この広告、メッセージは90日以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事でこのメッセージが消せます。
  

Posted by あしたさぬき.JP at

2009年07月06日

ひらがなワークショップ





ひらがなワークショップ

丸亀市が保有している旧真木邸は、笠島地区の「マッチョ通り」と呼ばれる中心部にあります。計画では、ここを会場に住民と作家相互のレクチャーやワークショップを行い、廻船業で栄えた笠島の歴史や日本で最初の船大工の話など地域の住民の記憶を掘り起こすことでした。しかしプロジェクト開始までに準備期間が与えられず、笠島地区の住民に対して、この事業の告知、協力の依頼が不十分のまま、福永信は、15日間の予定で9月28日から本島に入りました。

《ぱっと思いつくひらがな一文字を記名をして落書き帖に書いてもらう。》

ここに暮らす人は、お年寄りがほとんどで、お互いが顔なじみです。そこでワークショップのひとつ、「アーティストと島の人々との共同作業となるワークショップは、「好きなぱっと思いついたひらがな」を一文字書いてもらい、これを話のきっかけにして、島での生活や思い出などを集めることに変更しました。翌日から9月29日から10月12日まで、笠島地区の住民を対象にほぼ毎日、個別に訪問を行いました。  
「ひらがな一文字?おかしなことを言う」と、島の人々はたずねた私たちに不思議な顔をされながらも、この島の自然環境そのままに、人々は、ゆったりとしたリズムを持っていて、気さくでおおらかなやり取りが交わされました。集まったひらがなは、出会いの痕跡となりました。


  


2009年07月06日

得丸 成人 TOKUMARU Naruhito





Title: 無題
Material:映像
Date: 2006年

制作ノート
瀬戸内の海に面する街に住みながら、今までたったの一度も上陸することの無かった小さな本島。島に行くことになって、船に乗った時は未知の土地を想像して気持ちが高ぶってしまいました。
初めて渡った時の船はフェリーでは無く客船だったので、海風に当たりながら約20分の時間をカメラ片手に着岸するまで立ったままでした。
港まで迎えに来てくれてた車に乗り込んで笠島地区に行く間もカメラは回しっぱなしでしたが、年季の入った軽四はブレーキの効きも悪いうえ、カーブの多い道を行くので、揺れが激しく、撮れた映像も縦に横に揺れて暴れてました。
笠島地区に着いて最初に思ったことは、「静かすぎる・・・」。
常日頃なんらかの音にまみれて仕事をする私にとってこの島の時間は長く遅く感じるのです。
毎日の喧騒がここには無い・・・、たったこれだけで私の体内時計が狂いました。
歩いていれば人とも会うだろうし音もあるだろうと思い、写真を撮りに町並みへ出てみても、人の話し声がポツリポツリと聞こえて来るだけでほぼ無音。あまりにも静かすぎて寂しくなってしまい、時間の狭間に落っこちてしまった気分になりました。まさに日常から離れた別世界が、鍵型の小さな路地に広がっていました。
暫くして、福永氏の写真を撮ってほしいと頼まれ、様子を窺いに真木邸へ。
想像はしてたけれど、想像を超える真木邸の渋さに感動。神棚の細工や、窓の作りなど職人のこまやかな仕事が文化財たる所以か・・・などと一人で納得する。
実際はもっと理由があるのだろうけど、そこに一番感動してしまった。とにかく、ここにあるものは古いだけではなくて、いろんな思いが詰まってる感じがします。
福永氏の写真を撮り終える頃には周りの音がよく聞こえる様になって、人の咳払いや食器を洗う音が聞こえていました。

笠島に訪れる度、いろんな事を忘れてるなと感じさせられました。
蒸かしただけのサツマイモの味とか、干したタマネギの匂いとか、
銀杏の実の臭さとか、海風の音なんか。
あと、路地裏の夕飯の匂いなんかも懐かしかった。
スローでゆるーい時間が今でも流れてることがとても嬉しかった。
この場所に足を運んでなければ味わうことの出来なかった体験ですね。
日常の一瞬の光景や、知ってるはずのモノの色や、人の表情がどんどん変わって行く気がしました。
ひとつひとつ切り取った時間が語る事を、私というフィルターを通してどんな光に変わっていくだろう?映像を編集しながらそんなことを考えるようになりました。

略歴
予定調和を嫌い、常にLIVEな表現を進行するクラブパーティのVJ。
1999年 Visual Jockeyとして活動を始める。
2003年 東南アジアに活動範囲を拡大し、タイ、マレーシア、シンガポールのプロダクションからオファーを受ける。自称パーティ中毒者、感覚記録者。
2003年3月 「REDZONE」にVJとして参加。( Ferrari&Marlboro KLタワー/マレーシア)
2004年10月 「MotoGP」にMain VJとして参加。(セパンサーキット/マレーシア)
2005年3月 「PIT PATY」にMain VJとして参加。(Renault&MildSeven KLタワー/マレーシア)
2005年7月 「PALA」 (映像機材ショー/シンガポール)
2005年11月アジア最大・ゲイコミュニティパーティ「Nation」に参加。(プーケット島/タイ)
2006年6月 HOT LINKのパーティ「KICK‐OFF PARTY」に参加。(マラッカ/マレーシア)
  


2009年07月06日

中屋敷 智生 NAKAYASHIKI Tomonari


Title:「NIKKI -marugame-」Material:acrylic on canvas
1303(H)×1940(W)F120号
Date: 2006年

今回の展覧会の打ち合わせに参加する為、私は一路丸亀へと向かった。
その日は、あいにくの雨模様。せっかくの小旅行も気分は少し優れない。
4時間後、ねぼけ眼のまま丸亀の町へと降り立つ。
すると、早朝から降っていた雨が止んでいる。
青い空が、灰色の雨雲のカーテンの隙間から、うっすらと顔を覗かせている。
なんとも美しい情景ではないか。
今しかない。私は海の見える丸亀港へと走り出した。この町に何度も降り立っているせいもあり、港の場所なら直ぐに分かる。私は、急いでカメラのシャッ ターを切り始めた。
丸亀港からまっすぐ北に向かって。ちょうど、今回の展覧会会場の本島上空あたり。

私は、帰京すると同時に、この雨上がりの美しい丸亀の空の絵を描き始めた。
それは、丸亀で生まれた方には、懐かしい思い出の空に映ったのかもしれない。
または、ただの空の絵だったのかもしれない。
遠方からの来場者には、どのように映ったのだろうか。
心に秘められた、記憶の琴線に触れることができただろうか。
太古の昔から、そこに流れる空。
同じ空ひとつでも、その見え方は様々だ。

歴史ある旧真木邸に、私の絵が飾られたことを誇りに感じつつ、島民の方々、本島笠島地区へご来場下さった方々に、この場を借りて感謝とお礼を申し上げま す。

略歴
1977年 大阪府生まれ
2000年 京都精華大学美術学部造形学科洋画分野卒業

主な個展
1999・2000年 中屋敷 智生展 (ギャラリーココ/京都)
2002年 中屋敷 智生展 (Oギャラリーeyes/大阪 )
2003年「The Doubtful Balance」 (ギャラリーアルテ /香川)

主なグループ展
2001年 「OPPAI ART LAB πr事情」展 (京都)
「現代美術茨木2001」展 (大阪)
2003年 「絵画の証」展 (大阪)
「第16回名古屋コンテンポラリーアートフェア」 (名古屋) 
「ワンカップコスモス」展 (名古屋)
2004年 「縁起-connection」展 (ギャラリーアルテ 香川)
「8va(アロッターヴァ)」展 (ギャラリーアルテ 香川)

  


2009年07月06日

真部剛一 MANABE Koichi


真部剛一 「histream KASASHIMA」
 インスタレーション
Title:「histream KASASHIMA」Material:アクリル、鉄粉、水、蛍光灯、ポンプ、センサー
Date: 2006年

真木邸の土間上の部屋は、かつて居室として使用された場所である。雨戸を締めると、二階物置からのわずかな陽射しだけでほのぐらい。この部屋の床(ユカ)は畳の周囲に一部板を嵌め込んでいる。板の部分に透明な液体を入れたアクリルボックスを設置し床下から照明を施したもの。アクリル内部の液体は、海流と同じタイミングで水の流れが起こされ、伝統的建造物(旧真木邸)の内部に海を作り出し笠島地区の海の歴史をイメージさせる作品となった。


制作ノート
瀬戸内海に浮かぶ700近くの島々。その中の塩飽諸島、本島に向かう。人口は千人に満たず過疎化していくなかで、笠島地区は往時を思わせる街並みを保存し、島の歴史を伝えている。私はまずその島に少なからず滞在し、島民に島の歴史や、これからの島の有り様を聞き、それらをもとに私の視点で作品化し島の人々に見てもらいたいと思った。島民にとって作品が、常に変動し進化していく島を映し出す鏡のような存在であってほしい。そんな気持ちで島を見つめていると、島の内側よりも、外側を囲んでいる海に目が向いた。おしては返す波を見ていると歴史の流れ、生命の流れを感じる。塩飽水軍、塩飽大工、様々な歴史の流れに身を委ね、逆らい、その時々での選択によって今の島の姿がある。その流れを遡って想像することができるような作品ができないだろうかと滞在中、考えていた。岡山・児島からこの島に通う海路、平穏な天候の時は船に乗ると波も静かで、島に着いても心も穏やかでいられる。しかし、内海といえども荒れ模様の時の波は凄まじく、船は2、3メートルも上下するほどであり、島に着いても心の動揺は治まらない。そんな波を感じているうちに、人々は昔からどのような思いでこの島に向かっていたのか、自分が島に向かうことと重ね合わせて考えるようになった。
閉め切っていた真木邸に初めて入り雨戸を開ける。光と共に空気が入れ替わった部屋で、私の視線は畳で止まった。建物全体は当時の建築様式に則って復元されているが、畳は現代の規格のもので小さい。建物との寸法に差異が生じている。その隙間を埋めるため、きれいに板がはめられており、私にはその隙間そのものがまるで現在から過去へ遡るための入口のように感じられた。帰路、船上で波に揺られながら島の記憶を辿る。真木邸での光の陰陽、波の変遷、島民との交流。それらを通して作品の構想はできあがった。後日その板と床板を外してアクリルケースを設置し、内部には瀬戸内海の潮の満ち引きと同じタイミングで水流が起こるよう、ポンプとタイマーを調節し特殊な水を循環させて流した。すべての設置が終わった時、初冬の朝日が部屋に差し込んできた。古民家のなかにはあたかも小さな海が出現し、静かに時間を刻んでいるようであった。畳の隙間に現れた透明な海を覗き込むと、鉄粉の粒子が渦を巻き、ゆっくりと粒子が塊となり、島が生成されていく瞬間に立ち会うことができる。そのような感覚に包まれながら、私は島を流れる悠久の時間を感じ取っていた。

略歴
1974年 岡山生まれ
1999年 京都市立芸術大学大学院修士課程修了
現代美術家

主な個展・グループ展
2004年 「histream」 (黄土高原・楊家溝村/中国)
 「TRUE COLORS」 (シラバコーン大学アートギャラリー/タイ)
2005年 「アートリンク・プロジェクト2005-2006」 (すろうがギャラリー/岡山)
「煙の変遷」展 岡山「eat」展 (ギャラリーアルテ /香川)
「昭和40年会presents七人の小侍+1」(東京)
2006年 「エイブル・アート・リンク2006」展 (福岡)
「アートの今・岡山2006」 (岡山)

  


2009年07月06日

ふるかはひでたか 『記憶のカケラ~本島 』




ふるかはひでたか 「記憶のかけら」

 床(トコ)に立体、軸物、陶片によるインスタレーション、
 本島の浜辺には、島の人々の暮らしを偲ばせる硝子や陶器のかけらがたくさん落ちている。ふるかはひでたかは、幾世代にも渡って波に洗われた陶片を拾い集め、数十種類の陶片を金継(*1)の技法でつなぎ合わせ、ひとつの器を形作った。陶片は江戸時代から明治、大正、昭和にかけてのものが多く見いだせる。福永信とは異なるアプローチによる島人の暮らし(記憶)の集積を想像させる作品。

*1[金継ぎ/金繕い]は、欠け、割れ、傷ついた陶磁器を漆で継ぎ、傷に純金で蒔絵を
して繕う伝統の技法

写真解説
真木邸の床の間 陶片を漆による金継を施し、形作られたひとつの立体作品。
陶片の制作模型図を色紙仕立てにした軸物。陶片で本島の島を形作ったインスタレーション。

『記憶のカケラ~本島 』

本島の浜辺を歩いていた。五月晴れに潮風が心地よい。
波打ち際で、貝などに混じって波に洗われる陶片を見た。砂に呉須の青が映えて美しい。幾つかそんな陶片を手にとって、浜に並べて見ていると、想像は勝手に巡りはじめる。
これらは島で使われた器か、それとも流れ着いた陶片だろうか…。恐らく、もともと異なる時代に別々の土地で作られたものだろう。そして様々な人の暮らしの中で、それぞれに物や思いを収めてきた器であったに違いない。
なんだか眺めるうちに、暮らしであるとか歴史といった、島を内から外から形作ってきた営みの、「記憶のカケラ」たちが浜に寄せ、ぐるりと島の輪郭を描いているような…そんな幻想にとらわれてくる。
突然、この陶片たちを呼び継いで、新たな器を作ったらどうだろう…なんて思いつきが頭をよぎった。
職人が土から作った器が、幾多の手を経て砕けたのち、今また島の浜で土に帰ろうとしている。そんな、過去の営みの痕跡を、新たな器として再生させるのだ。これは忘却過程にある記憶を編み直して、新たな歴史を作ることに近い。きっと出来た器は、島の姿を反映するものとなるだろう。
七月、プランを胸に再び本島を訪れた。浜を歩いて3kgにも及ぶ陶片を拾い集めた。それらを持ち帰った僕は、まるでパズルでも解くかのように器を拵えた。そうして出来た器には、そのまま島の名をつけた。
陶磁器に詳しい方に尋ねたところ、器の陶片には、明治期の印判染付や、江戸中期の伊万里などが見られるという。カケラたちはどんな記憶を語ってくれているのか。器は小さな空間を抱え、そこに収めるべき想像を待つようだ。
展覧会では、旧真木邸の床の間に器を据えた。隣りには、拾い集めた陶片の残り全てを用いて、本島の形を模った。もしも、展覧会を訪れた人のうち幾らかでも、島の経てきた年月や、そこに暮らした人々の面影を、この作品に夢見て頂くことができたならば、それに優る幸せはない。

  


2009年07月06日

本島笠島ふれあい祭の日 アート作品

少し中断していました。
アーティストイン笠島の報告の続きです。


福永信 + 笠島地区の人々 ひらがな
ふるかはひでたか 
真部剛一
得丸成人