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Posted by あしたさぬき.JP at

2010年03月12日

今すんでいる場をともにして、新しい生き方を見つける

島を訪れる方には、ぜひ 読んでいただきたくて、

宮本常一のこと 彼の生き方を知ってもらいたくて

アルテには 、宮本常一関連書籍コーナーをつくりました。

そして、常一のお父さんの語った 息子を贈る10か条が素晴らしい。
++++++++++++++++++++ 以下は
 「宮本常一のまなざし」佐野眞一著より

宮本常一氏は、山口県周防大島の出身である。
氏の父親は、無学な島の男だった。
「明治6年に生まれた長男の善十郎が宮本の父である。
その頃、宮本の家は極貧のどん底になった。
そのため善十郎はろくに小学校にもあげてもらえなかった」
善十郎氏は、フィジーに渡航し甘蔗栽培人もした。
なにもかも成功しなかった。そして傷ついて故郷に帰ってきた。
故郷は傷ついた善十郎氏を暖かく迎えてくれたという。
「その故郷をよくしていく以外、故郷に恩を返すことはできない」。

この善十郎氏が、故郷をあとにする宮本常一氏に送った十か条には、
当時の日本人が培っていた叡智が凝縮していた。
この十か条こそ、宮本常一氏の背骨ではないかと思う。
大正12年の話である。
少し長いが引用させていただこう。

第一条.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か茅葺きか、そういうところをよく見よ。駅へ着いたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかどうでないところかよくわかる。

第二条.村でも町でも新しく訪ねていったところは必らず高いところへ登って見よ。そして方角を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必らず行って見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようことはほとんでない。

第三条.金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

第四条.時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

第五条.金というのは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

第六条.私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。

第七条.ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。

第八条.これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

第九条.自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。

第十条.人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

++++++++++++++++++++++
懐古趣味でなく、日本人は、教養のあるなしでなく、普通にこういうことを考えていたのです。

高度経済経済成長以降と以前では 大きく価値観が変り

そして、よきものが失われていった。

今それを探そうとしても思い出すこともできないように変ってしまったのです。

でも 本島に来て 笠島の人々と関ると その日本人らしき姿が垣間見れるのです。

きちんと遺したいと思うのです。ですから、注意深く 大切にしながら、忘れていたり

失っている人々に 伝えたい。  


Posted by ギャラリーアルテ at 18:25Comments(0)art

2010年03月12日

「無字社会の日本」である

宮本常一

人間でいちばんおもしろく、かつ人間らしいのは泥棒と乞食だ

宮本はこうした日本人たちが実は村をつくっていったのだと見ている。

宮本常一とは どのような人だったのか 

民俗学といえば 柳田国男が第一人者と受け止められていますが 宮本常一がいた。 二人の違いは 象牙の塔に籠もり文献相手の研究に従事した柳田国男に対し 宮本常一は 離島や山間僻地を中心に日本列島を自分の足で広く歩きまわり漂泊民や被差別民を取材し研究した点にあります。 文化には「記録の文化」と「記憶の文化」があり 解読可能な「記録の文化」を民俗学として研究したのが柳田国男であり 語り継がれた解読不可能な「記憶の文化」(無字社会」を現地で見聞し調査したのが宮本常一の民俗学ということになります。


記憶・・・

宮本常一は 亡くなる3年前の1978年に次のように書いています。

「私は長い間歩き続けてきた。 そして多くの人に会い 多くのものを見てきた。 その長い道程の中で考え続けた一つは 進歩とは何であろうか 発展とは何であろうかということであった。 すべてが進歩しているのであろうか。 進歩に対する迷信が 退歩しつつあるものをも進歩と誤解し 時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。 進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ 我々に課せられている最も重要な課題ではないかと思う」

  

Posted by ギャラリーアルテ at 03:36Comments(0)art