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Posted by あしたさぬき.JP at

2009年11月18日

海の民と山の民

本日はタッチの差で10:40分のフェリーに乗り遅れ、岸壁に取り残されて
後続の12:10の高速艇で本島へ・・・
取材の為にきてくださった四国新聞の中山さん、丸亀から展覧会を見たいと本島へきてくださったお客様
お二人をお待たせしてしまいました。大反省
動き出す前なら、ゲートを空けてくださるフレンドリーな汽船会社なのですが、動き出すと戻れません。

先日のお客様が。海彦山彦のお話をされていました。
平清盛は、神戸に港を開き、宋との交易を進めていました。厳島神社は、瀬戸内海を通行して日本へ訪れる人々を向かえる迎賓館であり、清盛がもう少し長く生きていたら、源氏との争いに負けていなかったら、日本という国の形は今とは違っていたのではないでしょうか?源氏も徳川家康も山の民であり、その後日本は鎖国をすすめて、国の形が形成されました。
歴史に「たら」はないのですが、海の民が国政をつかさどった場合は、日本人の形は大きく異なっていたでしょう。

本島は、海の民の島です。塩飽水軍として名をとどろかせた、操船の技術に優れた人々の島です。
笠島の夜は静かです。
瀬戸内の波の音を聞きながら、過ごす夜はこんな空想に思いを巡らせているのです。
  


Posted by ギャラリーアルテ at 21:11Comments(0)art