
2009年11月12日
レジデンスとして使用させていただける建造物2棟あり
11月1日からギャラリーをオープンしています。
早速京都や山口、岡山などからアート関係者が本島のアルテを訪ねてくださって、なんだか
にぎやかに過ごしています。
それに島の方も、うわさを聞いて訪ねてくださいます。
昨日は、高松の友人がワインとおいしいチャーハンをもって、下見に訪れてくださいました。
昼間のワインパーティーとなりましたが、お隣の愛子おばちゃんが3時の珈琲を飲みたいと
きてくださったので、私はお仕事・お仕事。
小阪の方が話に聞いたと孫を伴って、作品鑑賞に来ても下さいました。
シンノスケ君といったかな?6歳の男の子、おじいちゃんに連れられて、珍しそうに作品を見ている姿もいいものだと思いましたよ。
この建物は明治時代に建ったもので、伝建なので、屋根瓦はその時代のものを使っています。
修復は20年まえにされたので、また少し屋根の修復が必要となっているのです。
つまり、一部雨が漏っているのです。
一昨日の火曜日はお休みで丸亀に戻っていたのですが、どうにも雨が気になって
高島さんに頼んでみてもらってもいきのですが、なんだかんだとお願いしては申し訳ないので、
最終便8:00のボートで本島へ行きました。
まっくらなので、島の方で山田さんという方にお願いして、車で連れて行ってもらいました。
助かりました。
あわてて引き戸を開けて、電燈をつけると、作品に雨がかからないように移動してくださって
いました。高島さんだ。。このときはほんとうに高島さんの暖かさを感じて、とてもうれしかったです。
島のかたはとても親切です。せっかく来てくれたんだからと、なにかと気をかけてくださるかたが多いのです。
毎日必ず訪ねてくださるので、なにかと忙しくあわただしく、過ごすことになります。
夜泊まったときだけ、ほっと島の暮らしを堪能できるのです。
ずーっと島にいるほうが、島の人はうれしいみたいですが、自宅もあるので、
そうも勝手は出来ません。そこで、金土日だけ島に泊まることにしました。
●20日に知人のミュージシャンが本島の人に向けてLiveを行ってくださるのです。夜泊まり込んで、笠島のふれあい祭りがあるので、21日-23日は島には沢山の方が訪れます。
民宿の大倉邸でも作品展をされる方があり、大倉邸に泊まってもらうか、
アルテに泊まってもらうか、考え中の相談を高島さんにしたところ
「まあ、ちょっとついていらっしゃい」というのです。
アルテの裏の田中小路沿いの2軒の建物を見せてくれました。
4~5人くらいならここに泊まれるじゃろ。エアコンもあるぞ。。
伝建の建物です。中は生活できるように改装されていました。
庭にはバーベキューが出来る石組みが。。
すごーいい。
ここならレジデンシーが出来ますよ。と私がうれしそうにニコニコしていると
もう一軒もあるぞ。といって見せてくださった家は
高島さんが棟梁として新築した、古い家屋を新築で建てたものでした。
屋根裏の木組みがそのままに、屋根裏にも部屋が整えられていました。
こういう仕事が出来る大工は、もういなくなった・と高島さん
建築を勉強している人に見せてあげたいと思いましたね。
レジデンスに応募したいと連絡をいろいろいただいています。
真木のおばあちゃんにご飯を作ってあげなければならないし、
AIRのこと、菜園のこと、野菜の先生から分けてもらう食材の準備など
さあさあ、がんばっていきまっしょ。
早速京都や山口、岡山などからアート関係者が本島のアルテを訪ねてくださって、なんだか
にぎやかに過ごしています。
それに島の方も、うわさを聞いて訪ねてくださいます。
昨日は、高松の友人がワインとおいしいチャーハンをもって、下見に訪れてくださいました。
昼間のワインパーティーとなりましたが、お隣の愛子おばちゃんが3時の珈琲を飲みたいと
きてくださったので、私はお仕事・お仕事。
小阪の方が話に聞いたと孫を伴って、作品鑑賞に来ても下さいました。
シンノスケ君といったかな?6歳の男の子、おじいちゃんに連れられて、珍しそうに作品を見ている姿もいいものだと思いましたよ。
この建物は明治時代に建ったもので、伝建なので、屋根瓦はその時代のものを使っています。
修復は20年まえにされたので、また少し屋根の修復が必要となっているのです。
つまり、一部雨が漏っているのです。
一昨日の火曜日はお休みで丸亀に戻っていたのですが、どうにも雨が気になって
高島さんに頼んでみてもらってもいきのですが、なんだかんだとお願いしては申し訳ないので、
最終便8:00のボートで本島へ行きました。
まっくらなので、島の方で山田さんという方にお願いして、車で連れて行ってもらいました。
助かりました。
あわてて引き戸を開けて、電燈をつけると、作品に雨がかからないように移動してくださって
いました。高島さんだ。。このときはほんとうに高島さんの暖かさを感じて、とてもうれしかったです。
島のかたはとても親切です。せっかく来てくれたんだからと、なにかと気をかけてくださるかたが多いのです。
毎日必ず訪ねてくださるので、なにかと忙しくあわただしく、過ごすことになります。
夜泊まったときだけ、ほっと島の暮らしを堪能できるのです。
ずーっと島にいるほうが、島の人はうれしいみたいですが、自宅もあるので、
そうも勝手は出来ません。そこで、金土日だけ島に泊まることにしました。
●20日に知人のミュージシャンが本島の人に向けてLiveを行ってくださるのです。夜泊まり込んで、笠島のふれあい祭りがあるので、21日-23日は島には沢山の方が訪れます。
民宿の大倉邸でも作品展をされる方があり、大倉邸に泊まってもらうか、
アルテに泊まってもらうか、考え中の相談を高島さんにしたところ
「まあ、ちょっとついていらっしゃい」というのです。
アルテの裏の田中小路沿いの2軒の建物を見せてくれました。
4~5人くらいならここに泊まれるじゃろ。エアコンもあるぞ。。
伝建の建物です。中は生活できるように改装されていました。
庭にはバーベキューが出来る石組みが。。
すごーいい。
ここならレジデンシーが出来ますよ。と私がうれしそうにニコニコしていると
もう一軒もあるぞ。といって見せてくださった家は
高島さんが棟梁として新築した、古い家屋を新築で建てたものでした。
屋根裏の木組みがそのままに、屋根裏にも部屋が整えられていました。
こういう仕事が出来る大工は、もういなくなった・と高島さん
建築を勉強している人に見せてあげたいと思いましたね。
レジデンスに応募したいと連絡をいろいろいただいています。
真木のおばあちゃんにご飯を作ってあげなければならないし、
AIRのこと、菜園のこと、野菜の先生から分けてもらう食材の準備など
さあさあ、がんばっていきまっしょ。
2009年11月08日
パスタとピザ
きょうも快晴。
朝9時ごろからギャラリーの前をスーツ姿のおじさん軍団が不思議そうにのぞきながら専称寺に向かって
歩いています。
猪熊美術館でチラシがあったからと、9時ぐらいにお客様が・・。
ほっとしたのか、すっかり寝ていて、保存センターの東さんに起こされました。
泊まっているとすぐに対応できるから、良かったです。
昨日は倉敷から女性の小グループ、珈琲を飲みたいと立ち寄ってくださいました。
ギャラリーだと知って、「香川は島の近隣で現代アートが活発ですね。」と話しておられました。
児島からフェリーでこられたそうです。「20分だから早いのよ。次の便は16:35分ゆっくり出来ます。」
といって蔵本さんの作品やフォトモをとても興味深く鑑賞されていました。
一度こられると様子がわかるので、案外この距離がとてもいいようです。
次の船の時間まで、ゆったり島の自然や歴史やアートなど文化を堪能していただけます。
島は歴史的な文化財の宝庫です。
琴平の金丸座と同時代の江戸期の芝居小屋 千歳座が本島は遺されています。まわり舞台の仕掛けもあります。
澤村藤十郎とか歌舞伎役者の公演も以前は催されていたとお年寄りが懐かしそうに語ってくれました。
木鴉神社で現在もご覧いただけます。
◇岡山から本島へのアクセスは、児島からフェリーにのって本島へというコースがあります。
島の方から伺うと、岡山→本島→丸亀というルートで只今の本島は成り立っているのだそうです。
フェリー会社が異なるので、双方記載していないので、知らない人がおおいとか。。
岡山からは
JR児島駅下車 駅すぐ近くが児島港です。
六口丸海運 086-474-6199
本島へは4往復
児島 本島
6:25 → 6:55
9:30 → 10:00
15:55→ 16:25
18:30→ 19:00
土日は本島アルテに泊まっていまることが多いので
開廊時間も対応できます。事前にご確認いただいたほうがいいです。
アルテ 0877-57-8255まで
勤番所の方や保存センターの方が、本島へいらした観光客のかたを
ギャラリーまで誘導してくださっています。
食事の提供を待ち焦がれてくださっているので、珈琲はお出ししています。
今月20日からパスタとピザをメニューに加えます。地元の魚は提供していただく方が
数人見つかりました。
野菜もOK
まずは、はじめます。
朝9時ごろからギャラリーの前をスーツ姿のおじさん軍団が不思議そうにのぞきながら専称寺に向かって
歩いています。
猪熊美術館でチラシがあったからと、9時ぐらいにお客様が・・。
ほっとしたのか、すっかり寝ていて、保存センターの東さんに起こされました。
泊まっているとすぐに対応できるから、良かったです。
昨日は倉敷から女性の小グループ、珈琲を飲みたいと立ち寄ってくださいました。
ギャラリーだと知って、「香川は島の近隣で現代アートが活発ですね。」と話しておられました。
児島からフェリーでこられたそうです。「20分だから早いのよ。次の便は16:35分ゆっくり出来ます。」
といって蔵本さんの作品やフォトモをとても興味深く鑑賞されていました。
一度こられると様子がわかるので、案外この距離がとてもいいようです。
次の船の時間まで、ゆったり島の自然や歴史やアートなど文化を堪能していただけます。
島は歴史的な文化財の宝庫です。
琴平の金丸座と同時代の江戸期の芝居小屋 千歳座が本島は遺されています。まわり舞台の仕掛けもあります。
澤村藤十郎とか歌舞伎役者の公演も以前は催されていたとお年寄りが懐かしそうに語ってくれました。
木鴉神社で現在もご覧いただけます。
◇岡山から本島へのアクセスは、児島からフェリーにのって本島へというコースがあります。
島の方から伺うと、岡山→本島→丸亀というルートで只今の本島は成り立っているのだそうです。
フェリー会社が異なるので、双方記載していないので、知らない人がおおいとか。。
岡山からは
JR児島駅下車 駅すぐ近くが児島港です。
六口丸海運 086-474-6199
本島へは4往復
児島 本島
6:25 → 6:55
9:30 → 10:00
15:55→ 16:25
18:30→ 19:00
土日は本島アルテに泊まっていまることが多いので
開廊時間も対応できます。事前にご確認いただいたほうがいいです。
アルテ 0877-57-8255まで
勤番所の方や保存センターの方が、本島へいらした観光客のかたを
ギャラリーまで誘導してくださっています。
食事の提供を待ち焦がれてくださっているので、珈琲はお出ししています。
今月20日からパスタとピザをメニューに加えます。地元の魚は提供していただく方が
数人見つかりました。
野菜もOK
まずは、はじめます。
2009年11月04日
本島
入り口です。
昨日はとても肌寒かったのですが、県内外から十数人のお客様が来てくださいました。
今からセカンドステージ、11月23日のふれあい祭りに合わせて、もろもろ準備を行います。
●藏本秀彦展「COTTON」
糸崎公朗「丸亀あらたし文化商店街」展という二つの全く異なった内容の展覧会を開催しています。
会期 蔵本展は 11月1日(日)-11月30日(日)まで
糸崎展は 11月23日までです。
場所 ギャラリーアルテ
〒 763-0221 香川県丸亀市本島町笠島305
開廊時間 a.m.11:30 – p.m.16:30
休廊日 月・火曜日
藏本秀彦は、香川県生まれ。
藏本は、強制的に鉄粉を酸化させ、あるいは酸化を止めることで独特の色合いをつくりだしています。鉄や銅、すずといった金属を酸化させ、化学反応の過程で変化した色合いを顔料とし、その色合いは時間の経過と共に変化して行きます。
時間性を創作に取り込んだ作品です。
和の空間での展示は、こんぴらアートに続いていますが、さらに深化し、笠島の町並みや風景と共鳴する形で
見ごたえのある空間を作り出しています。
糸崎公朗による復元フォトモは、丸亀市街地の写真をもとに
写真による立体紙模型の作品です。
糸崎によって撮影されたフォトモとは異なって、今回は撮影者は別の人です。
よって平面のものを立体化する際に、通常のパースがとおった構成とはなっていません。
そこに制作する際の難しさがあったと思いますが、作品としての面白さは、フォトモよりも深まってたと感じています。
フォトモについては、作者自身が提唱している「非人称芸術」のコンセプトのもと制作されたものであるため、
多くの人の手によって、フォトモ制作が可能なものです。
事実、広告会社からこの手法で作者に依頼するのではなく、会社側で制作を行いたいという
確認の連絡がいくつかありました。
フォトモとはそういう性質の表現であり、従来の美術品から逸脱するものであることを痛切に実感しています。
フリーアートのように、その手法が公開されていること。
作者よりも手法が伝えられるようになる方が、魅力ある出来事になるのではないかと思うのです。
そういう意味で興味深い表現者だと思います。
2009年11月01日
本島展はじまりました
31日.1日と本島滞在して
ようやく、引越しも完了
蔵本展・糸崎展が始まりました。
ネットも開通 ほっと一息
31日から1日にかけて
NHK と毎日新聞の同行取材を受けながらの
搬入でした。記者の方たちも島の雰囲気
ギャラリーの様子をとても楽しんでくださったようです。
その間多くのかたがぎゃらりーを訪ねてくださいまして、実に忙しかった。
昨日はじめてあたらしやに泊まりました。
展示の空間を眺めたり、デスクでネットの設定を行ったり、
なかなか寝つけませんでした。
地元の方、本島へきているかた
にぎやかで応対もなかなか・・。
みなさん待ちわびているので
なかなかプレッシャーでもあります。
ようやく、引越しも完了
蔵本展・糸崎展が始まりました。
ネットも開通 ほっと一息
31日から1日にかけて
NHK と毎日新聞の同行取材を受けながらの
搬入でした。記者の方たちも島の雰囲気
ギャラリーの様子をとても楽しんでくださったようです。
その間多くのかたがぎゃらりーを訪ねてくださいまして、実に忙しかった。
昨日はじめてあたらしやに泊まりました。
展示の空間を眺めたり、デスクでネットの設定を行ったり、
なかなか寝つけませんでした。
地元の方、本島へきているかた
にぎやかで応対もなかなか・・。
みなさん待ちわびているので
なかなかプレッシャーでもあります。
2009年10月23日
【保存地区の概要】
丸亀市文化課より
笠島の町並みについての資料をいただきました。
特異な特徴がよくまとめられているので
皆さんにもご紹介したいので、ご覧ください。
『丸亀市塩飽本島町笠島伝統的建造物群保存地区保存計画のあらまし』より
【保存地区の概要】
沿革
笠島は、瀬戸内海の南北を扼す塩飽諸島も中心島である本島の東端に位置する。ここは瀬戸内海交通の要衝であり、古来塩飽水軍の最重要拠点としての地位を占めていた。
笠島には、城根・中之浦・新在家・山根・屋釜の5集落を有し、城根・中之浦は家並み続きであるものの、新在家・山根・屋釜は山越えで離れている。保存地区はその中心集落である。笠島といえば、一般にこの山根地区を指す。
建永2年(1207)法然上人が配流の途次に一時身を寄せた、地頭駿河権守保遠入道西忍の館は、この笠島の城山にあったし、16世紀後半に亡ぼされた代官福田又次郎は城山に居城していた。 塩飽の水軍は、天正5年(1577)信長より触掛りの特権を得、同18年(1590)秀吉は塩飽領1250石を船方650人に与え、家康もこれにならい、以来幕末まで、他に例を見ない いわゆる「人名」 による自治が行われていた。
江戸初期には、幕府御用船・水主役を勤め、全国的な海上輸送を一手に引き受け、多くの船持衆が生まれ、豊かな漁場による漁猟海上がこれを補って、塩飽の最盛期を迎えている。この頃、笠島は塩飽諸島中で最良の港 (停泊地、修理場) であった。
しかし、元禄頃(17世紀末)から全国的に廻船業が成長するにつれ、塩飽の海運業は衰退の一途をたどり、18世紀中頃には、他国へ出稼ぎに行かざるを得ない経済状態に陥り、笠島の港としての機能は与島に奪われてしまった。
出稼ぎは、これまでに培われてきた航海技術・造船技術の優秀さから、加古稼・大工稼が主で、 「人名」 はほとんど漁猟働はしなかった。こうして、中国地方を中心に名を高めた塩飽大工が発生し、各地で活躍し始めることになり、時代が降るにつれてその傾向は増大する。
【現況】
出稼ぎは戦後も続き、島に土地・建物を残しながら島外に居住して他の職につく者が増加する。こうした人口流出は近年ようやく停滞したものの、大半が老人世帯となり、また空家の多い過疎地と化している。港は昭和初期に始まる埋め立て、護岸工事により、旧状の一部を残しながら漁港として改修され (ただし漁家は港の西に続く中之浦に集中する ) 、
またこの港に通じる道路が城山の海岸沿いに設けられるなど、景観は変貌しつつある。しかし、集落内においては、新しい形式の建物は散在的にみられるにすぎず、江戸後期以後の伝統的形式の家屋からなる集落景観をよく止めている。
このような状況に対し、昭和55年に、笠島の住民を中心にした保存協力会が発足し、丸亀市の補助のもとで、主として傷みの激しい屋根の補修工事を行って、景観の維持に努めてきている。
【集落構成とその特性】
歴史的地理的な条件は、塩飽の集落に、他地方の漁村集落、港町集落等とはひときわ異なる構成をとらせることになる。
中でも笠島は、組織的で計画的な構成が取られている。現在に続く集落構成の成立時期については詳らかでないが、正保4年(1647)には現在と同規模を有し、既に分村の新在家が存在しているので、その形式は少なくとも塩飽が最盛期を迎えた近世初期には遡るであろう。あるいは、城山の居城跡と集落構成との関係が現在では希薄であるものの、集落は港に表を向けるよりは、山手つまり旧地頭館の一郭の跡と伝える専称寺、あるいは代官福田氏の居城跡 (土塁・空堀を残す) の方向を表にしている点は、集落構成の基本が、居城のあった中世期に遡るのを物語るのかもしれない。
集落は、北が海に面して港を擁し、他の三方は山で囲まれた東西約200M、南北約 200Mを占める
東は居城のあった城山で、他の二方の山麓には、法然上人ゆかりの専称寺の他、真言宗4か寺 (現在は廃寺) が集落を取り囲み、城山と相対する西の山麓には産土神を祀る尾上神社があり、集落の東西両端とほぼ中央に恵比寿神を祀り、港の東端には常夜燈を設け、港の中には、「たで場」があった。
道路は、東の城山と北の光厳寺山の境に向かって南北を通る東小路、海岸線に平行して弓なりに曲がる東西道路のマッチョ通りを主道路とし、東西道路は両端で枡形となり、櫛状に海岸に向かって枝道が設けられる。西端にも山に向かって尾上神社前を通る南北道路があり、南の山に沿う東西道路の田中小路で東小路と結ばれる。これらの道路は湾曲し、T字型、食い違い十字型に交わり、一部の道幅を変え、見通しできぬような組織的構成が取られている。江戸時代には、東小路、マッチョ通り、田中小路がともに「町通り」と称され、田中小路のほぼ中央南側に、年寄の一人であった吉田家があった。
また、港よりの主入口を示すような道路形態はみられず、港を裏とする宅地割がほどこされていて、集落入り口は、港とは逆の東小路mの南端となる等の特性を見せる。
この集落入り口横には、法然上人ゆかりの専称寺があり、また「人名」の墓碑(寛永4年・1627・銘の吉田彦左衛門の墓碑は、国指定史跡)があって、村への出入りの度に拝したという。なお、城山の東海岸を廻る道路は新設(県道)である。
【伝統的建造物群の特性】
現在は、山麓に並んでいた4カ寺は廃寺となり、港は埋め立て、護岸工事によって形状を変え(ただし、防波堤の一部は旧位置に残る)、過疎化による建物倒壊は家並みに歯抜けを生じ、また一部に新形式の家が見られるものの、いまなお往時の面影を色濃く残し、江戸時代の道路空間や建物の造形がよくわかる。
東小路、マッチョ通りの主要道路沿いには、江戸時代から大正期にかけて建てられた切妻造・片入母屋造・入母屋造本瓦葺平入形式のツシ二階造りで、上階を塗屋造とし、虫籠窓・格子窓を設け、下階は、腰格子付雨戸構えと、出格子・窓出格子を組み合わせた表構えとする町屋形式の建物が立ち並び、間に土塀構えの家が散在する。
特に、アイストップを形成する家では、一部になまこ壁を設けて引き立たせるなど、すぐれた景観美を造り出している。一方、主道路から離れると長屋門構えの家が建ち、主道路とは異なった道路空間が出現する。
塩飽の 他集落では、長屋門を持つ家屋で道路空間を形成するのが原則で、笠島に属する新在家ではこの構成を取っている。
笠島のような構成は。塩飽で笠島とともに最重要集落であった泊に見出せるが、泊では笠島ほど組織的ではない。
また港を有し、あるいは海に面する集落では、海に面して長屋門が立ち並ぶ構成が取られているのに、笠島では、港側に家屋の背面を見せていて、こうした点にも笠島の特性がある。
なお、東小路の西側建物前には石積みの排水路が海まで通じ、各家ごとに石を渡し、東小路とマッチョ通りの交差部では、石橋が掛け渡されていた。排水路は、一部にコンクリートによる補修が施され、また蓋が被せられているところもあるが、こうした排水路も道路空間の質をたかめている。特に主道路沿いの建物の地形石は、その周辺部より一段と丁寧な仕事が施されている。
【保存整備の基本方針】
道路からの建築物の景観のみならず、その背景となる山容、さらには、城山並びに尾上神社境内から集落が一目されることを考慮の上、伝統的景観を失しないよう修理・修景・復旧につとめ、空間他の整備活用をはかるとともに文化施設等を設けるなど、住民の生活向上をはかるような整備計画を進める。
笠島の町並みについての資料をいただきました。
特異な特徴がよくまとめられているので
皆さんにもご紹介したいので、ご覧ください。
『丸亀市塩飽本島町笠島伝統的建造物群保存地区保存計画のあらまし』より
【保存地区の概要】
沿革
笠島は、瀬戸内海の南北を扼す塩飽諸島も中心島である本島の東端に位置する。ここは瀬戸内海交通の要衝であり、古来塩飽水軍の最重要拠点としての地位を占めていた。
笠島には、城根・中之浦・新在家・山根・屋釜の5集落を有し、城根・中之浦は家並み続きであるものの、新在家・山根・屋釜は山越えで離れている。保存地区はその中心集落である。笠島といえば、一般にこの山根地区を指す。
建永2年(1207)法然上人が配流の途次に一時身を寄せた、地頭駿河権守保遠入道西忍の館は、この笠島の城山にあったし、16世紀後半に亡ぼされた代官福田又次郎は城山に居城していた。 塩飽の水軍は、天正5年(1577)信長より触掛りの特権を得、同18年(1590)秀吉は塩飽領1250石を船方650人に与え、家康もこれにならい、以来幕末まで、他に例を見ない いわゆる「人名」 による自治が行われていた。
江戸初期には、幕府御用船・水主役を勤め、全国的な海上輸送を一手に引き受け、多くの船持衆が生まれ、豊かな漁場による漁猟海上がこれを補って、塩飽の最盛期を迎えている。この頃、笠島は塩飽諸島中で最良の港 (停泊地、修理場) であった。
しかし、元禄頃(17世紀末)から全国的に廻船業が成長するにつれ、塩飽の海運業は衰退の一途をたどり、18世紀中頃には、他国へ出稼ぎに行かざるを得ない経済状態に陥り、笠島の港としての機能は与島に奪われてしまった。
出稼ぎは、これまでに培われてきた航海技術・造船技術の優秀さから、加古稼・大工稼が主で、 「人名」 はほとんど漁猟働はしなかった。こうして、中国地方を中心に名を高めた塩飽大工が発生し、各地で活躍し始めることになり、時代が降るにつれてその傾向は増大する。
【現況】
出稼ぎは戦後も続き、島に土地・建物を残しながら島外に居住して他の職につく者が増加する。こうした人口流出は近年ようやく停滞したものの、大半が老人世帯となり、また空家の多い過疎地と化している。港は昭和初期に始まる埋め立て、護岸工事により、旧状の一部を残しながら漁港として改修され (ただし漁家は港の西に続く中之浦に集中する ) 、
またこの港に通じる道路が城山の海岸沿いに設けられるなど、景観は変貌しつつある。しかし、集落内においては、新しい形式の建物は散在的にみられるにすぎず、江戸後期以後の伝統的形式の家屋からなる集落景観をよく止めている。
このような状況に対し、昭和55年に、笠島の住民を中心にした保存協力会が発足し、丸亀市の補助のもとで、主として傷みの激しい屋根の補修工事を行って、景観の維持に努めてきている。
【集落構成とその特性】
歴史的地理的な条件は、塩飽の集落に、他地方の漁村集落、港町集落等とはひときわ異なる構成をとらせることになる。
中でも笠島は、組織的で計画的な構成が取られている。現在に続く集落構成の成立時期については詳らかでないが、正保4年(1647)には現在と同規模を有し、既に分村の新在家が存在しているので、その形式は少なくとも塩飽が最盛期を迎えた近世初期には遡るであろう。あるいは、城山の居城跡と集落構成との関係が現在では希薄であるものの、集落は港に表を向けるよりは、山手つまり旧地頭館の一郭の跡と伝える専称寺、あるいは代官福田氏の居城跡 (土塁・空堀を残す) の方向を表にしている点は、集落構成の基本が、居城のあった中世期に遡るのを物語るのかもしれない。
集落は、北が海に面して港を擁し、他の三方は山で囲まれた東西約200M、南北約 200Mを占める
東は居城のあった城山で、他の二方の山麓には、法然上人ゆかりの専称寺の他、真言宗4か寺 (現在は廃寺) が集落を取り囲み、城山と相対する西の山麓には産土神を祀る尾上神社があり、集落の東西両端とほぼ中央に恵比寿神を祀り、港の東端には常夜燈を設け、港の中には、「たで場」があった。
道路は、東の城山と北の光厳寺山の境に向かって南北を通る東小路、海岸線に平行して弓なりに曲がる東西道路のマッチョ通りを主道路とし、東西道路は両端で枡形となり、櫛状に海岸に向かって枝道が設けられる。西端にも山に向かって尾上神社前を通る南北道路があり、南の山に沿う東西道路の田中小路で東小路と結ばれる。これらの道路は湾曲し、T字型、食い違い十字型に交わり、一部の道幅を変え、見通しできぬような組織的構成が取られている。江戸時代には、東小路、マッチョ通り、田中小路がともに「町通り」と称され、田中小路のほぼ中央南側に、年寄の一人であった吉田家があった。
また、港よりの主入口を示すような道路形態はみられず、港を裏とする宅地割がほどこされていて、集落入り口は、港とは逆の東小路mの南端となる等の特性を見せる。
この集落入り口横には、法然上人ゆかりの専称寺があり、また「人名」の墓碑(寛永4年・1627・銘の吉田彦左衛門の墓碑は、国指定史跡)があって、村への出入りの度に拝したという。なお、城山の東海岸を廻る道路は新設(県道)である。
【伝統的建造物群の特性】
現在は、山麓に並んでいた4カ寺は廃寺となり、港は埋め立て、護岸工事によって形状を変え(ただし、防波堤の一部は旧位置に残る)、過疎化による建物倒壊は家並みに歯抜けを生じ、また一部に新形式の家が見られるものの、いまなお往時の面影を色濃く残し、江戸時代の道路空間や建物の造形がよくわかる。
東小路、マッチョ通りの主要道路沿いには、江戸時代から大正期にかけて建てられた切妻造・片入母屋造・入母屋造本瓦葺平入形式のツシ二階造りで、上階を塗屋造とし、虫籠窓・格子窓を設け、下階は、腰格子付雨戸構えと、出格子・窓出格子を組み合わせた表構えとする町屋形式の建物が立ち並び、間に土塀構えの家が散在する。
特に、アイストップを形成する家では、一部になまこ壁を設けて引き立たせるなど、すぐれた景観美を造り出している。一方、主道路から離れると長屋門構えの家が建ち、主道路とは異なった道路空間が出現する。
塩飽の 他集落では、長屋門を持つ家屋で道路空間を形成するのが原則で、笠島に属する新在家ではこの構成を取っている。
笠島のような構成は。塩飽で笠島とともに最重要集落であった泊に見出せるが、泊では笠島ほど組織的ではない。
また港を有し、あるいは海に面する集落では、海に面して長屋門が立ち並ぶ構成が取られているのに、笠島では、港側に家屋の背面を見せていて、こうした点にも笠島の特性がある。
なお、東小路の西側建物前には石積みの排水路が海まで通じ、各家ごとに石を渡し、東小路とマッチョ通りの交差部では、石橋が掛け渡されていた。排水路は、一部にコンクリートによる補修が施され、また蓋が被せられているところもあるが、こうした排水路も道路空間の質をたかめている。特に主道路沿いの建物の地形石は、その周辺部より一段と丁寧な仕事が施されている。
【保存整備の基本方針】
道路からの建築物の景観のみならず、その背景となる山容、さらには、城山並びに尾上神社境内から集落が一目されることを考慮の上、伝統的景観を失しないよう修理・修景・復旧につとめ、空間他の整備活用をはかるとともに文化施設等を設けるなど、住民の生活向上をはかるような整備計画を進める。
2009年10月19日
障子の張替え
明日は7:40分発のフェリーにのって
本島へ行きます。
NTTが電話線の工事を行うので、立会いと
昨日洗った障子を張り替えるためです。
丸亀市の文化課の方も伝建地区なので
屋根の修理の検討のために来てくださいます。
なんとか31日搬入に間に合うように
大移動完了しなければなりません。
それにしても昨日も快晴で気持ちが良かったです。
寒くなってきましたが、島は少し陸地よりも温度が高いとか
野菜も早生で出来るそうです。
野菜作りは来年からです。
機能はJAの方が島のお年寄りに野菜の苗を届けていました。
アルテに来てくださった女性が、ハーブの苗を下さるとのこと。
先日チバちゃんから、もらったアーティークチョークの苗にせっせと水遣りをしています。
少し大きくなったような気がします。
なんだか楽しみ。。
それにしても、ご飯ご飯と島のお年寄りは待ちわびて下さっています。
いま何ができるか考え中。
火曜日から日曜日までの開店で手伝ってくださるかた求めています。
本島へ行きます。
NTTが電話線の工事を行うので、立会いと
昨日洗った障子を張り替えるためです。
丸亀市の文化課の方も伝建地区なので
屋根の修理の検討のために来てくださいます。
なんとか31日搬入に間に合うように
大移動完了しなければなりません。
それにしても昨日も快晴で気持ちが良かったです。
寒くなってきましたが、島は少し陸地よりも温度が高いとか
野菜も早生で出来るそうです。
野菜作りは来年からです。
機能はJAの方が島のお年寄りに野菜の苗を届けていました。
アルテに来てくださった女性が、ハーブの苗を下さるとのこと。
先日チバちゃんから、もらったアーティークチョークの苗にせっせと水遣りをしています。
少し大きくなったような気がします。
なんだか楽しみ。。
それにしても、ご飯ご飯と島のお年寄りは待ちわびて下さっています。
いま何ができるか考え中。
火曜日から日曜日までの開店で手伝ってくださるかた求めています。
2009年10月16日
屋号あたらしや

フェリー乗り場は丸亀駅から北へ徒歩10分

港の詳細地図

フェリーで35分
高速艇なら20分
徒歩で港から笠島地区へはいると
こんな感じ





門をはいると



水周りは全て増改築されていル。

庭


2009年10月13日
本島清掃
11日.12日 本島笠島地区のgallery ARTE+SAWが使用する清掃の第一回清掃を
行いました。10:40分のフェリーで本島到着。
徒歩で15分の道のりを掃除機やその夜の食材を持って汗をかきながら運びました。
快晴で涼しくとてもいい道中でした。
笠島地区に入ると、目的の建物の前で男性が庭木の剪定中。
自治会長である高島さんが既に庭木の剪定をしてくださっていました。
先発隊はチバちゃんと私の二人。
・・女の子二人では庭木は無理じゃろうから
こっちはやるから、はよ中の方を掃除せいや。。
とうれしい頼もしいお言葉をかけていただき、私たちは8畳.8畳.6畳の和室
12畳の台所・お風呂場洗面所の床、増改改築された
掃除機をかけ雑巾かけ。20年来の土ぼこり、数回噴いてもバケツの水は真っ黒ですぅ。
これも修行と黙々と。。
やがて天理教へ行っていたまきちゃんが到着。
まきちゃんは、私にとっては姑のようなものですね。
なにかと、やり方にこだわりが。あって、五月の蝿のよう。。
まあ、なんやかんやで、日も暮れて
民宿に高島さんをお招きしてキムチ鍋を囲んで様々お話を伺いました。
高島さんは、息子さんは二人いらっしゃるそうですが、
現在アルツハイマーの病を患っている長年連れ添った奥さんをご自身で介護されています。
女子を持ったことがなかったから、女の子はやさしくていいと、うれしそうに話していらっしゃいました。
「とにかく若い人にきてもらいたい。」
「無理をせんでいいから、でもいつも開いていて欲しい」と伺って、
いろいろ託していただいて、なんとか期待を裏切らないように応えて行きたいと思いました。
島の人々がいれかわり、訪ねてくださって・・。
楽しみに待っていてくださることを感じて、
前日まで、意思挿通の欠ける、ちょっとめんどくさい人とやりとりに疲れていたので
久々にほっこりした気もちになれました。
翌日もまた清掃。平野さんがおにぎりを大量につくってきてくれました。
アメリカから平野さんのところにステイしているアダム君も一生懸命
荷物を蔵に運んだり、屋根裏のお掃除してくださいました。
今日は一休みして
明日14日 再び島へ行きます。
明日は、電気に詳しい豊田さん、遠山さん
加地さんもきてくださるそうです。
栗生さんもフェリーに間に合いそうなら連絡するとのこと
約6名でまた本島へ行くことになりました。
ひとまず
ご報告
行いました。10:40分のフェリーで本島到着。
徒歩で15分の道のりを掃除機やその夜の食材を持って汗をかきながら運びました。
快晴で涼しくとてもいい道中でした。
笠島地区に入ると、目的の建物の前で男性が庭木の剪定中。
自治会長である高島さんが既に庭木の剪定をしてくださっていました。
先発隊はチバちゃんと私の二人。
・・女の子二人では庭木は無理じゃろうから
こっちはやるから、はよ中の方を掃除せいや。。
とうれしい頼もしいお言葉をかけていただき、私たちは8畳.8畳.6畳の和室
12畳の台所・お風呂場洗面所の床、増改改築された
掃除機をかけ雑巾かけ。20年来の土ぼこり、数回噴いてもバケツの水は真っ黒ですぅ。
これも修行と黙々と。。
やがて天理教へ行っていたまきちゃんが到着。
まきちゃんは、私にとっては姑のようなものですね。
なにかと、やり方にこだわりが。あって、五月の蝿のよう。。
まあ、なんやかんやで、日も暮れて
民宿に高島さんをお招きしてキムチ鍋を囲んで様々お話を伺いました。
高島さんは、息子さんは二人いらっしゃるそうですが、
現在アルツハイマーの病を患っている長年連れ添った奥さんをご自身で介護されています。
女子を持ったことがなかったから、女の子はやさしくていいと、うれしそうに話していらっしゃいました。
「とにかく若い人にきてもらいたい。」
「無理をせんでいいから、でもいつも開いていて欲しい」と伺って、
いろいろ託していただいて、なんとか期待を裏切らないように応えて行きたいと思いました。
島の人々がいれかわり、訪ねてくださって・・。
楽しみに待っていてくださることを感じて、
前日まで、意思挿通の欠ける、ちょっとめんどくさい人とやりとりに疲れていたので
久々にほっこりした気もちになれました。
翌日もまた清掃。平野さんがおにぎりを大量につくってきてくれました。
アメリカから平野さんのところにステイしているアダム君も一生懸命
荷物を蔵に運んだり、屋根裏のお掃除してくださいました。
今日は一休みして
明日14日 再び島へ行きます。
明日は、電気に詳しい豊田さん、遠山さん
加地さんもきてくださるそうです。
栗生さんもフェリーに間に合いそうなら連絡するとのこと
約6名でまた本島へ行くことになりました。
ひとまず
ご報告
2009年10月06日
地域の方でにぎわう会場

丸亀港天昌丸(とんぺい提供).

踏切南側ガレリア西竹.
さすが、地元提供の写真を素材にしているだけあって、
地元の来廊が続いています。
家の家がある。とか
みっちゃんこないだ来で!元気にしとる・・とか
浜町アルテでの最後の展覧会は、これまでとはガラッと観客が異なったものになっています。
さりげなく本島へ移転することも伝えると
また本島の話で盛り上がって。
本島へ行きますよ。とフェリー乗り場や運賃、民宿の話で
盛り上がる。
11月からは本島笠島地区 屋号あたらしや のSAW+gallery ARTEで
お待ち申し上げます。
2009年10月05日
嘘の公共性
気持ちよく装うこと
気持ちよく食べること
これは基本的な人間にとっての要素だと思う。
では、「弱い人を助けましょう」と語られるような形で関与する行為が普遍的なことであるか?
違うと感じるのです。
日本は、古くから政治的・社会的・文化的そして経済的にも二重構造を本質にする社会です。
日本の二重構造の原型をもっとも色濃く留めているもの
・・・日本の芸能から考えてみます。
正月になれば各地の民家の門づけ芸の太夫・才蔵
田楽・神楽などの能でいうワキとシテの一対
これは文化的優位者としての外来の神と
劣位者としての田舎の神の、圧服と和睦の交じり合った
「からみ」を原型としています。
さらには、年の始まりには、異界から福をもたらすとして、歓迎される門付け芸の人々は
一年を差別の中で暮らしていたのです。
日本の言語芸術は宴会の娯楽を起源としているものが多く見受けられます。
田舎の神社のお神楽の踊りをみると、興味深いことがわかります。
まず、宴会の主役は主だったお客さんです。その主だったお客さんは家の訪問客であるだけでなく
この地方への新米の客でもあります。
このお客への相方として地方の精霊が出てきて、主役のしぐさや話す言葉を
とぼけた仕方でまねをし、そのまね事のとぼけ加減を通して、田舎神は主役の言いつけに
抗い、また背いたりします。
そのうえで、結局は田舎神の降伏で終わります。
地方神は、しまいには黙ってしまい、地方神のしかめっ面で終わります。
この芸能の形が出来たのは、古代の列島に「中央政府がつくられた時代」ということです。
圧倒的な文化の波をうけるこのような場所では、この文化をよく吸収し、
それをより効率的に使いこなせる人間が力を持ち、
それに通じない人間は劣位に置かれてきました。
主神と地方神の対峙の特徴は、面と向かっての対立や反抗がないことです。
優劣二者が、対立しながらもそれが明示されない緊張した関係の原型が
中央から地方にやってきた官僚と地方(じかた)の人間関係という見立てです。
「べしみ」という面があります。口角に力をいれて両唇を強く結んだ異形面です。
オレは絶対にしゃべらないぞ!とおいう渋い感情といくぶんかの不満がこもった表情の面です。
田舎神の「べしみ」という姿勢が本質的にもつ
「一切新しい神の威力にとりあわない」という、いわば無力な抵抗。
古代の芸能のなかに見出せる、圧倒的な征服にたいする記憶は
敗戦時の前面屈服に似た経験ではないかと思うのです。
芸能が受け継がれることで、二重構造の社会を受け入れてきたとしたら、
ほとんどの地域でこのような芸能そのものが崩壊している中で、べしみは
どうなっているのでしょうか?
べしみがなぜ「沈黙」なのか
言葉を持たないのではありません。
劣位である「土着の文化」にも、地方の言葉があり、考え方があり、論理はあるのです。
地方の精霊は、すなわちスピリットは、これが口を開けば、直ちに神語に圧せられて、
たちまち服従を誓う詔を陳べなければならない。
これは、これまで自分のもっていた言葉を失う、奪われる経験だということになります。
古事記にアメノウズメノミコトが海の生き物を集めて、仕えまつるや(私に従うか)と
訪ねるのですが、全ての魚がはい「仕えまつらむ」と復唱する中で
ナマコだけが応えません。
ナマコに「この口はこたえない口だな」といってひもがたなを取り出して
あっという間にその口を割いたという記述があります。
神の言葉は奪う力でもあり、口を開かせる力でもあったのです。
この圧倒的な力に抵抗する最後のすべは、取り合わないということだったのです。
地域と関るアートプロジェクトのすべてとはいいませんが、
その多くはナマコの口をひもがたなで割いていることになっていないでしょうか。
アーレントの言葉に、公共空間とはテーブルのある世界とあります。
テーブルが現れ、人々を分離させつつ結合させる。
なぜテーブルを設えると、そこに人が集まってくるのか。
アーレントはその力を人々がそこに参加しようという「決意」だといいます。
この力の源泉は「公共性」というものでなく「私利私欲」なのだと思います。
それでいいのです。始まりはそいれぞれのもつ私の欲望だと思います。
動機づけでもいいでしょう。人間の本性を自分の「それ以上基礎づけられない」ヒトとしての起点へ復帰することではないかと
感じているのです。
本島という場所に開くテーブルはそういう意図を持っているものなのです。
気持ちよく食べること
これは基本的な人間にとっての要素だと思う。
では、「弱い人を助けましょう」と語られるような形で関与する行為が普遍的なことであるか?
違うと感じるのです。
日本は、古くから政治的・社会的・文化的そして経済的にも二重構造を本質にする社会です。
日本の二重構造の原型をもっとも色濃く留めているもの
・・・日本の芸能から考えてみます。
正月になれば各地の民家の門づけ芸の太夫・才蔵
田楽・神楽などの能でいうワキとシテの一対
これは文化的優位者としての外来の神と
劣位者としての田舎の神の、圧服と和睦の交じり合った
「からみ」を原型としています。
さらには、年の始まりには、異界から福をもたらすとして、歓迎される門付け芸の人々は
一年を差別の中で暮らしていたのです。
日本の言語芸術は宴会の娯楽を起源としているものが多く見受けられます。
田舎の神社のお神楽の踊りをみると、興味深いことがわかります。
まず、宴会の主役は主だったお客さんです。その主だったお客さんは家の訪問客であるだけでなく
この地方への新米の客でもあります。
このお客への相方として地方の精霊が出てきて、主役のしぐさや話す言葉を
とぼけた仕方でまねをし、そのまね事のとぼけ加減を通して、田舎神は主役の言いつけに
抗い、また背いたりします。
そのうえで、結局は田舎神の降伏で終わります。
地方神は、しまいには黙ってしまい、地方神のしかめっ面で終わります。
この芸能の形が出来たのは、古代の列島に「中央政府がつくられた時代」ということです。
圧倒的な文化の波をうけるこのような場所では、この文化をよく吸収し、
それをより効率的に使いこなせる人間が力を持ち、
それに通じない人間は劣位に置かれてきました。
主神と地方神の対峙の特徴は、面と向かっての対立や反抗がないことです。
優劣二者が、対立しながらもそれが明示されない緊張した関係の原型が
中央から地方にやってきた官僚と地方(じかた)の人間関係という見立てです。
「べしみ」という面があります。口角に力をいれて両唇を強く結んだ異形面です。
オレは絶対にしゃべらないぞ!とおいう渋い感情といくぶんかの不満がこもった表情の面です。
田舎神の「べしみ」という姿勢が本質的にもつ
「一切新しい神の威力にとりあわない」という、いわば無力な抵抗。
古代の芸能のなかに見出せる、圧倒的な征服にたいする記憶は
敗戦時の前面屈服に似た経験ではないかと思うのです。
芸能が受け継がれることで、二重構造の社会を受け入れてきたとしたら、
ほとんどの地域でこのような芸能そのものが崩壊している中で、べしみは
どうなっているのでしょうか?
べしみがなぜ「沈黙」なのか
言葉を持たないのではありません。
劣位である「土着の文化」にも、地方の言葉があり、考え方があり、論理はあるのです。
地方の精霊は、すなわちスピリットは、これが口を開けば、直ちに神語に圧せられて、
たちまち服従を誓う詔を陳べなければならない。
これは、これまで自分のもっていた言葉を失う、奪われる経験だということになります。
古事記にアメノウズメノミコトが海の生き物を集めて、仕えまつるや(私に従うか)と
訪ねるのですが、全ての魚がはい「仕えまつらむ」と復唱する中で
ナマコだけが応えません。
ナマコに「この口はこたえない口だな」といってひもがたなを取り出して
あっという間にその口を割いたという記述があります。
神の言葉は奪う力でもあり、口を開かせる力でもあったのです。
この圧倒的な力に抵抗する最後のすべは、取り合わないということだったのです。
地域と関るアートプロジェクトのすべてとはいいませんが、
その多くはナマコの口をひもがたなで割いていることになっていないでしょうか。
アーレントの言葉に、公共空間とはテーブルのある世界とあります。
テーブルが現れ、人々を分離させつつ結合させる。
なぜテーブルを設えると、そこに人が集まってくるのか。
アーレントはその力を人々がそこに参加しようという「決意」だといいます。
この力の源泉は「公共性」というものでなく「私利私欲」なのだと思います。
それでいいのです。始まりはそいれぞれのもつ私の欲望だと思います。
動機づけでもいいでしょう。人間の本性を自分の「それ以上基礎づけられない」ヒトとしての起点へ復帰することではないかと
感じているのです。
本島という場所に開くテーブルはそういう意図を持っているものなのです。
2009年10月03日
復元フォトモ 丸亀あらたし文化商店街 展 はじまりました




猪熊現代美術館地域連携プログラム 『 復元フォトモ 丸亀あらたし文化商店街 』
会場 ギャラリーアルテ・西金・石川タバコ店
10月3日-10月31日
会場 本島町笠島地区 国の重要伝統的建造物群 あたらしや
11月1日-11月24日
11月23日 本島笠島ふれあい祭
会期によって会場が異なりますので、ご注意ください。
2009年09月30日
本島へお引越し
11月から実質ギャラリーアルテの機能を本島へ移すことに決まりました。
10月3日からはじまります復元フォトモ「丸亀あらたし商店街」の展覧会 10月は丸亀浜町のギャラリーアルテにて開催。
徐々にアルテの機能を移して、11月は本島にて開催します。
その他展覧会も本島笠島地区にて開催する予定です。そこでまず ご参加くださーい
申し込み ギャラリーアルテ・梅谷まで
0877-21-5604 またへメールでご連絡ください。
旗日である、10月11日(日)12日(月)一泊2日の予定で
本島笠島地区の民宿に滞在し、屋号「あたらしや」の清掃、庭木の剪定、草抜きなどを行います。
夜は民宿にて、今後の相談。
宿泊費 10名参加で2000円+材料費+飲み物代 計3500円の予定です。
旅費 フェリー代往復1010円 バス代往復400円 計1410円
バスを使わず徒歩となるかも
港から笠島地区まで徒歩15分です。
集合はアルテに9時半
港まで徒歩で10分、途中で食材などの買い物をして港へ行く
フェリー時刻表 本島汽船 0877‐22‐2782 片道530円、往復1,010円
丸亀発 ― 本島着 ☆は高速艇(所要時間20分) フェリー(所要時間35分)
6:10 ― 6:45
7:40 ― 8:15
10:40 ― 11:15
12:10 ― 12:30☆
15:30 ― 16:05
16:30 ― 16:50☆
18:00 ― 18:35
20:00 ― 20:20☆
本島発 ― 丸亀着
6:50 ― 7:20
8:30 ― 8:50☆
9:40 ― 10:10
12:35 ― 13:05
14:15 ― 14:35☆
17:10 ― 17:40
18:50 ― 19:20
19:30 ― 19:50☆
コミュニティバス
本島港⇒笠島⇒港
8:00 ⇒8:07 ⇒8:23
9:10 ⇒9:17 ⇒9:33
11:50⇒11:57⇒12:13
13:45⇒13:52⇒14:08
16:37⇒16:44⇒17:00
丸亀市役所生活課
TEL:0877‐24‐8809
10月3日からはじまります復元フォトモ「丸亀あらたし商店街」の展覧会 10月は丸亀浜町のギャラリーアルテにて開催。
徐々にアルテの機能を移して、11月は本島にて開催します。
その他展覧会も本島笠島地区にて開催する予定です。そこでまず ご参加くださーい
申し込み ギャラリーアルテ・梅谷まで
0877-21-5604 またへメールでご連絡ください。
旗日である、10月11日(日)12日(月)一泊2日の予定で
本島笠島地区の民宿に滞在し、屋号「あたらしや」の清掃、庭木の剪定、草抜きなどを行います。
夜は民宿にて、今後の相談。
宿泊費 10名参加で2000円+材料費+飲み物代 計3500円の予定です。
旅費 フェリー代往復1010円 バス代往復400円 計1410円
バスを使わず徒歩となるかも
港から笠島地区まで徒歩15分です。
集合はアルテに9時半
港まで徒歩で10分、途中で食材などの買い物をして港へ行く
フェリー時刻表 本島汽船 0877‐22‐2782 片道530円、往復1,010円
丸亀発 ― 本島着 ☆は高速艇(所要時間20分) フェリー(所要時間35分)
6:10 ― 6:45
7:40 ― 8:15
10:40 ― 11:15
12:10 ― 12:30☆
15:30 ― 16:05
16:30 ― 16:50☆
18:00 ― 18:35
20:00 ― 20:20☆
本島発 ― 丸亀着
6:50 ― 7:20
8:30 ― 8:50☆
9:40 ― 10:10
12:35 ― 13:05
14:15 ― 14:35☆
17:10 ― 17:40
18:50 ― 19:20
19:30 ― 19:50☆
コミュニティバス
本島港⇒笠島⇒港
8:00 ⇒8:07 ⇒8:23
9:10 ⇒9:17 ⇒9:33
11:50⇒11:57⇒12:13
13:45⇒13:52⇒14:08
16:37⇒16:44⇒17:00
丸亀市役所生活課
TEL:0877‐24‐8809
タグ :本島
2009年09月22日
ハンナ・ア-レントを読む
ハンナ・アレントの思想。
20世紀の特質という5つの世界危機。
(1)戦争と革命による危機。それにともなう独裁とファシズムの危機。
(2)大衆社会という危機。すなわち他人に倣った言動をしてしまうという危機。
(3)消費することだけが文化になっていく危機。何もかも捨てようとする「保存の意志を失った人間生活」の危機。
(4)世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。
世界そのものからも疎外されているという世界疎外の危機。
(5)人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっているという危機。
アレントは「労働」「仕事」「活動」、およびそれらの源泉となる「思考」を原点に戻しなさい、それが「人間の条件」なのではないかと問う。
この場合の「労働」とは、原材料以外に買い物をせずに人間が何かを生み出すための労働をいう。
できれば野菜を作りたい、そうでなくとも野菜を入手したらその先は自分で料理をしたい、
いま私たちの多くは、労働の対価として得たお金によって、食も着飾るための衣服も教養も
退屈も時には愛を得ている。
野菜は誰かが作ったものをスーパーで買い求める。
または誰かが作ったレトルト食品で腹と生を満たす。
とりあえず、お金があれば、欲しいものと交換することができる。
それが前提の日々の営み。
私はその光景が不思議に映るようになっているのです。
本島の暮らしに近づいたからでしょう。
暮らすことを考えると、食べ物を生み出さないといけないという事実に直面したからでしょう。
アーレントはいう。
「仕事」は、自分の考えを自分で生み出すことをいう。と・・・
言葉でも絵画でもよいが、自分が時間をかけたことが世界に何らかのはたらきかけになることをいう。
ホモ・ファーベル(工作人間)として仕事に徹すること。
「活動」は自分がそのことにかかわっていることが何らかのかたちで外部化されていくことをいう。
例としての笛吹き・・・笛を吹いているあいだだけが活動であるような、
そのような活動をもっと徹底して自身の体で認識すべきだと言っている。
食べるための野菜をつくること。
精神が生きいきとするための創造。
人の根底にあった、感覚を目覚めよ。
これは先祖がえりでなはく、集団で眼をそらしていた事実を見つめることになるのだと思う。
お金があるだけでは生きては行けないのですよ。
野菜も、衣装も、その他のものも誰かが作ってくれるから、お金と交換してくれるから
お金を稼げばよかっただけなのです。
野菜を魚を肉を食べるとき、育ててくれた人のことを思ったことがあっただろうか?
なかった。
これまでまったくなかった。
人の愛や努力に無関心だった私。
・・・・。
新しいということ 警戒せよ。
20世紀の特質という5つの世界危機。
(1)戦争と革命による危機。それにともなう独裁とファシズムの危機。
(2)大衆社会という危機。すなわち他人に倣った言動をしてしまうという危機。
(3)消費することだけが文化になっていく危機。何もかも捨てようとする「保存の意志を失った人間生活」の危機。
(4)世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。
世界そのものからも疎外されているという世界疎外の危機。
(5)人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっているという危機。
アレントは「労働」「仕事」「活動」、およびそれらの源泉となる「思考」を原点に戻しなさい、それが「人間の条件」なのではないかと問う。
この場合の「労働」とは、原材料以外に買い物をせずに人間が何かを生み出すための労働をいう。
できれば野菜を作りたい、そうでなくとも野菜を入手したらその先は自分で料理をしたい、
いま私たちの多くは、労働の対価として得たお金によって、食も着飾るための衣服も教養も
退屈も時には愛を得ている。
野菜は誰かが作ったものをスーパーで買い求める。
または誰かが作ったレトルト食品で腹と生を満たす。
とりあえず、お金があれば、欲しいものと交換することができる。
それが前提の日々の営み。
私はその光景が不思議に映るようになっているのです。
本島の暮らしに近づいたからでしょう。
暮らすことを考えると、食べ物を生み出さないといけないという事実に直面したからでしょう。
アーレントはいう。
「仕事」は、自分の考えを自分で生み出すことをいう。と・・・
言葉でも絵画でもよいが、自分が時間をかけたことが世界に何らかのはたらきかけになることをいう。
ホモ・ファーベル(工作人間)として仕事に徹すること。
「活動」は自分がそのことにかかわっていることが何らかのかたちで外部化されていくことをいう。
例としての笛吹き・・・笛を吹いているあいだだけが活動であるような、
そのような活動をもっと徹底して自身の体で認識すべきだと言っている。
食べるための野菜をつくること。
精神が生きいきとするための創造。
人の根底にあった、感覚を目覚めよ。
これは先祖がえりでなはく、集団で眼をそらしていた事実を見つめることになるのだと思う。
お金があるだけでは生きては行けないのですよ。
野菜も、衣装も、その他のものも誰かが作ってくれるから、お金と交換してくれるから
お金を稼げばよかっただけなのです。
野菜を魚を肉を食べるとき、育ててくれた人のことを思ったことがあっただろうか?
なかった。
これまでまったくなかった。
人の愛や努力に無関心だった私。
・・・・。
新しいということ 警戒せよ。
2009年09月22日
本島が瀬戸内アート特集に
J-Bスタイルという【旅の情報誌】10-11月号の見本誌が届きました。
特集記事 『瀬戸内 旅とアートが融けあうところ』として、
直島・本島・高松・琴平が紹介されています。
直島は、もちろんベネッセアートサイト・・・
高松はジョージ・ナカシマ記念館、琴平は金刀比羅宮のアートプロジェクト関連です。
本島は、私たちの活動に眼を留めてくださったのです。
島に私たちの本格的な活動拠点を得ることが出来たきっかけは、この紙面の取材からだったのです。
JTBパブリシングの廣井さま始めスタッフの皆様が、機縁となったのです。
なんという めぐりあわせなのでしょう!!
奇縁とも思えるめぐり合わせ・・・秋の風を感じながら、こもごも想いは巡ります。
島の方たちは、私たちが新たな形で関ることをとても喜びまた期待してくださっています。
期待を意識しすぎては身動きできなくなるので、自分との闘いでもあります。
**********
J‐Bスタイルは、JCBカード会員向けの旅の情報誌ですので
JCBカード会員の方には配布されるのではないでしょうか。
Webサイトもありました。
http://www.jcbtravel.co.jp/jb/backnumber/0908index.html
http://www.jcbtravel.co.jp/jb/index.html
機会がありましたら、ご覧くださいね。
特集記事 『瀬戸内 旅とアートが融けあうところ』として、
直島・本島・高松・琴平が紹介されています。
直島は、もちろんベネッセアートサイト・・・
高松はジョージ・ナカシマ記念館、琴平は金刀比羅宮のアートプロジェクト関連です。
本島は、私たちの活動に眼を留めてくださったのです。
島に私たちの本格的な活動拠点を得ることが出来たきっかけは、この紙面の取材からだったのです。
JTBパブリシングの廣井さま始めスタッフの皆様が、機縁となったのです。
なんという めぐりあわせなのでしょう!!
奇縁とも思えるめぐり合わせ・・・秋の風を感じながら、こもごも想いは巡ります。
島の方たちは、私たちが新たな形で関ることをとても喜びまた期待してくださっています。
期待を意識しすぎては身動きできなくなるので、自分との闘いでもあります。
**********
J‐Bスタイルは、JCBカード会員向けの旅の情報誌ですので
JCBカード会員の方には配布されるのではないでしょうか。
Webサイトもありました。
http://www.jcbtravel.co.jp/jb/backnumber/0908index.html
http://www.jcbtravel.co.jp/jb/index.html
機会がありましたら、ご覧くださいね。
2009年09月17日
壁の補修中
9月は展示をお休みにしていますが、なにかと忙しくて
ちょっと疲れ気味。
◆昨日は、宇多津にある香川短期大学の佐藤先生を本島へご案内しました。
高島さんと妹尾さんが待っていてくれて、使う予定の家を再度調査。
高島さんもう屋号を決めていて、私たちがなにかする場所は
「あたらしや」というそうです。
もともとこの家はあたらしやという屋号の家だそうです。
おのおの屋号があって、笠島の人々は屋号で言うほうが
わかりやすいのだとか。。なるほど。
伊吹島も屋号がありました。他の島もそうなのかしら。
◆斉藤ちさと作品「月島のビル群」が届きました。
これは彦坂尚嘉さんの気体分子ギャラリーで2回目の記念すべき展覧会に
出品されたものです。買いました。
◆21日本島へまた行きます。代理人の方との打ち合わせのためです。
◆明日から連休中は、アルテの壁の補修をして、復元フォトモの準備を行います。
アトリエもお掃除しよう。
ちょっと疲れ気味。
◆昨日は、宇多津にある香川短期大学の佐藤先生を本島へご案内しました。
高島さんと妹尾さんが待っていてくれて、使う予定の家を再度調査。
高島さんもう屋号を決めていて、私たちがなにかする場所は
「あたらしや」というそうです。
もともとこの家はあたらしやという屋号の家だそうです。
おのおの屋号があって、笠島の人々は屋号で言うほうが
わかりやすいのだとか。。なるほど。
伊吹島も屋号がありました。他の島もそうなのかしら。
◆斉藤ちさと作品「月島のビル群」が届きました。
これは彦坂尚嘉さんの気体分子ギャラリーで2回目の記念すべき展覧会に
出品されたものです。買いました。
◆21日本島へまた行きます。代理人の方との打ち合わせのためです。
◆明日から連休中は、アルテの壁の補修をして、復元フォトモの準備を行います。
アトリエもお掃除しよう。
2009年09月16日
丸亀あらたし文化商店街

糸崎公朗さんの復元フォトモが届きました。
会期 2009年10月3日-11月24日
会場 丸亀浜町にあるギャラリーアルテ他で開催
展覧会名
『復元フォトモ 丸亀あらたし文化商店街』にてご覧いただきます。
写真は昭和34年ごろの 西平山郵便局のフォトモ
写真提供は 長岡まき子さん

これは元画像

昭和40年代の 丸亀本町商店街
写真提供は 玉屋写真店さん
本展『丸亀あらたし商店街』とは
写真を立体的に組み立てて3次元化するフォトモ(フォト+モデル)で知られる糸崎公郎が、丸亀の昔の写真をもとに、復元フォトモの手法でかつての町の風景や人を再現します。
展覧会タイトルの「あらたし」とは、日本語の「新しい」の本来の語形です。「あらたむ(改む)」「改める」と同義で用いられ、「惜しい」「もったいない」という意味も含んでいます。明治・大正・昭和期の丸亀のスナップ写真から町並みを立体的に復元することで、かつての暮らしを思い起こしてください。
糸崎公朗(いとざき きみお)は1965年長野市に生まれ。非人称芸術のコンセプトを提唱し、ツギラマ、フォトモ、2コマ写真、デジワイドなど、写真を素材とした独自の着想による作品を制作しています。東京を中心に、個展、グループ展を開催。特に2000年以降は毎年多くの展覧会を開催しているほか、書籍の発表、科学誌、写真誌での連載、講演やワークショップなど、多岐に渡る積極的な活動を展開する注目のアーティストです。2008年12月「こんぴらアート2008」に参加し、以来香川県内の各所で撮影をしています。
2009年09月10日
ヤンキー文化論
地域に根ざした伝統的な「祭(まつり)」とは、宗教的儀式だった。
もともと伝統的に決まった日に、地域の人々が、神社境内など決まった場所で、伝統的な一定の約束事に従って演じる。
国家や個々人の家の繁栄、稲など農作物の豊作、先祖の霊の平安などの種々の祈りを込めて上演されるものだ。
地域の人々の願いを込めて演じられる民俗芸能は、一方で魅力的な芸能でもあり、
近年では特に全国各地から大勢の観客を集める祭も多い。
さらに、近年、芸能としての魅力に着目して、新しい形式に整えられた民俗芸能も各地にある。
例えば見物席を特設し、その前に次々と踊り集団が登場して踊りを披露するようになった阿波踊り
や富山のおわら風の盆などが有名である。
一方によさこい系といわれる踊りのイベントがある。
よさこい踊りは、1954年(昭和29年)、徳島の阿波踊りに対抗する形で、高知商工会議所有志により開催されたのが
はじまりといわれる。楽曲の自由なアレンジを許し、その後色々なバリエーションを生んでいる。
各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、全国へ広がった。
市内の繁華街に数千人以上の踊り子が結集して開催されるため、通行止めで交通渋滞が生じ、
また商店によっては客が入らないことから、期間中は売り上げが落ちる等の問題も発生しているという声もある。
観客や踊り子の演舞以外のマナーの悪さも散見される。
交通渋滞・商店街の売り上げ低下・踊り子のマナーの悪さや金銭等のトラブルから、祭
りの公共性を疑問視して、個人が楽しむイベントと捉える厳しい意見もあると聞く。
丸亀婆沙羅祭りも、よさこい系の祭である。
五十嵐太郎さんが、編集した『ヤンキー文化論序説』という面白い本がある。
論者は、宮台真司、永江朗、酒井順子、都築響一、 近田春夫、暮沢剛巳
五十嵐太郎、飯田豊/南後由和/速水健朗/後藤和智/斎藤環
【特別掲載】ナンシー関 など。
詳しくは本を読んでいただきたいが、ヤンキーは地域密着型という指摘。
ヤンキー的なるものとよさこい系の祭の担い手が背景を同じにしているということ
「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」
五十嵐さんによると「民衆のゴシック」であるヤンキーだそうであるが、
彼(彼女ら)は実は日本のサイレントマジョリティなのである。
日本文化の底流に流れる不良的な要素を大衆は愛する。
日本の人口の5割がヤンキー的なものに惹かれるとすると、
確かに市民の一部が顔をしかめようが、家族を失って初盆を迎えて
しんみりしていようが、おかまいなく騒乱の日常の中で過ごすことになる。
本来祭りとは、生活の場ではない場所で、非日常な数日を過ごすことだった。
様々な事情をもつ人々が選択できる場で行われた祭である。
高知のよさこいや丸亀婆沙羅祭のように、おじいさんをなくして静かに過ごしたくても
街中に住んでいる限りは、騒音に身をさらして過ごさなければならない。
普段は静かな町が、この日は騒々しくけばけばしい衣装の集団がとおりにあふれ、
通行ひとつもままならない。
地域の人々への配慮の欠ける祭が地域の祭であるはずがない。
もともと伝統的に決まった日に、地域の人々が、神社境内など決まった場所で、伝統的な一定の約束事に従って演じる。
国家や個々人の家の繁栄、稲など農作物の豊作、先祖の霊の平安などの種々の祈りを込めて上演されるものだ。
地域の人々の願いを込めて演じられる民俗芸能は、一方で魅力的な芸能でもあり、
近年では特に全国各地から大勢の観客を集める祭も多い。
さらに、近年、芸能としての魅力に着目して、新しい形式に整えられた民俗芸能も各地にある。
例えば見物席を特設し、その前に次々と踊り集団が登場して踊りを披露するようになった阿波踊り
や富山のおわら風の盆などが有名である。
一方によさこい系といわれる踊りのイベントがある。
よさこい踊りは、1954年(昭和29年)、徳島の阿波踊りに対抗する形で、高知商工会議所有志により開催されたのが
はじまりといわれる。楽曲の自由なアレンジを許し、その後色々なバリエーションを生んでいる。
各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、全国へ広がった。
市内の繁華街に数千人以上の踊り子が結集して開催されるため、通行止めで交通渋滞が生じ、
また商店によっては客が入らないことから、期間中は売り上げが落ちる等の問題も発生しているという声もある。
観客や踊り子の演舞以外のマナーの悪さも散見される。
交通渋滞・商店街の売り上げ低下・踊り子のマナーの悪さや金銭等のトラブルから、祭
りの公共性を疑問視して、個人が楽しむイベントと捉える厳しい意見もあると聞く。
丸亀婆沙羅祭りも、よさこい系の祭である。
五十嵐太郎さんが、編集した『ヤンキー文化論序説』という面白い本がある。
論者は、宮台真司、永江朗、酒井順子、都築響一、 近田春夫、暮沢剛巳
五十嵐太郎、飯田豊/南後由和/速水健朗/後藤和智/斎藤環
【特別掲載】ナンシー関 など。
詳しくは本を読んでいただきたいが、ヤンキーは地域密着型という指摘。
ヤンキー的なるものとよさこい系の祭の担い手が背景を同じにしているということ
「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」
五十嵐さんによると「民衆のゴシック」であるヤンキーだそうであるが、
彼(彼女ら)は実は日本のサイレントマジョリティなのである。
日本文化の底流に流れる不良的な要素を大衆は愛する。
日本の人口の5割がヤンキー的なものに惹かれるとすると、
確かに市民の一部が顔をしかめようが、家族を失って初盆を迎えて
しんみりしていようが、おかまいなく騒乱の日常の中で過ごすことになる。
本来祭りとは、生活の場ではない場所で、非日常な数日を過ごすことだった。
様々な事情をもつ人々が選択できる場で行われた祭である。
高知のよさこいや丸亀婆沙羅祭のように、おじいさんをなくして静かに過ごしたくても
街中に住んでいる限りは、騒音に身をさらして過ごさなければならない。
普段は静かな町が、この日は騒々しくけばけばしい衣装の集団がとおりにあふれ、
通行ひとつもままならない。
地域の人々への配慮の欠ける祭が地域の祭であるはずがない。
2009年09月06日
越後と瀬戸内
戻って記憶の残滓に強く蘇るものは
深い山野のみどりと棚田の稲穂のみどりです。
広大な土地の各所に点在するアート作品。
その一部しか見ることができないという仕掛け。
大味の作品が多いと思いますが、膨大な量で圧倒される仕掛け。
ハヤマ荘の夕食と通じる、量でなんとなく満腹感を感じさせられる
仕掛け。うまいです。
時間の経過の中で作品群は淘汰されて行くのでしょうが、
それでもプロデューサーの上手さ凄さを感じました。
・点在させる規模
・全てをすぐには把握させない、みせてしまわない手法。
・その一方で、作品を探しながら、里山や地域の人々の暮らしの
風景を周回させ、来訪者をいきなり里山の暮らしを体感させている。
多く考えさせられています。
行ってみないと、わからない、感じないことでした。
再び訪れたいと思っています。
事故もなく、旅を終えることができました。
彦坂尚嘉さま、同行の皆様 お疲れ様でした。
ありがとうございました。
一方で、30日に日本の政治が大きく動きました。
閉塞感が蔓延する中で、時代が動く兆しを感じさせる
明るさがある出来事でした。
今からが、混乱の始まりなのかもしれませんが、
新しい混乱です。
昨日という過去の延長線上にある未来ではないということですね。
時代の空気の変ったこと 感覚が先鋭なアーティストたちは体感しているはず。
それがどのような表現となってくるのか?
風邪で少し休養できています。
今から展覧会も新にしなければならないですね。
深い山野のみどりと棚田の稲穂のみどりです。
広大な土地の各所に点在するアート作品。
その一部しか見ることができないという仕掛け。
大味の作品が多いと思いますが、膨大な量で圧倒される仕掛け。
ハヤマ荘の夕食と通じる、量でなんとなく満腹感を感じさせられる
仕掛け。うまいです。
時間の経過の中で作品群は淘汰されて行くのでしょうが、
それでもプロデューサーの上手さ凄さを感じました。
・点在させる規模
・全てをすぐには把握させない、みせてしまわない手法。
・その一方で、作品を探しながら、里山や地域の人々の暮らしの
風景を周回させ、来訪者をいきなり里山の暮らしを体感させている。
多く考えさせられています。
行ってみないと、わからない、感じないことでした。
再び訪れたいと思っています。
事故もなく、旅を終えることができました。
彦坂尚嘉さま、同行の皆様 お疲れ様でした。
ありがとうございました。
一方で、30日に日本の政治が大きく動きました。
閉塞感が蔓延する中で、時代が動く兆しを感じさせる
明るさがある出来事でした。
今からが、混乱の始まりなのかもしれませんが、
新しい混乱です。
昨日という過去の延長線上にある未来ではないということですね。
時代の空気の変ったこと 感覚が先鋭なアーティストたちは体感しているはず。
それがどのような表現となってくるのか?
風邪で少し休養できています。
今から展覧会も新にしなければならないですね。
2009年09月05日
彦坂さんとの大地の芸術祭越後妻有ツァー
いろいろありまして、報告が遅くなっていました。
8月25日から新潟で開催されている『大地の祭典越後妻有』という国際展を見学に行っていました。
越後妻有(新潟県十日町市、津南町)と言われる、760平方キロメートルにおよぶ山と川と田園からなる広大な里山に点在している国内外の芸術家が作品を制作し展示している芸術祭です。
第一回から継続して参加されている彦坂尚嘉さんが計画されたツァーの呼びかけをいただいて、参加しました。
彦坂さんに案内されるという贅沢なアート鑑賞旅行でした。
四国からの参加は私とまきちゃん。丸亀からだと新潟へ入るのにほぼ一日かがり。
◆25日朝9時に丸亀を出発して新幹線で東京へ
東京から上越新幹線に乗って、越後湯沢へ到着。
越後湯沢の駅で、今夜の宿の送迎バスを1時間ほど、待つことに・・・。
はじめての新潟。駅前に足湯とか、温泉の掲示板が目に付く。
ここは南魚沼郡。米どころ。
やがてバスが出発、乗っているのは私たちを含めて3人。
連なる連峰をバスは走ること1時間半。
5時半頃、ようやく今夜の宿ニューグリンピア津南に到着、高原にあるリゾートホテルだった。

広いこと、敷地にゴルフ場やスキー場、釣堀、プール、卓球施設やボウリング施設もある。
やーーはじめてみる北陸の山並み、涼しい。。
明日から山歩きで大変だと思うから、今夜だけは温泉でゆっくりしようね!とほーっとして初日は過ごしました。
◆翌26日・東京から彦坂さんたちが10時ごろ田麦へ入るので、
田代生活改善センターまでタクシーで行ってひたすら到着するのを待つ。
山の中、いたるところに青々とした棚田。わき道から水がとうとうと流れている。
気持ちいいーー。
来ない。30分経過、来ない。。
携帯 圏外・・・
少し歩き回る。携帯3本たった。
彦坂さんから連絡、1時間ほどのんびりまって、ようやく合流できました。
まずは山道を10分ほど歩いて七ツ釜のアングラハムの作品から

車で移動しながら、カサグランデ&リンターラ建築事務所 ポチョンキン
リチャード・ウイルソン

山本想太郎(119東田沢)と行武治美(31 当間高原リゾート) を見て、
昼食の そば屋/由屋で 「へぎそば」を食す。こしがある、そばだった。
28/ストームルームを鑑賞。10分くらいのインスタレーション作品。
印象的だった。
2時過ぎ 田麦地区の彦坂尚嘉作品


ここで、彦坂さんが「斉藤さんと撮影するから、後は梅谷さんが運転して、他の人と
廻ってください。」とのこと。「えーーっ。」険しい山道、しかもガードレールがない!
対向車がきたときバックできないよーーー。しぶしぶこわごわ廻りました。


21/ビリビジョカ
23/ゴームリー
24/石塚紗矢香 これもよかった。
1時間ほど巡って、再び 田麦彦坂尚嘉作品へ戻る。
ここで運転手交替。
19/加治瑞穂
18/大久保英治
47/杉浦久子
お酒を買いに行く。
ま・ともかく・というわけで今夜はハヤマ壮にて一泊。夜はライトアップされた作品鑑賞をと
再び彦坂作品へ。実はわたくし夜道は運転の自信がなく、その後はビールを飲んでいました。
彦坂さんが運転して、ライトアップした彦坂作品まで案内していただきました。
夜間鑑賞で山に登ったとき、
彦「あれ、しまったガソリンがない・・」
私「・・・。」
結局ガソリンを届けてもらうことになって、ミルキーウェイを探して星を眺めていました。
・・・・ドタバタの一日はこうしてふけて
他の人たちと深夜までのおしゃべりと宴会を過ごしました。
8月25日から新潟で開催されている『大地の祭典越後妻有』という国際展を見学に行っていました。
越後妻有(新潟県十日町市、津南町)と言われる、760平方キロメートルにおよぶ山と川と田園からなる広大な里山に点在している国内外の芸術家が作品を制作し展示している芸術祭です。
第一回から継続して参加されている彦坂尚嘉さんが計画されたツァーの呼びかけをいただいて、参加しました。
彦坂さんに案内されるという贅沢なアート鑑賞旅行でした。
四国からの参加は私とまきちゃん。丸亀からだと新潟へ入るのにほぼ一日かがり。
◆25日朝9時に丸亀を出発して新幹線で東京へ
東京から上越新幹線に乗って、越後湯沢へ到着。
越後湯沢の駅で、今夜の宿の送迎バスを1時間ほど、待つことに・・・。
はじめての新潟。駅前に足湯とか、温泉の掲示板が目に付く。
ここは南魚沼郡。米どころ。
やがてバスが出発、乗っているのは私たちを含めて3人。
連なる連峰をバスは走ること1時間半。
5時半頃、ようやく今夜の宿ニューグリンピア津南に到着、高原にあるリゾートホテルだった。

広いこと、敷地にゴルフ場やスキー場、釣堀、プール、卓球施設やボウリング施設もある。
やーーはじめてみる北陸の山並み、涼しい。。
明日から山歩きで大変だと思うから、今夜だけは温泉でゆっくりしようね!とほーっとして初日は過ごしました。
◆翌26日・東京から彦坂さんたちが10時ごろ田麦へ入るので、
田代生活改善センターまでタクシーで行ってひたすら到着するのを待つ。
山の中、いたるところに青々とした棚田。わき道から水がとうとうと流れている。
気持ちいいーー。
来ない。30分経過、来ない。。
携帯 圏外・・・
少し歩き回る。携帯3本たった。
彦坂さんから連絡、1時間ほどのんびりまって、ようやく合流できました。
まずは山道を10分ほど歩いて七ツ釜のアングラハムの作品から

車で移動しながら、カサグランデ&リンターラ建築事務所 ポチョンキン
リチャード・ウイルソン

山本想太郎(119東田沢)と行武治美(31 当間高原リゾート) を見て、
昼食の そば屋/由屋で 「へぎそば」を食す。こしがある、そばだった。
28/ストームルームを鑑賞。10分くらいのインスタレーション作品。
印象的だった。
2時過ぎ 田麦地区の彦坂尚嘉作品


ここで、彦坂さんが「斉藤さんと撮影するから、後は梅谷さんが運転して、他の人と
廻ってください。」とのこと。「えーーっ。」険しい山道、しかもガードレールがない!
対向車がきたときバックできないよーーー。しぶしぶこわごわ廻りました。


21/ビリビジョカ
23/ゴームリー
24/石塚紗矢香 これもよかった。
1時間ほど巡って、再び 田麦彦坂尚嘉作品へ戻る。
ここで運転手交替。
19/加治瑞穂
18/大久保英治
47/杉浦久子
お酒を買いに行く。
ま・ともかく・というわけで今夜はハヤマ壮にて一泊。夜はライトアップされた作品鑑賞をと
再び彦坂作品へ。実はわたくし夜道は運転の自信がなく、その後はビールを飲んでいました。
彦坂さんが運転して、ライトアップした彦坂作品まで案内していただきました。
夜間鑑賞で山に登ったとき、
彦「あれ、しまったガソリンがない・・」
私「・・・。」
結局ガソリンを届けてもらうことになって、ミルキーウェイを探して星を眺めていました。
・・・・ドタバタの一日はこうしてふけて
他の人たちと深夜までのおしゃべりと宴会を過ごしました。
2009年09月05日
越後妻有ツァー つづき3日目

今回のツアーメンバーとの記念写真
丸山孝広さんと斉藤さん以外はお初の顔合わせでした。
旅館で合流した、丸山孝広さん(写真左)。
多摩美のデザイン科出身のイラストレーター彦坂さんとは大学時代の
同期だそうです。アートフェア東京2009にもお越しいただいて、一緒に
呑みました。9月に四国旅行の計画があって、アルテにもお立ち寄り
いただけそうです。
写真後列右から、
斉藤ちさとさん、今後アルテでも発表していただこうと考えるアーティストです。
気体分子ギャラリーの作家です。
長岡まき子さん、彦坂段「ARTEの守護霊のような怪人」だそうです。
私的には、まきちゃんは「古びた座敷童」のような人です。つまり縁起神です。
強烈な個性で、今回のメンバーの人気者となりました。
彦坂尚嘉さん、今回の発起人兼ツアコン。お疲れ様でした。
そして私ギャラリーARTEのオーナーです。
後列の左端の女性は、志村みづえさん。草月流の華道家です。
前列右からです。
日本画家の山本藍子さん。
西脇妙子さん。現在は東京に御住まいですが、新潟出身だそうです。
帰りは越後湯沢までご一緒しました。
四国でまたお会いしましょう。
栃原比比奈さん。多摩美出身の油彩画家。
深夜までいろいろおしゃべりできました。
というメンバーとその後さらにいろいろ見て周ります。
作品番号 191蓬平/いけばなの家へ行く道に迷ったりしながら
いろいろまわります。
十日町の農舞台で香川県知事 真鍋さんが北川フラムさんに案内されて県職員2名とおしのび?
かのような、アート視察に出くわしました。
こんにちはとご挨拶。その後ろを追うような形で駐車場へ向かうと
レンタカーを囲むように、斉藤さんや彦坂さんたちが立っているのが見える。
8人乗りのワンボックスカーなのですが、なんと後部ドアが開かなくなったのです。
以後は、助手席側のドアから入って、シートを跨いで出入りすることになりました。



結局ガソリンスタンドで見てもらって、ドアは開閉できるようになりました。ほっ。。
ここまでで12時半くらい。
作品番号 229「黎の家」で食事を取ることになりました。
ここは、彦坂さんと東京都市大学手塚貴晴研究室 とのコラボレーション 黎の家です。
彦坂さんのウッドペインティング(新作)が展示されたレストランとしてオープンしています。
オーナーは、岡山のイタリア料理店「レオー二」福武美津子さん。妹さんだそうです。
食事をしたかったのですが、帰りの列車の時間があって、私たちと西脇さんは、皆さんと
お別れしました。
たった一日半のアート鑑賞でしたが、やはり現地へ行ってこそ気づくことが多かった旅となりました。
2009年09月03日
つぎは・・・
バッグごとの盗難の余波はまだありますが、
別の財布 と かばんを持ってみると
実に軽い、この軽さは気持ちいいです。
携帯は、保険とポイントで新機種に機種交換できました。
携帯はいまやパソコンですね。ただの道具じゃないこと実感しました。
そのまま、蛸壺に入りたい気分なのに
大木裕之がいて、糸崎公朗がいて、さらに安倍安人さんで
彦坂尚嘉がいるアルテって凄いことになっていますね・・・・とは¥彦坂さん談。
メルトダウンですよ。溶解してる。きっと糸崎さんがキーだったんだ。
それでゲートが開いたのだと思いますよ。
ちょっと落ち込んでいるときに本島の高島さんから、レジデンシー用の家を見に来いという連絡をいただきました。
いまそれに対応するのは正直つらかったけれど、行きましたよ昨日。
10時40分のフェリーで本島へ行き、家を見せていただきました。
一気に明るい表情に戻ったと大木談。
いいです。ここを使用させていただけると、みんなとても喜ぶと思う。
民主党政権になった日、バッグが盗まれていろんな意味で切り替えができた。
さらに、インフル風邪の症状 。これを克服すると
もはや解脱ですな。。
本島については後日。
別の財布 と かばんを持ってみると
実に軽い、この軽さは気持ちいいです。
携帯は、保険とポイントで新機種に機種交換できました。
携帯はいまやパソコンですね。ただの道具じゃないこと実感しました。
そのまま、蛸壺に入りたい気分なのに
大木裕之がいて、糸崎公朗がいて、さらに安倍安人さんで
彦坂尚嘉がいるアルテって凄いことになっていますね・・・・とは¥彦坂さん談。
メルトダウンですよ。溶解してる。きっと糸崎さんがキーだったんだ。
それでゲートが開いたのだと思いますよ。
ちょっと落ち込んでいるときに本島の高島さんから、レジデンシー用の家を見に来いという連絡をいただきました。
いまそれに対応するのは正直つらかったけれど、行きましたよ昨日。
10時40分のフェリーで本島へ行き、家を見せていただきました。
一気に明るい表情に戻ったと大木談。
いいです。ここを使用させていただけると、みんなとても喜ぶと思う。
民主党政権になった日、バッグが盗まれていろんな意味で切り替えができた。
さらに、インフル風邪の症状 。これを克服すると
もはや解脱ですな。。
本島については後日。
タグ :本島
2009年08月23日
大衆的狂乱
ここ数日は丸亀婆沙羅まつりが開催されている。
昨日は、大木さんを深夜近くに迎え、その後あまりに外が涼しいので
気になっていた店前のヒイラギの剪定をしていた。
22日は、丸亀婆沙羅祭が始まって深夜というのに、まばらに人通りが残っている。
突然、隣家の植え込みから一人の男子が飛び出してきて、「駅はどこですか・駅まで一緒に行ってくれませんか」と道を訪ねてきた。
ビックリして私は、「駅はすぐそこ、一緒にいくなんて嫌よ」と私が応えると
今度は「警察を呼んでください。」という
警察??
見ると少し怪我をしている。
警察に連絡して、補導してもらった。
聞くと、12歳という。友人と祭に来て、ビールを飲んで、道がわからなくなったという。
12歳!未成年に誰がお酒を売ったの!!
金髪に髪を染めていて、19歳くらいかと思ったが、12歳とは。。
こんな子供は、婆沙羅祭がなくても深夜に徘徊し、タバコや飲酒を経験するのかもしれないが、
婆沙羅まつりは、こういった若者が多く集まる祭だ。
5月に行われる丸亀のお城祭が「テキヤの祭」とされるなら
8月の婆沙羅祭は「ヤンキーの祭」のようだ。
元来民衆の祭りとは、権力に抵抗する祭りとして
農民から生まれるエネルギーの祭。
それは「ゲマインシャフト」田舎文化(共同体社会)が
「ゲゼルシャフト」つまり近代的都市文化(頭脳優位の文化)
ビジネス社会、都市社会に対抗する文化として身体の文化としての復権の祭。
目標持たない生のエネルギーの噴出、そしてガス抜きとしての効果をもつものだが・・・。
婆沙羅まつりは、共同体の祭となっていない。
他の地区から多く参加があり、総勢は3000人以上
ところが、地域に根付いてない。地元の青年会 行政の後援で行うものだが、
地域の共同体に根ざさない民衆の祭はデレシネの祭であって、それはなにも地域に
効果を生み出さすことができないものだ。
よさこいにMIというチームを組んで参加している大木君と
そのあたりについて、いろいろ話しあった。
私はおわら風の盆のような祭は否定しない。
三百年の歴史を持っている富山のおはら風の盆は、実際にまだ見たことがなく、
いつか行きたいと願っている祭だが、哀調の中に優雅さ 叙情豊かな唱と踊りに 気品高さがある。
おわら風の盆のような祭が催される町の雰囲気だったらといつも思う。
だから私は、丸亀婆沙羅祭は大嫌いだ。
昨日は、大木さんを深夜近くに迎え、その後あまりに外が涼しいので
気になっていた店前のヒイラギの剪定をしていた。
22日は、丸亀婆沙羅祭が始まって深夜というのに、まばらに人通りが残っている。
突然、隣家の植え込みから一人の男子が飛び出してきて、「駅はどこですか・駅まで一緒に行ってくれませんか」と道を訪ねてきた。
ビックリして私は、「駅はすぐそこ、一緒にいくなんて嫌よ」と私が応えると
今度は「警察を呼んでください。」という
警察??
見ると少し怪我をしている。
警察に連絡して、補導してもらった。
聞くと、12歳という。友人と祭に来て、ビールを飲んで、道がわからなくなったという。
12歳!未成年に誰がお酒を売ったの!!
金髪に髪を染めていて、19歳くらいかと思ったが、12歳とは。。
こんな子供は、婆沙羅祭がなくても深夜に徘徊し、タバコや飲酒を経験するのかもしれないが、
婆沙羅まつりは、こういった若者が多く集まる祭だ。
5月に行われる丸亀のお城祭が「テキヤの祭」とされるなら
8月の婆沙羅祭は「ヤンキーの祭」のようだ。
元来民衆の祭りとは、権力に抵抗する祭りとして
農民から生まれるエネルギーの祭。
それは「ゲマインシャフト」田舎文化(共同体社会)が
「ゲゼルシャフト」つまり近代的都市文化(頭脳優位の文化)
ビジネス社会、都市社会に対抗する文化として身体の文化としての復権の祭。
目標持たない生のエネルギーの噴出、そしてガス抜きとしての効果をもつものだが・・・。
婆沙羅まつりは、共同体の祭となっていない。
他の地区から多く参加があり、総勢は3000人以上
ところが、地域に根付いてない。地元の青年会 行政の後援で行うものだが、
地域の共同体に根ざさない民衆の祭はデレシネの祭であって、それはなにも地域に
効果を生み出さすことができないものだ。
よさこいにMIというチームを組んで参加している大木君と
そのあたりについて、いろいろ話しあった。
私はおわら風の盆のような祭は否定しない。
三百年の歴史を持っている富山のおはら風の盆は、実際にまだ見たことがなく、
いつか行きたいと願っている祭だが、哀調の中に優雅さ 叙情豊かな唱と踊りに 気品高さがある。
おわら風の盆のような祭が催される町の雰囲気だったらといつも思う。
だから私は、丸亀婆沙羅祭は大嫌いだ。
2009年08月22日
只今23:00
大木裕之君が、丸亀にしばらく滞在するというので、
自宅に戻ってくつろいでいたのですが、
再びお仕事モードへ
只今23時
なんちゅう生活・・。
展覧会は30日まで
最後の仕上げ 新たなキャンバス持参で制作
滞在は22日-30日
映画製作も
私は25日-27日は新潟妻有トリエンナーレの見学
24日 本島高島さんと丸亀文化課へ
報告は後日
自宅に戻ってくつろいでいたのですが、
再びお仕事モードへ
只今23時
なんちゅう生活・・。
展覧会は30日まで
最後の仕上げ 新たなキャンバス持参で制作
滞在は22日-30日
映画製作も
私は25日-27日は新潟妻有トリエンナーレの見学
24日 本島高島さんと丸亀文化課へ
報告は後日
2009年08月16日
恐ろしい事実生物特許
アグリビジネスの中での均一化が進んでいます。生物特許(バイオ特許)についての事実
生物特許とは、バイオテクノロジーを用いて人為的につくられた生物・遺伝子・タンパク質などを対象にした特許のことをさします。
バイオテクノロジー企業は、遺伝子そのものが特許として、企業は開発した種や解析したDNA情報を私有する利益として、種を支配しています。
農薬メーカーであったり、製薬メーカーであった化学企業が、世界規模での種会社の買収を行い
傘下に支配しています。
例えばアメリカのモンサントは穀物メジャーのカーギル、ここの種子部門を買収。
さらに、北米・南米の主だった種子会社をことごとく買収。
モンサントは今や、小麦・大豆・とうもろこし・綿花の種をほとんど手中に収めています。
スイスのノバルティス社もモンサントと同じような活動をし、
1997年韓国の業界2位のソウル種苗を買収。
そこを足掛かりに、日本、東アジア地域への戦略を立てている。
日本の大きな種会社といえば、サカタのタネ、タキイ苗種など、
サカタのタネにも大株主として、ノバルティス社傘下のスイスの投資会社の資本が入っています。
WTO協定のもと、資本の自由化を背景に、多国籍バイオ企業の資本が
各国の種苗会社をターゲットに買収や資本参加を行い、ほぼ終わって いるのが現在の状況です。
これは、たいへんな事態です。しかし日本のメディアではほとんど報道されません。
日本は農協の合併が進む中で、国内のシーズ企業が、とても減少しています。
生存に必須の食の分野でこのような独占的状況に陥っており、
売り手優位で、希望の種を手に入れることができなくなるのです。
環境がどんどん悪化し、温暖化が進行している。
いままで栽培できたものが気温の上昇により作れなくなる。
状況が変わった中で、作物を作っていくためには
病害虫に強い高温・乾燥に強い、そういう遺伝子を交配させる必要がある。
いくら高度な組み換え技術があっても、元となる原種がなければ、
組み換え技術すら行えなくなる。そういう貴重な原種を
遺伝子組み替え技術によって汚染させているという状況が進んでいる。
多国籍企業が種会社を買収し、遺伝子組み換えの種を世界中に売っていく。
特許のかかった種であるから、自家採種は特許権の侵害にあたるとして、
農家で種の自家採種を禁止しています。犯すと種を手に入れることが出来なくなります。
企業が有用な原種を持ち出し、その遺伝子を解析して新たに特許を取る。
例としては、タイの"ジャスミンライス"という香りの良い、おいしい高級米があるが、
特許を取り商標まで奪い、タイの農民がそれを輸出できなくしてしまった。
グローバル化による金融支配が大きく報じられる中で
もっと根源的な重要な事態が進行しているのです。
生物特許とは、バイオテクノロジーを用いて人為的につくられた生物・遺伝子・タンパク質などを対象にした特許のことをさします。
バイオテクノロジー企業は、遺伝子そのものが特許として、企業は開発した種や解析したDNA情報を私有する利益として、種を支配しています。
農薬メーカーであったり、製薬メーカーであった化学企業が、世界規模での種会社の買収を行い
傘下に支配しています。
例えばアメリカのモンサントは穀物メジャーのカーギル、ここの種子部門を買収。
さらに、北米・南米の主だった種子会社をことごとく買収。
モンサントは今や、小麦・大豆・とうもろこし・綿花の種をほとんど手中に収めています。
スイスのノバルティス社もモンサントと同じような活動をし、
1997年韓国の業界2位のソウル種苗を買収。
そこを足掛かりに、日本、東アジア地域への戦略を立てている。
日本の大きな種会社といえば、サカタのタネ、タキイ苗種など、
サカタのタネにも大株主として、ノバルティス社傘下のスイスの投資会社の資本が入っています。
WTO協定のもと、資本の自由化を背景に、多国籍バイオ企業の資本が
各国の種苗会社をターゲットに買収や資本参加を行い、ほぼ終わって いるのが現在の状況です。
これは、たいへんな事態です。しかし日本のメディアではほとんど報道されません。
日本は農協の合併が進む中で、国内のシーズ企業が、とても減少しています。
生存に必須の食の分野でこのような独占的状況に陥っており、
売り手優位で、希望の種を手に入れることができなくなるのです。
環境がどんどん悪化し、温暖化が進行している。
いままで栽培できたものが気温の上昇により作れなくなる。
状況が変わった中で、作物を作っていくためには
病害虫に強い高温・乾燥に強い、そういう遺伝子を交配させる必要がある。
いくら高度な組み換え技術があっても、元となる原種がなければ、
組み換え技術すら行えなくなる。そういう貴重な原種を
遺伝子組み替え技術によって汚染させているという状況が進んでいる。
多国籍企業が種会社を買収し、遺伝子組み換えの種を世界中に売っていく。
特許のかかった種であるから、自家採種は特許権の侵害にあたるとして、
農家で種の自家採種を禁止しています。犯すと種を手に入れることが出来なくなります。
企業が有用な原種を持ち出し、その遺伝子を解析して新たに特許を取る。
例としては、タイの"ジャスミンライス"という香りの良い、おいしい高級米があるが、
特許を取り商標まで奪い、タイの農民がそれを輸出できなくしてしまった。
グローバル化による金融支配が大きく報じられる中で
もっと根源的な重要な事態が進行しているのです。
2009年08月15日
越後妻有ツァー
8月25日-27日 休廊します。
彦坂尚嘉さんが案内してくださるので、
新潟へ行ってきます。
丸亀からは、長岡まき子さんと梅谷
25日は東京経由で新潟 津南グリーンピアホテル泊
よく26日彦坂さんと合流します。
勝手ながら休廊しますので、宜しくお願いします。
彦坂尚嘉さんが案内してくださるので、
新潟へ行ってきます。
丸亀からは、長岡まき子さんと梅谷
25日は東京経由で新潟 津南グリーンピアホテル泊
よく26日彦坂さんと合流します。
勝手ながら休廊しますので、宜しくお願いします。