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Posted by あしたさぬき.JP at

2009年09月10日

ヤンキー文化論

地域に根ざした伝統的な「祭(まつり)」とは、宗教的儀式だった。

もともと伝統的に決まった日に、地域の人々が、神社境内など決まった場所で、伝統的な一定の約束事に従って演じる。

国家や個々人の家の繁栄、稲など農作物の豊作、先祖の霊の平安などの種々の祈りを込めて上演されるものだ。

地域の人々の願いを込めて演じられる民俗芸能は、一方で魅力的な芸能でもあり、

近年では特に全国各地から大勢の観客を集める祭も多い。

さらに、近年、芸能としての魅力に着目して、新しい形式に整えられた民俗芸能も各地にある。

例えば見物席を特設し、その前に次々と踊り集団が登場して踊りを披露するようになった阿波踊り

や富山のおわら風の盆などが有名である。

 一方によさこい系といわれる踊りのイベントがある。

よさこい踊りは、1954年(昭和29年)、徳島の阿波踊りに対抗する形で、高知商工会議所有志により開催されたのが

はじまりといわれる。楽曲の自由なアレンジを許し、その後色々なバリエーションを生んでいる。

各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、全国へ広がった。

市内の繁華街に数千人以上の踊り子が結集して開催されるため、通行止めで交通渋滞が生じ、

また商店によっては客が入らないことから、期間中は売り上げが落ちる等の問題も発生しているという声もある。

観客や踊り子の演舞以外のマナーの悪さも散見される。

交通渋滞・商店街の売り上げ低下・踊り子のマナーの悪さや金銭等のトラブルから、祭

りの公共性を疑問視して、個人が楽しむイベントと捉える厳しい意見もあると聞く。

丸亀婆沙羅祭りも、よさこい系の祭である。

五十嵐太郎さんが、編集した『ヤンキー文化論序説』という面白い本がある。

論者は、宮台真司、永江朗、酒井順子、都築響一、 近田春夫、暮沢剛巳
五十嵐太郎、飯田豊/南後由和/速水健朗/後藤和智/斎藤環
【特別掲載】ナンシー関 など。

詳しくは本を読んでいただきたいが、ヤンキーは地域密着型という指摘。

ヤンキー的なるものとよさこい系の祭の担い手が背景を同じにしているということ

「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」

五十嵐さんによると「民衆のゴシック」であるヤンキーだそうであるが、

彼(彼女ら)は実は日本のサイレントマジョリティなのである。

日本文化の底流に流れる不良的な要素を大衆は愛する。

日本の人口の5割がヤンキー的なものに惹かれるとすると、

確かに市民の一部が顔をしかめようが、家族を失って初盆を迎えて

しんみりしていようが、おかまいなく騒乱の日常の中で過ごすことになる。

本来祭りとは、生活の場ではない場所で、非日常な数日を過ごすことだった。

様々な事情をもつ人々が選択できる場で行われた祭である。

高知のよさこいや丸亀婆沙羅祭のように、おじいさんをなくして静かに過ごしたくても

街中に住んでいる限りは、騒音に身をさらして過ごさなければならない。

普段は静かな町が、この日は騒々しくけばけばしい衣装の集団がとおりにあふれ、

通行ひとつもままならない。

地域の人々への配慮の欠ける祭が地域の祭であるはずがない。


  

Posted by ギャラリーアルテ at 17:27Comments(0)art