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Posted by あしたさぬき.JP at

2010年03月28日

明日から

アートフェア東京2010に出展するため、

明日から4月6日まで休廊します。

今週末も来客が続き、片付けに時間がかかって、

今日は本島泊。早朝 丸亀に戻ります。

とても 眠いです。

  
タグ :本島


Posted by ギャラリーアルテ at 23:28Comments(0)art

2010年03月25日

27日(土)は

本島フォタリング・・・フォト+自転車 でぐるっと本島を探検しようという趣旨のメンバーが

アルテにもお立ち寄りいただくことになっています。

そこで16食分のお弁当ををつくることになりました。

妹尾さん 岡さんが それならばと

初物のたけのこ わらびを採ってきてくださいました。

そのうえ 蕨のあく抜きをしたことがない私に

「島のばあちゃんが 教えてやるっ!」と夕方灰をもってきてくださって

岡さん 妹尾さん 手取足取り 指導してくださった。

筍 蕨 わけぎ 紫芋

全て食材は本島地産です。

ほんとに いつもありがとう。

島の食材を食べてさせてあげてって 伝言です。

私は どう感謝を示すことができるのだろう。。

まきちゃんは 明日いろいろ運んで来てくれます。

どうして この人々は 私のことを わかっているんだろう。。

本能だね。このやさしさは・・。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 20:51Comments(1)塩飽本島

2010年03月22日

県外からのお客様 多数

昨日は本島ハーフマラソンも開催されていて

アルテの前の道を走るので 笠島の住人も旗をもって

応援していました。

アルテには早朝から 県外(東京ガ多かった)からのお客様が覗いてくださいます。

ですから、きてくださいと、東京方面からの方には

アートフェア東京のチケット かなりさし上げました。

今日22日も玄関で朝9時くらいに子猫にえさをやっていたら、

朝になると えさえさとって 子猫と親猫がやってくるのです。

ですから えさ~といって やってきたら

高知からカメラをもった方が 食事できますか?と

急いでトマトバジルのパスタを作ってお出ししました。

今日は冷えます。花冷えですね。  


Posted by ギャラリーアルテ at 11:10Comments(0)art

2010年03月20日

新しい住人

笠島保存地区に入るには、山道からがお勧め。

海沿いの道は、近年自動車道として整備されたもの。

昔ながらの道をたどって、笠島に入って欲しい。風情があるから。

山根を通り過ぎ、小さな峠を越える、すぐに保存地区の黒壁が眼下に広がる・・・。

+++++++++++++++++

東小路 このところ、笠島に新しい住人が増えている。もともとこの地区の人だが、県外で暮らしてきた人が

定年後、笠島に戻ってきているようだ。自治会長に良かったですね。とつげる。

おう そうなんよ。もともと笠島の出で、戻ってきよる。

笠島出身の人は、家もあるから、戻りやすい。空き家はあるが、所有者があるから、

案外 新たな住民がここに住居を得るのは難しい。

アルテは、4年前の文化活動がきっかけ。そして ユーラシア旅行社の取材によって

新たな関りが生まれ、今の展開になっている。

昨日は、また新しい住人となる方が、挨拶に来られた。

かつて(先代の時代に)手放された家を、買い戻されて、この町に暮らすため

越して来られた。アルテのある東小路の通 3軒めのお隣離さんになる。

つくづく感じるが、地域の人々は お互いを知っている。よく知っている。

もちろん気の合う人 合わない人もあるだろうが、でもお互いに助け合って暮らしている。

 くらしそのものの広がりと深さが背後にしっかりとある。それが私がみた笠島の現在。

でもお年よりはさびしいといった。

今朝子猫のお腹の毛があまりに汚れているので

表の道路で石鹸の泡で洗っていた。オンバを押しながら おばあちゃんが

「まあ あんた(子猫)はええねぇ やししくしてもろて・・」

と話しかけてきた。

「夕べはとまっとったんか?町の人が一人で さみしゅうないか?」と

私「ううん 静かでいいよ」と応えると

私は夜一人でいると さみしゅうて さみしゅうて・・」といった。

そうだよね。さみしいのか 寂しかったら、遊びに来てね。

といって別れた。


  


Posted by ギャラリーアルテ at 12:22Comments(0)塩飽本島

2010年03月19日

島には山がある

山は 放置されていて、竹林が多い。

この竹が問題だそうだ。竹が広がると、山の植生が単一化され、

そして微生物・虫・動物など生態系が単一化される。

竹の地下茎は明るいところや養分が行き渡った畑などの土壌に向かって

1年間に6~8mも伸びて行く。竹林が広がると、針葉樹と竹は浅く根がはるので

養分の取りあいになって、枯れる。

広葉樹でも樹齢が若いもの・竹より低い樹木は

日照不足がおこり、やがて枯れる。

竹林の放置化が進むと、地下茎が死に、地下茎から生えている「ヒゲ根」が無くなる。

地下茎は浅く広がるので、土砂崩れもおきやすくなる。

自然は、人が手をかけることで、保たれていた。

人々が地方を捨てて都市に向かうと、地方の自然は荒廃が進む。

都市だけで日本は成り立たない。

都市は地方を食べ続けている。地方に生まれた人も都市へ向かい、

ともに故郷を食べている。


  


Posted by ギャラリーアルテ at 18:41Comments(0)塩飽本島

2010年03月19日

笠島の街道にムスカリがいっぱい自生

春です。俄に島は、とりどりの花の色彩で、鮮やかな景色です。

冬の時期は水仙街道だったところが、いまはムスカリがあちらこちらに

紫のかわいい花を咲かせています。

ムスカリは多年草。季節を知らせてくれます。

櫻はまだつぼみは固くて、4月には櫻のトンネルをくぐって

保存地区へ迎うことが出来るでしょう。わくわくします。

 昨日も雨混じりながら、小グループのお客様がたずねてくださって、

いただいた野菜でまたわけぎ和えのお弁当をなどをつくりました。

いい感じ。。

アートフェア東京2010の準備もあって、ちょっと緊張しています。

2月29日から4月6日までは私は不在です。

でもお留守番のまきちゃんが、土日はお食事をつくるそうです。

お手伝いしていただける方、ご連絡ください。

お風呂も快適に入れるようになりましたから、お泊りしてもいいですよ。

但し、自分の食べるものか材料はまきちゃんと相談して、持参してください。

宜しくお願いします。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:30Comments(0)塩飽本島

2010年03月17日

お年寄りの一人暮らし

笠島は、お年寄りが一人で暮らしている人が多い。

昨日火曜日はギャラリーは休みの日だったが、溜まった仕事をしなければと

16:30の高速艇で本島へ来た。今日は休みだから、締めておいて仕事仕事・・

と思っていたのだが、入り口の障子は締めて、木の引き戸は半開きにしていた。

自転車をとめていたので、妹尾さんがお散歩の途中で気がついて

「来ていたの」とたずねてくださった。到着してから1時間以内に

その後 安田さんが、「なんか食べるものあるかな・・」と

「カレーでもええよ。お祖父さんが亡くなったから、私ひとりだからね。

畑 しよったから、何でもいいよ」と

私「大豆カレーならできるよ。今から仕掛けるから、少し待っていて・・くださいな」

お米を研いで、麦をいれて、麦ご飯にして仕掛けて、ストックしていたカレーにたまねぎ 大豆を加えて

ストーブにかけて、煮込む。(プロパンガスの節約)

仕事をしたくて来たのだから、断る言葉が出そうになって、でも断ることができなかった。

需要があるということ、一人でも・・苦笑い。

*******************
安田さんのご主人は、1週間前に亡くなった。85歳だった。

安田さんは、40年神戸に暮らしていて、退職後笠島に戻ってきた。震災の1年前だったそうだ。

安田さんは、ご主人のことを「お父さん」という。お父さんが元気なとき、カレーを何度か自宅へ届けた。

このごろは、「お父さんの具合が悪くて だから、食べられないんよ」と話していた。

ずーっと 介護して、そして亡くなった。

「もう 年だったからね。」といいながら、カレーを食べてくださった。

妹尾さんも一人、吉田さんも一人。高島さんも一人、高島昭夫さんも一人、・・・さんも、・・さんも

淡々と 暮らしている。凄いと思った。

まだ、私は出来そうにない。


  


Posted by ギャラリーアルテ at 09:43Comments(0)塩飽本島

2010年03月16日

本島調査

東京理科大の大学院生君が、今年一年間、

「四国・瀬戸内地方の過疎地域のまちづくりと生活の継承」というテーマで研究調査をしたいと

事前調査のため、11月から数回に亘って笠島地区を訪れ、アルテをたずねていただいている。

本格的には夏ごろからだそうだ。こちらのアートプロジェクトとも連携して行きましょうと

話し合っているところである。

宮本常一という民俗学者のことを伝えたところ

彼からメールが届いた。

『今のこの時期に宮本常一氏の書籍に出会えたことは幸運だったと

そして、過疎・高齢化ということについては、ネガティブなイメージや情報

が先行しがちで、地域にまだ引き出せていない潜在的な「力」が多く存在して

いることを実感しました。』 といううれしい内容だった。

過疎の町に歴史探訪を目的に訪れる方は多い、

私は今回 ぜひ 宮本常一氏の姿勢をご覧いただきたいと思う。

水面に一適のしずくが落とされ、それが波紋のように広がって行く様を想像してみる。

宮本常一氏の姿勢から 学ぶことは多い。「忘れられた日本人」(岩波文庫)では

氏は次のように語っている。

「今老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境の中をどのように生きてきたかを描いてみようと思うようになった。
単なる懐古としてではなく、現在につながる問題として老人たちの果たした役割を考えてみたくなったのだ。
私の一番知りたいことは、今日の文化を築き上げてきた生産者のエネルギーというものがどうゆう人間関係や環境の中から生まれ出てきたかと言うことである。」(あとがきより)

新しいものを生み出す源となり、新しいものを支えている古いものの価値を見いだすこと

伝建地区に関わりアート活動を行う場合に重要な背骨になる言葉だと感じている。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 02:51Comments(0)art

2010年03月14日

いただいた野菜~

わけぎー
大根ー
たかなーー
ちさーー

ねぎ
ほうれんそうーー
葉ごぼう

春ご膳 出来ました。

子猫 の友達猫 と2匹が 私をみつけると

駆け寄ってきます。
足にくっついて、ついてくるので、足がもつれて 転びそうになります。

くっつくのが好きみたいです。
大きな猫も同じようなしぐさで
なつかれてしまったようです。

  


Posted by ギャラリーアルテ at 14:10Comments(0)塩飽本島

2010年03月13日

古風なる生活

今日は10時から、道の掃除・・・

まきちゃんが、朝7:40分の船で来てくれるから、6時に起きて、玄関を開けておいた。

昨夜から猫が二階に入っているようで、どんどんとうるさい。

どこから入るのだろう。現代の家屋は猫がもぐりこめる隙間はないが

伝建地区の建物は、江戸時代から明治・大正期の家屋だから

実につくりが簡単である。床板は一枚の板その上に畳を敷いている。

二階は踏み床になっていて、これも一枚。

エアコンが無い時代、このつくりで夏の暑さをしのぐことができるのだろう。

実家も日本家屋だった。玄関の土間は、15M四方くらいあって、天井がとても高く

夏はひんやりとして涼しかった。

隣の吉田さんが、「まきちゃんだけ出てくれたらええよ。あんたは、仕事しなさい!」って

お言葉に従って、考え事をする。。共同体の相互扶助が生きている場所・・笠島。

+++++++++++++++++

いずれの島の人々も、土地に縛られずに、外に飛び出すエネルギーを持っていたようだ。

塩飽大工、長府大工、一旦は島を離れ、そして晩年を島に戻ってすごす。

都市や内陸部に暮らす人々よりも、異なるスケールで日本を見ることになっただろう。

そして、己の輪郭をきちんと捉えていた。私が知る限りでは、明治生まれの祖父がそうだった。

寺に生まれ、中学生のとき九州の寺で一時修行をしたと話していた。夏友人と中四国を歩いたとも。

情報化社会といっても、地方を肌身で見ずには、偏狭な国家感しか育たないのではないか。

宮本常一は、「海と島の世界を歩けば、『ひとつの日本』では説明できないものをおのずと抱え込んでしまう」と語っている。

この人の凄さは、その過剰なまでの みるあるくきく という態度でしか見えてこない世界が間違いなくあることを示し、

しかも比較するという民俗学の方法にある。

相対化

異質に見えるものが、よその土地の民俗と繫がることで、全く別の風景が作り出せる。

+++++++++++++++++++++++++++++++

過疎で 遅れた離島と見ると、まず何も見えてこないだろう。





  

Posted by ギャラリーアルテ at 10:26Comments(0)art

2010年03月12日

今すんでいる場をともにして、新しい生き方を見つける

島を訪れる方には、ぜひ 読んでいただきたくて、

宮本常一のこと 彼の生き方を知ってもらいたくて

アルテには 、宮本常一関連書籍コーナーをつくりました。

そして、常一のお父さんの語った 息子を贈る10か条が素晴らしい。
++++++++++++++++++++ 以下は
 「宮本常一のまなざし」佐野眞一著より

宮本常一氏は、山口県周防大島の出身である。
氏の父親は、無学な島の男だった。
「明治6年に生まれた長男の善十郎が宮本の父である。
その頃、宮本の家は極貧のどん底になった。
そのため善十郎はろくに小学校にもあげてもらえなかった」
善十郎氏は、フィジーに渡航し甘蔗栽培人もした。
なにもかも成功しなかった。そして傷ついて故郷に帰ってきた。
故郷は傷ついた善十郎氏を暖かく迎えてくれたという。
「その故郷をよくしていく以外、故郷に恩を返すことはできない」。

この善十郎氏が、故郷をあとにする宮本常一氏に送った十か条には、
当時の日本人が培っていた叡智が凝縮していた。
この十か条こそ、宮本常一氏の背骨ではないかと思う。
大正12年の話である。
少し長いが引用させていただこう。

第一条.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か茅葺きか、そういうところをよく見よ。駅へ着いたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかどうでないところかよくわかる。

第二条.村でも町でも新しく訪ねていったところは必らず高いところへ登って見よ。そして方角を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必らず行って見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようことはほとんでない。

第三条.金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

第四条.時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

第五条.金というのは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

第六条.私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。

第七条.ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。

第八条.これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

第九条.自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。

第十条.人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

++++++++++++++++++++++
懐古趣味でなく、日本人は、教養のあるなしでなく、普通にこういうことを考えていたのです。

高度経済経済成長以降と以前では 大きく価値観が変り

そして、よきものが失われていった。

今それを探そうとしても思い出すこともできないように変ってしまったのです。

でも 本島に来て 笠島の人々と関ると その日本人らしき姿が垣間見れるのです。

きちんと遺したいと思うのです。ですから、注意深く 大切にしながら、忘れていたり

失っている人々に 伝えたい。  


Posted by ギャラリーアルテ at 18:25Comments(0)art

2010年03月12日

「無字社会の日本」である

宮本常一

人間でいちばんおもしろく、かつ人間らしいのは泥棒と乞食だ

宮本はこうした日本人たちが実は村をつくっていったのだと見ている。

宮本常一とは どのような人だったのか 

民俗学といえば 柳田国男が第一人者と受け止められていますが 宮本常一がいた。 二人の違いは 象牙の塔に籠もり文献相手の研究に従事した柳田国男に対し 宮本常一は 離島や山間僻地を中心に日本列島を自分の足で広く歩きまわり漂泊民や被差別民を取材し研究した点にあります。 文化には「記録の文化」と「記憶の文化」があり 解読可能な「記録の文化」を民俗学として研究したのが柳田国男であり 語り継がれた解読不可能な「記憶の文化」(無字社会」を現地で見聞し調査したのが宮本常一の民俗学ということになります。


記憶・・・

宮本常一は 亡くなる3年前の1978年に次のように書いています。

「私は長い間歩き続けてきた。 そして多くの人に会い 多くのものを見てきた。 その長い道程の中で考え続けた一つは 進歩とは何であろうか 発展とは何であろうかということであった。 すべてが進歩しているのであろうか。 進歩に対する迷信が 退歩しつつあるものをも進歩と誤解し 時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。 進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ 我々に課せられている最も重要な課題ではないかと思う」

  

Posted by ギャラリーアルテ at 03:36Comments(0)art

2010年03月11日

ギャラリーモード

アートフェア東京2010 4月1日からだった。
きょうは3月11日 。ということで、あわただしく作家と打ち合わせ。
チケットの配送もまだだった。ホテルもJRのチケットも手配しなければ
丸亀に帰るのやめて、今夜はどっぷり夜なべ仕事をする。

+++++++++++++++++++++++++

本島アルテには、様々な学生君がたずねてくれる。

彼らは、個人で何度も訪れている。自分の問題 テーマとして関っている。

島の現実は厳しい。過疎化 高齢化の問題は、解決できるものではない。

活性化によって、多くの人々が訪れる、または移住者が増えると新たな問題が起こる。

地域活性化という言い回しを避けたい。目指すのは、住みやすい環境保全。

今ある穏やかな島の環境を損なうことなく、快適な環境を次の世代へ遺したい。

それを彼らと考えている。彼らが、これからの日本を作って行く。

新しい日本人を迎え入れたい。

しかし、なぜ男子だけ?女子は?どうなっているのだろう。




  


Posted by ギャラリーアルテ at 17:31Comments(0)art

2010年03月10日

9日は久々に高松へ

10日本日は横殴りの雨

仕事があるので、なんとしても本島へ行かねば。。

ボートは大揺れ。波が目線よりも上に下に

窓越しに波を見入る。見飽きない。

きょうは、マイペースで自分の仕事に専念できそうだ。

 昨日9日はお休みを利用して、高松へ出かけた。

先日本島を訪ねてくださったお茶の専門店 ルピシアへ行くため。

それから 高松市美での展覧会を観ておくため だった。

目的のルピシアはすぐわかった。探していた小ぶりな茉莉龍珠があったので購入。

丸亀町商店街は、再開発されていて、賑わいを取り戻していた。

でも魅力的ではない。表情に乏しい印象、アートプロジェクト開催中なのに

個性がなくて、はぁ~とため息をつく。

せっかく、美術館と町が連動する内容なのに、お行儀がいいというか、まじめじゃないというか。

最初から、観客を信用していないようだ。

高松市美のコレクションは充実している。展覧会は想像以上でも以下でもなく・・・がっかりした。

昨年11月最初に本島で催した展覧会「復元フォトモ糸崎公朗展 と蔵元秀彦展での

本島の観客の反応を見て 頭を抱えた時のことを思い出す。

本島のお年寄りから現代アートは難しいといわれるのは まあいいとして

糸崎さんのフォトモについて、ほとんどの人がこれはいいと直接の反応を示した。

その反応を期待して、選んだことだが、苦さを感じた。

見え透いていて自分に吐き気がした。

アートが地域と対話をはじめることは、同化 自己同一ではいけない。

環境に適応したアートが 変化に適応できるはずがない。

時代を乗り越えることはない 時代の変化とともに消えるということだ。

そういうアーティストは選択したくなく模索を続け、この数年はなかなか厄介だった。

浜町のスペースでは、やる気がなく、明けわたシ以外のexhibitionは納得できないものが続いていた。

丸亀町商店街のアートプロジェクトの作品群を観て思う。

環境に適応する力と変化に適応する力は、二律背反の関係だそうだ。

環境に適応しないと、滅亡するか、あるいは周縁で冷や飯を食うことになる。

他方で、特殊な環境に適応し、中心に近づけば近づくほど、環境の変化に対応することができずに、

滅亡するリスクを抱えることになる。このジレンマをどうする?

「コミュニケーションしよう。」

コミュニケーションをするとは、他者(環境)と同一化しつつ差異化するということだから。

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白濱さんから連絡があって、少し本島の話をする。

なかなか ハードルが高そうですねと でも興味を持ってくださる。

応募しようと思うと話されていた。

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Posted by ギャラリーアルテ at 15:16Comments(0)art

2010年03月06日

島野菜

本島 産直野菜
沢山いただきます。大根の品種 こんなにあるとは知らなかった。。

赤い大根・・・スライスして甘酢に漬けました。
とても綺麗な淡い赤の色が綺麗です。

青い大根・・・すりおろして生でいただく。
とても鮮やかな透き通った緑色

大根は白だと思っていた常識が覆されました。

野菜は今 いろいろな品種があります。

アートフェア2010に参加するため、3月29日から4月6日までは

お休みしますが、その後

はじめますよ、野菜栽培 いよいよ

お菓子作りは佐藤君のお姉さんの協力を期待して

まずは 本島スィーツ=八朔のドーナッツ

期待して!!ね。

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消防署も保健所もOKでした。

これで 安心して 今後の展開計ります。


  
タグ :塩飽本島


Posted by ギャラリーアルテ at 18:19Comments(0)食材

2010年03月04日

子猫

裏の小崎さんがえさを与えていた子猫は、よくなく猫です。

小崎さんが入院して、面倒をみてくれなくなった子猫は 猫の仲間にもいれてもらえない

どんくさい猫です。いじめられて怪我をしていたり、やせっぽちで 死相も出ていました。

私を見かけては みゃーとないていました。

夜になると 床下から猫の鳴き声がして 夢を見ました。

猫は好きではなかったのですが、ほおっておけずに 気づくとえさを与えるようになっていました。

栄養状態が悪くて しかも泥だらけ・・・。

妹尾さんや高島さんは えさをやってはいけないよ 居ついてはなれんようになるぞ! というのですが

死なれると困ると思って みんな 密かにえさを与えているのです。

でないと もうとっくに いなくなっているはずなのに・・

昨日見かけたときは 死相もなくなって

なんとなく 安心感が漂っていました。

吉田さんも朝 ドッグfoodを与えていました。

私はお昼にキャッツフードを与えました。

食べすぎです。

子猫はアルテの玄関の敷居の上にのって ミューみゃーとないています。

あの子に 名前をつけなきゃ なんて 言うようになっています。

+++++++++++++++++++++

佐藤よしき君がお菓子づくりが趣味というお姉さんを伴って

昨日本島を訪ねてくれました。

お菓子や食のこと 土産物づくりについて

かなり いろいろなことを相談し

やってみることになりました。





  

Posted by ギャラリーアルテ at 15:16Comments(0)art

2010年03月02日

本島観光

暖かくなって、ホトトギスのさえずりが聞こえています。

観光旅行者も小グループ毎に訪れています。

3月から保存センターも月曜日休館のみで開館します。

月末はいろいろなお客様が訪ねてくださって、忙しかったです。

高松の丸亀町商店街に「ルピシア」という世界のお茶の専門店の

担当者の方が新しくオープンするために香川にいらっしゃっていたようですが

オフの日ということで、本島を訪ねてくださいました。

お土産ものづくりの宿題のことをお話したところ、関心を示してくださって、

今後の展開が楽しみな出会いもありました。

++++++++++++++++++++

彦坂さんが京都まで講演でいらっしゃっていたので、本島を訪ねてくださいました。

この日は12名の予約のお客様の食事づくりに追われたうえ、

飛び込みの方も数人ありまして、ほとんど食堂だったので

きっと 驚かれたと思います。

私もこういうことは保存センターの冬休みだった1月2月は経験していなかったので

まあ 初めての試みと新たな発見があって 面白かったです。

3月以降は こういう状態がままあるかもしれないと思いました。

県外からのお客様にはワインも好評で

ワインも充実させたいと思っています。

東京のワイン輸入業者からワインを送ってもらっていますが、

種類も多く これも挑戦したい分野で

いろいろ多忙ながら やりたいこと 乗り越えなければならないことがあることは

素敵なことだと思っています。

今年も4月はアートフェア東京に出展しますので、4月前半はギャラリーはお休みします。

カフェ部門はお手伝いの方に委託しようと考えています。

また4月からは福武学術文化振興財団からの活動助成をうけましたので

食とアートのプロジェクトが動き始めます。

明日 文化庁の方が笠島を視察にこられるそうです。

文化庁からは文化財保護の部門の保存活用モデル事業は今年も募集することを

ご連絡いただいていますので、これも併用した形で計画を充実させて応募したいと考えています。

4年前に耕そうとしたことが、ようやく種をまいて育てるという まだそんな 時期です。

でも続けることで 花が咲き 果実が育つのです。

せっかく 集ってくださる方がいらっしゃるのですから、がんばらなければと思っています。



  


Posted by ギャラリーアルテ at 18:44Comments(0)art