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Posted by あしたさぬき.JP at

2009年05月29日

地域とアート7 平野祐一さんのテキスト


瀬戸内アートウェーブSAWのメンバーでもあり、昨年のこんぴらアートではアーティストとして参加してくださった香川でユニークな建築家として活躍している 平野祐一さんのテキストです。
平野さんは8月から現地調査に同行していただきました。島の人々と交流したいと、本島の盆踊りに一泊2日の日程で滞在しました。本島の盆踊りは昔ながらの地域の人々の盆踊りでした。平野さんのテキストを再読して、盆踊りに深く感動した記憶を思い出しました。原稿は揃っているので、編集者を新に探して、出版をして、本島の魅力を伝えなくっちゃ・・・。


平野祐一

建築物はアーティスト達によってどう変貌するのだろうか。またアーティスト達は建築物から何を得るのだろうか。そういう建築的興味からこのプロジェクトに参加した。
笠島の夏祭りの日、島の人たちとの事前交流のため笠島にはいり夕方から始まった盆踊りを見に行った。少ない人数で始まった盆踊りの輪に外部から来た私たちも見よう見まねで加わっていく。風呂敷に包んだものを背負って踊っている人たちが何人かいてそれが位牌だと教えてもらう。家族が交代で背負うらしい。最近他界した家族の霊がお盆の日に戻ってきて家族と一緒に踊っているわけだ。そんなディープな世界の中へ芸術活動が目的の私たちも入り込んで踊っているのだが、意外と違和感がなく、もう島の人たちと溶け込んでいる感じがして、それは新鮮な驚きだった。私たちは実は歴史の集積に日ごろから包まれていているのだがたいていはそれに自覚せずに、科学と抽象的思考の世界に生きていると思い込んでいるのかもしれない。踊っていて意外と心が安らぐし、なにか自然の霊や人の霊が回りに漂っている感じがする。島に来て私たちは何も得ない。自分の中にあるものを見つけてそして帰っていくのではという予感がその時あった。
真木邸で行われた作品展。ひっそりとたたずむ笠島の町並み。面的に広がる通りや集落に往年の繁栄がしのばれるが、離島であるため訪問者は少なくまるで演者のいない舞台のような笠島の集落の中で、現代芸術の器となった真木邸にまったく違和感はなかった。作品はそれぞれ斬新な発想で笠島を捉えているがそれぞれ真木邸の伝統的な建築的しつらえの中に見事に納まっている。伝統的しつらえが作品によって生かされているといってもいい。床 出格子 土間、それぞれその意味が作品によって取り戻されているように感じた。
アーティスト達はもとからそういう伝統的な感性を持っているのだと思う。若さとかは関係ないだろう。島に滞在中に自分の宝石を自分から掘り出してそして帰っていくのだろうと思う。では建物は。しばし不思議な空気に包まれてそしてまた以前と同じようにあるだろう。触媒のように変わらずにあり続けることが建築の一つの役割なのだ。