中々に見つからなかった折に、昭夫さんは簡単では

ない島を出た家主の心情をいろいろと話してくれた。「なかにはここに住んでいたと言える

何かがあればそれでいいと言う人もいる。」倒壊を待つように放置された邸宅の家主の思い

を語ったであろうその言葉は、使うことの保存学の向こうで今 変わろうとしているひとの

気持ちを痛感させるものだった。

 山のすそ野に呑み込まれようとしている古い家屋の構造や、それを貫くように湧き立つ

生命を見ながら、親族達で使うということからは又違う未来の選択がそこにはあるように

も感じる。人が住まい、暮らすということから植物や他のあらゆる生命にその‘使用’ の間

口を開かれたその“ 場” は公の庭園である“ 公園” を超えて庭園のもつ本来的な、そして

未来的な在り方へと繋がる覗き穴のようにも感じられた。」

 保存地区で実践される“ 使用の保存学” が転じて照らし出した新しい保存と共存のこころ

は、都市や地域社会に於ける建築と環境の共存と双方からの組織化の未来に全く新しい示

唆をもたらすものであると感じてやまない。
 
① 植物と重なる構造(植生)
植物にとっての建築、構造のーザビリティーや現状の植
生をリサーチし刈り込みや植林などの計画を検討する。
植物と一体のとなる家屋を樹木に見立て、敷地に庭園を作庭する。
真木邸を計画室とし各部屋にテーマ別の模型、図面、写真を空間の中に編集、表現する。
隔てられてはいるもののそれぞれに隣接した部屋の要素は編集の過程で交雑する。

② 風、暮らしと時間の通態(構造)

家屋の空間的構造と間取りの意味、現状の構造補強(?) を検討する。

③ 田中小路、山、街路と地形(フィールド)

西山や街路との関係性から敷地を隔てる壁や敷地の起伏等を設計する。

作品化の為の資金調達を、丸亀市文化課冨田さんとともに、図る。


 昨日は、梅谷の*回目の誕生日。サプライズでみんながケーキととんかつで

祝ってくださった。お隣の吉田愛子さんも参加して、愛子さんはこうして

若い作家たちとの夕食がとても楽しい様子。一人で食べるよりは

大勢で食卓を囲むと楽しいよね。

お年寄りの一人暮らし。こういった形で世代を超えて場をひとつにすること

これが私がここで試みたかったひとつだと改めて思う。

耕すとは、ひとりひとりのこころを耕して行く事でもあるのだから。







  


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2010年08月04日

遅々と進む計画

市役所の文化課文化財保護担当の冨田さんにギャラリーまでご足労頂き打合せをした.
図面等を見ながらプランを中心に話をした.使用することから生まれる保存学、島外移住者の家屋への思いなどを話す.
中世の家屋を保つためには中世の生活もしなければならないという意見もあるが、皆いろいろと折り合いをつけながら生活しているとのこと.
観光地化し店などが入る伝建地区もあるそうだが、そうなってはいないここ(笠島)は心地よく思える.

家主さんとの交渉をどう進めるかについて悶々としながら話を終え、庭の配置を相談されていた中西さん邸に皆で繰り出した.  
タグ :山田


2010年08月03日

塩飽大工の末裔

作品の構想がまとまりつつある. 資材などの相談に元大工の高島昭夫氏を訪ねると.
'絵がないとわからんなァ'と一旦出直しに. 無性に試されている気になり即座にドローイングを仕上げる.
現場写真を印刷し束にした.
現役時代の棟梁も今は笠島地区の自治会長の勤めに忙しい. 今日はカブで皆のお宅にアンケートを配っていた.
仮住まいの小崎邸にも当然のように現れて、そのままプレゼンティションに. 伝建地区での建築的な作品は先ず市の文化課に通すのが筋とのこと. プランの模型などにも予算がつくのだそうだが、時間もあまりない.
生木などで低予算の方向なのだが、木を切れる場所の話まではできなかった.

棟梁のプランに対する反応は以外にもかなり良く. 試されていた弟子の気分もどこかへ.  
タグ :山田健二