
2009年09月05日
彦坂さんとの大地の芸術祭越後妻有ツァー
いろいろありまして、報告が遅くなっていました。
8月25日から新潟で開催されている『大地の祭典越後妻有』という国際展を見学に行っていました。
越後妻有(新潟県十日町市、津南町)と言われる、760平方キロメートルにおよぶ山と川と田園からなる広大な里山に点在している国内外の芸術家が作品を制作し展示している芸術祭です。
第一回から継続して参加されている彦坂尚嘉さんが計画されたツァーの呼びかけをいただいて、参加しました。
彦坂さんに案内されるという贅沢なアート鑑賞旅行でした。
四国からの参加は私とまきちゃん。丸亀からだと新潟へ入るのにほぼ一日かがり。
◆25日朝9時に丸亀を出発して新幹線で東京へ
東京から上越新幹線に乗って、越後湯沢へ到着。
越後湯沢の駅で、今夜の宿の送迎バスを1時間ほど、待つことに・・・。
はじめての新潟。駅前に足湯とか、温泉の掲示板が目に付く。
ここは南魚沼郡。米どころ。
やがてバスが出発、乗っているのは私たちを含めて3人。
連なる連峰をバスは走ること1時間半。
5時半頃、ようやく今夜の宿ニューグリンピア津南に到着、高原にあるリゾートホテルだった。

広いこと、敷地にゴルフ場やスキー場、釣堀、プール、卓球施設やボウリング施設もある。
やーーはじめてみる北陸の山並み、涼しい。。
明日から山歩きで大変だと思うから、今夜だけは温泉でゆっくりしようね!とほーっとして初日は過ごしました。
◆翌26日・東京から彦坂さんたちが10時ごろ田麦へ入るので、
田代生活改善センターまでタクシーで行ってひたすら到着するのを待つ。
山の中、いたるところに青々とした棚田。わき道から水がとうとうと流れている。
気持ちいいーー。
来ない。30分経過、来ない。。
携帯 圏外・・・
少し歩き回る。携帯3本たった。
彦坂さんから連絡、1時間ほどのんびりまって、ようやく合流できました。
まずは山道を10分ほど歩いて七ツ釜のアングラハムの作品から

車で移動しながら、カサグランデ&リンターラ建築事務所 ポチョンキン
リチャード・ウイルソン

山本想太郎(119東田沢)と行武治美(31 当間高原リゾート) を見て、
昼食の そば屋/由屋で 「へぎそば」を食す。こしがある、そばだった。
28/ストームルームを鑑賞。10分くらいのインスタレーション作品。
印象的だった。
2時過ぎ 田麦地区の彦坂尚嘉作品


ここで、彦坂さんが「斉藤さんと撮影するから、後は梅谷さんが運転して、他の人と
廻ってください。」とのこと。「えーーっ。」険しい山道、しかもガードレールがない!
対向車がきたときバックできないよーーー。しぶしぶこわごわ廻りました。


21/ビリビジョカ
23/ゴームリー
24/石塚紗矢香 これもよかった。
1時間ほど巡って、再び 田麦彦坂尚嘉作品へ戻る。
ここで運転手交替。
19/加治瑞穂
18/大久保英治
47/杉浦久子
お酒を買いに行く。
ま・ともかく・というわけで今夜はハヤマ壮にて一泊。夜はライトアップされた作品鑑賞をと
再び彦坂作品へ。実はわたくし夜道は運転の自信がなく、その後はビールを飲んでいました。
彦坂さんが運転して、ライトアップした彦坂作品まで案内していただきました。
夜間鑑賞で山に登ったとき、
彦「あれ、しまったガソリンがない・・」
私「・・・。」
結局ガソリンを届けてもらうことになって、ミルキーウェイを探して星を眺めていました。
・・・・ドタバタの一日はこうしてふけて
他の人たちと深夜までのおしゃべりと宴会を過ごしました。
8月25日から新潟で開催されている『大地の祭典越後妻有』という国際展を見学に行っていました。
越後妻有(新潟県十日町市、津南町)と言われる、760平方キロメートルにおよぶ山と川と田園からなる広大な里山に点在している国内外の芸術家が作品を制作し展示している芸術祭です。
第一回から継続して参加されている彦坂尚嘉さんが計画されたツァーの呼びかけをいただいて、参加しました。
彦坂さんに案内されるという贅沢なアート鑑賞旅行でした。
四国からの参加は私とまきちゃん。丸亀からだと新潟へ入るのにほぼ一日かがり。
◆25日朝9時に丸亀を出発して新幹線で東京へ
東京から上越新幹線に乗って、越後湯沢へ到着。
越後湯沢の駅で、今夜の宿の送迎バスを1時間ほど、待つことに・・・。
はじめての新潟。駅前に足湯とか、温泉の掲示板が目に付く。
ここは南魚沼郡。米どころ。
やがてバスが出発、乗っているのは私たちを含めて3人。
連なる連峰をバスは走ること1時間半。
5時半頃、ようやく今夜の宿ニューグリンピア津南に到着、高原にあるリゾートホテルだった。

広いこと、敷地にゴルフ場やスキー場、釣堀、プール、卓球施設やボウリング施設もある。
やーーはじめてみる北陸の山並み、涼しい。。
明日から山歩きで大変だと思うから、今夜だけは温泉でゆっくりしようね!とほーっとして初日は過ごしました。
◆翌26日・東京から彦坂さんたちが10時ごろ田麦へ入るので、
田代生活改善センターまでタクシーで行ってひたすら到着するのを待つ。
山の中、いたるところに青々とした棚田。わき道から水がとうとうと流れている。
気持ちいいーー。
来ない。30分経過、来ない。。
携帯 圏外・・・
少し歩き回る。携帯3本たった。
彦坂さんから連絡、1時間ほどのんびりまって、ようやく合流できました。
まずは山道を10分ほど歩いて七ツ釜のアングラハムの作品から

車で移動しながら、カサグランデ&リンターラ建築事務所 ポチョンキン
リチャード・ウイルソン

山本想太郎(119東田沢)と行武治美(31 当間高原リゾート) を見て、
昼食の そば屋/由屋で 「へぎそば」を食す。こしがある、そばだった。
28/ストームルームを鑑賞。10分くらいのインスタレーション作品。
印象的だった。
2時過ぎ 田麦地区の彦坂尚嘉作品


ここで、彦坂さんが「斉藤さんと撮影するから、後は梅谷さんが運転して、他の人と
廻ってください。」とのこと。「えーーっ。」険しい山道、しかもガードレールがない!
対向車がきたときバックできないよーーー。しぶしぶこわごわ廻りました。


21/ビリビジョカ
23/ゴームリー
24/石塚紗矢香 これもよかった。
1時間ほど巡って、再び 田麦彦坂尚嘉作品へ戻る。
ここで運転手交替。
19/加治瑞穂
18/大久保英治
47/杉浦久子
お酒を買いに行く。
ま・ともかく・というわけで今夜はハヤマ壮にて一泊。夜はライトアップされた作品鑑賞をと
再び彦坂作品へ。実はわたくし夜道は運転の自信がなく、その後はビールを飲んでいました。
彦坂さんが運転して、ライトアップした彦坂作品まで案内していただきました。
夜間鑑賞で山に登ったとき、
彦「あれ、しまったガソリンがない・・」
私「・・・。」
結局ガソリンを届けてもらうことになって、ミルキーウェイを探して星を眺めていました。
・・・・ドタバタの一日はこうしてふけて
他の人たちと深夜までのおしゃべりと宴会を過ごしました。
2009年09月05日
越後妻有ツァー つづき3日目

今回のツアーメンバーとの記念写真
丸山孝広さんと斉藤さん以外はお初の顔合わせでした。
旅館で合流した、丸山孝広さん(写真左)。
多摩美のデザイン科出身のイラストレーター彦坂さんとは大学時代の
同期だそうです。アートフェア東京2009にもお越しいただいて、一緒に
呑みました。9月に四国旅行の計画があって、アルテにもお立ち寄り
いただけそうです。
写真後列右から、
斉藤ちさとさん、今後アルテでも発表していただこうと考えるアーティストです。
気体分子ギャラリーの作家です。
長岡まき子さん、彦坂段「ARTEの守護霊のような怪人」だそうです。
私的には、まきちゃんは「古びた座敷童」のような人です。つまり縁起神です。
強烈な個性で、今回のメンバーの人気者となりました。
彦坂尚嘉さん、今回の発起人兼ツアコン。お疲れ様でした。
そして私ギャラリーARTEのオーナーです。
後列の左端の女性は、志村みづえさん。草月流の華道家です。
前列右からです。
日本画家の山本藍子さん。
西脇妙子さん。現在は東京に御住まいですが、新潟出身だそうです。
帰りは越後湯沢までご一緒しました。
四国でまたお会いしましょう。
栃原比比奈さん。多摩美出身の油彩画家。
深夜までいろいろおしゃべりできました。
というメンバーとその後さらにいろいろ見て周ります。
作品番号 191蓬平/いけばなの家へ行く道に迷ったりしながら
いろいろまわります。
十日町の農舞台で香川県知事 真鍋さんが北川フラムさんに案内されて県職員2名とおしのび?
かのような、アート視察に出くわしました。
こんにちはとご挨拶。その後ろを追うような形で駐車場へ向かうと
レンタカーを囲むように、斉藤さんや彦坂さんたちが立っているのが見える。
8人乗りのワンボックスカーなのですが、なんと後部ドアが開かなくなったのです。
以後は、助手席側のドアから入って、シートを跨いで出入りすることになりました。



結局ガソリンスタンドで見てもらって、ドアは開閉できるようになりました。ほっ。。
ここまでで12時半くらい。
作品番号 229「黎の家」で食事を取ることになりました。
ここは、彦坂さんと東京都市大学手塚貴晴研究室 とのコラボレーション 黎の家です。
彦坂さんのウッドペインティング(新作)が展示されたレストランとしてオープンしています。
オーナーは、岡山のイタリア料理店「レオー二」福武美津子さん。妹さんだそうです。
食事をしたかったのですが、帰りの列車の時間があって、私たちと西脇さんは、皆さんと
お別れしました。
たった一日半のアート鑑賞でしたが、やはり現地へ行ってこそ気づくことが多かった旅となりました。