
2009年08月23日
大衆的狂乱
ここ数日は丸亀婆沙羅まつりが開催されている。
昨日は、大木さんを深夜近くに迎え、その後あまりに外が涼しいので
気になっていた店前のヒイラギの剪定をしていた。
22日は、丸亀婆沙羅祭が始まって深夜というのに、まばらに人通りが残っている。
突然、隣家の植え込みから一人の男子が飛び出してきて、「駅はどこですか・駅まで一緒に行ってくれませんか」と道を訪ねてきた。
ビックリして私は、「駅はすぐそこ、一緒にいくなんて嫌よ」と私が応えると
今度は「警察を呼んでください。」という
警察??
見ると少し怪我をしている。
警察に連絡して、補導してもらった。
聞くと、12歳という。友人と祭に来て、ビールを飲んで、道がわからなくなったという。
12歳!未成年に誰がお酒を売ったの!!
金髪に髪を染めていて、19歳くらいかと思ったが、12歳とは。。
こんな子供は、婆沙羅祭がなくても深夜に徘徊し、タバコや飲酒を経験するのかもしれないが、
婆沙羅まつりは、こういった若者が多く集まる祭だ。
5月に行われる丸亀のお城祭が「テキヤの祭」とされるなら
8月の婆沙羅祭は「ヤンキーの祭」のようだ。
元来民衆の祭りとは、権力に抵抗する祭りとして
農民から生まれるエネルギーの祭。
それは「ゲマインシャフト」田舎文化(共同体社会)が
「ゲゼルシャフト」つまり近代的都市文化(頭脳優位の文化)
ビジネス社会、都市社会に対抗する文化として身体の文化としての復権の祭。
目標持たない生のエネルギーの噴出、そしてガス抜きとしての効果をもつものだが・・・。
婆沙羅まつりは、共同体の祭となっていない。
他の地区から多く参加があり、総勢は3000人以上
ところが、地域に根付いてない。地元の青年会 行政の後援で行うものだが、
地域の共同体に根ざさない民衆の祭はデレシネの祭であって、それはなにも地域に
効果を生み出さすことができないものだ。
よさこいにMIというチームを組んで参加している大木君と
そのあたりについて、いろいろ話しあった。
私はおわら風の盆のような祭は否定しない。
三百年の歴史を持っている富山のおはら風の盆は、実際にまだ見たことがなく、
いつか行きたいと願っている祭だが、哀調の中に優雅さ 叙情豊かな唱と踊りに 気品高さがある。
おわら風の盆のような祭が催される町の雰囲気だったらといつも思う。
だから私は、丸亀婆沙羅祭は大嫌いだ。
昨日は、大木さんを深夜近くに迎え、その後あまりに外が涼しいので
気になっていた店前のヒイラギの剪定をしていた。
22日は、丸亀婆沙羅祭が始まって深夜というのに、まばらに人通りが残っている。
突然、隣家の植え込みから一人の男子が飛び出してきて、「駅はどこですか・駅まで一緒に行ってくれませんか」と道を訪ねてきた。
ビックリして私は、「駅はすぐそこ、一緒にいくなんて嫌よ」と私が応えると
今度は「警察を呼んでください。」という
警察??
見ると少し怪我をしている。
警察に連絡して、補導してもらった。
聞くと、12歳という。友人と祭に来て、ビールを飲んで、道がわからなくなったという。
12歳!未成年に誰がお酒を売ったの!!
金髪に髪を染めていて、19歳くらいかと思ったが、12歳とは。。
こんな子供は、婆沙羅祭がなくても深夜に徘徊し、タバコや飲酒を経験するのかもしれないが、
婆沙羅まつりは、こういった若者が多く集まる祭だ。
5月に行われる丸亀のお城祭が「テキヤの祭」とされるなら
8月の婆沙羅祭は「ヤンキーの祭」のようだ。
元来民衆の祭りとは、権力に抵抗する祭りとして
農民から生まれるエネルギーの祭。
それは「ゲマインシャフト」田舎文化(共同体社会)が
「ゲゼルシャフト」つまり近代的都市文化(頭脳優位の文化)
ビジネス社会、都市社会に対抗する文化として身体の文化としての復権の祭。
目標持たない生のエネルギーの噴出、そしてガス抜きとしての効果をもつものだが・・・。
婆沙羅まつりは、共同体の祭となっていない。
他の地区から多く参加があり、総勢は3000人以上
ところが、地域に根付いてない。地元の青年会 行政の後援で行うものだが、
地域の共同体に根ざさない民衆の祭はデレシネの祭であって、それはなにも地域に
効果を生み出さすことができないものだ。
よさこいにMIというチームを組んで参加している大木君と
そのあたりについて、いろいろ話しあった。
私はおわら風の盆のような祭は否定しない。
三百年の歴史を持っている富山のおはら風の盆は、実際にまだ見たことがなく、
いつか行きたいと願っている祭だが、哀調の中に優雅さ 叙情豊かな唱と踊りに 気品高さがある。
おわら風の盆のような祭が催される町の雰囲気だったらといつも思う。
だから私は、丸亀婆沙羅祭は大嫌いだ。